どうそく(@madanaizo)さんの人気ツイート(新しい順)

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柄本佑、いいこと言うじゃん。 「家では映画、観られないんです…画面も小さくて…どこか映画を下に見て、自分が上に立ってしまう。その“世界”を掌握できてしまうから。 僕は、映画って“見上げる”ものだと思っていて」 「他人同士で限定された時間に“人生を共有する”ということが映画の第一にある」
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SNS。「感想は自由でいいんだ」みたいな言葉が大好きなくせに、著名人に好きな作品が否定された時(「内容を誤解してる」とか「好きな人を馬鹿にしてる」みたいな内容の感想でもないのに)は袋叩きにする感じがスゲー嫌。結局は「”肯定的な感想なら”自由でいいんだ」ではないのか。
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Twitterは同じ話が何度もできるからいいよ、ホント。実生活でしたら「おじいちゃん、その話は前も聞きましたよ」で終わりだ。でも当人は「今度こそ、もっと的確な言葉で表現できるはず…」の精神でやってるからね。
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「ナチスもいいことをした」で盛り上がる度に「ナチス=絶対悪!」でやってた昔の娯楽映画は案外大人だったのかな、となる。昔の娯楽映画もそこまで単純に白黒分かれてたワケじゃない。でもナチは絶対悪だった。それは要は「世界は単純じゃないが、それでも許してはいけないものはある」ってことでしょ
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ギリシャの哲学者が「なぜモノは落ちるか?」と聞かれて「全てのモノは大地から生まれた。モノは生まれた場所へ帰ろうとしてるのだ」と答えた話が好きなんだよね。これは間違った答えだけど、なんか一瞬「成程な」となる。万有引力という正しい答えをしってる我々より、遥かに考え抜かれた答えだと思う
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「映画は90分がベスト説」に関して三一十先生が「長い夢を見ると夢の途中なのに「あっ!これは夢だ」とわかる時があるように、映画を見てて「コレは映画だ!」とあらためて気付かされる瞬間が90分あたりにある」と指摘しておられた。コレは本当にすごい指摘だと思うよ。これは100億RTされないとダメだ
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年配の人はよく「昔の脇役は顔に味わいのある俳優が多かった」と言うけど、もうこの「味のある」という表現は伝わらん気がする。押井さんが前「生身の人間が持っている情報量は膨大だから、デジタルで再現するのは難しい」とボヤいていたけど、もしかしたら「情報量の多い顔」の方が通じんじゃないかな
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多分、寅さんは当時の人達から見ても「普通に迷惑な人」に見えたと思うんだけど、同時に「この人はキャラを演じてるんだな。そうしないと人と関係な持てないんだな」ということは分かってて、そういう「生きて行く上でキャラを作る必要があった人」の哀しさみたいなものも理解してた気がするんだよね。
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塩田監督が「寅さんは「寅さん」というキャラを演じてる。そのキャラを演じないと世間と関係を持てない人だ。でも女性と真剣に向き合おうとした時に、キャラが壊れそうになる(でも壊せない)瞬間があって、それが悲しい」と評したのを「寅さんは今の視点で見るとありえない」と議論になる度に思い出す
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「ふん、あんなもんにハマる老人どもは今まで〝本当の学び〟をしてこなかったのだ」とイキってる人達が妙に多いけど、なんか、そういう人こそがハマる気がすんですが。「人間が何かにハマることにはそれなりの理由があるはずだ。だからもしかしたら俺も歳を取ったら…」という可能性を一切考慮しない人
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笑えないし、ネタにもできないよ。数十年後の我が身じゃ。コレは。
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親戚の飲み会に行くと、ひろゆきやホリエモンの尊敬されっぷりにびびる。それも若者ではなく、インテリ気味の中年や老人の賛美が多い。彼らにとって「学ぶ続ける」ってのは大事なことで、でも本はもう読めないから「最先端」のyoutuberに触れることで「俺は今も学んでる」という姿勢を確保してる感じ。
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橋本治先生は「桃尻娘」を書いた時に「この女子高生はリアリティがない」と年配の批評家に言われて「実際にこういう女性は世間にいるし、これは私だ!という感想も多いのに…俺の書き方が下手ということか?」と悩んだが、ある日「あ、これは〝私は知らない〟の言い換えだ」と気づいて吹っ切れたそうな
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実際にこういうことはよくあるんだろう。或いは「俺、このキャラ嫌い」を「リアリティがない」と言い換えてるとか。しかし、先生も書いているが、これは大変ケシカラン表現と思う。「お前の存在はリアリティがない」と言うのと同じだからだ。下手や嫌いの方がいい。この話は今の方がよくわかる気がする
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昨夜も書いたけど、木下恵介の「黒澤の『生きものの記録』はなぜコケたか?」の分析が凄い。「東京にあんなに空襲があっても、僕達は死の恐怖を切実に感じなかったじゃないか。黒澤君の誤算は”みんなが死の恐怖を切実なものと思うはず”と考えたことだ」っての。コレ、絶対、今の人から出ない見方だよな
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SNSで定期的に話題になるネタだが、そろそろ淀川長治の酷評をまとめた『本当はコワい 淀川長治』的な本をどこかが出すべきだと思う。「他人の好きを否定してはいけない」という風潮が強い昨今だからこそ、どんな映画も褒めると誤解(?)されている淀川の映画酷評本を出すことに意義があると思うのだ
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『ジョーカー』社会の中で上手に振舞うことが出来ない男が、社会的良識を徐々に捨てることでダンスを踊れるようになる過程を連想してくらされ。悪の優雅さはそういう社会の規則や、良識という「他人の目」から解放されることで生まれる「自由な/自分の振る舞い」でもありやす twitter.com/madanaizo/stat…
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最近の映画の悪党が美しくないのは、それを「悪」と認識してない(知識がない)か、或いは「悪」に耐えてない(「食ってく為には仕方ない!」「世界を変える為に仕方がない!」と言い訳してしまう)からだ。だから今こそ、主人公の前でべらべら計画を話す(止められるなら止めてみろ…と)悪党が必要だ
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「悪」は学のある人間がやればやるほど純度が高まると思う。言葉は悪いが、学のない人間なら「この人は何が善で、何が悪か判別がつかなかっただけだ」ともなりえる。007のジョーズとかはコレだな。でも、007のかつての悪党達はそれを悪と認識した上で、平然と乗り越えるから美しい。美しかった(過去形
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007の悪党は生きてて凄く楽しそうだったのに、ある時期から急にツマンなそうな顔しだした。「善」は今の(面白くない)社会システムを維持する側の、制約の多い存在だ。でも「悪」は「そんなん知るか!」と好き勝手振る舞うから人生が楽しいはずで、その楽しさがある種の「美しさ」を生むはずなのだが
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(定期)昔の映画の悪役がベラベラと自分の計画を話すのは、自分のやってることを「犯罪」ではなく「芸術」と思ってるからです。「止めれるものなら止めてみろ」と主人公を挑発する行為含めて。私に言わせれば「35分前に実行」するような野暮天が増えたから、映画の悪党から優雅さが消えたんですよ↓
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日本映画の脚本の話。以前黒沢清監督が「脚本は”文学”ではなく”設計図”だが、日本では金を出す側がそれを文学としてしか読めない。所謂”人間”を描いてないと、良さが理解できない人が多いのだ。そして文学と化した脚本を現場でなんとかマシなものに変えるのが監督の仕事」とボヤいてたのを思い出したり twitter.com/madanaizo/stat…
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俺が頭にあるのはsnsやサークルの交流関係のことなので、家で両親から暴行を受けてるとか、クラスで虐められてるという人は、もちろん別だよ。念のため。そういう時は「この人達にもいいとこはあるんだ」とか思わずに、さっさと逃げてくれ。大人に相談してくれ。
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頭の良い人は「こんなことはやってても無駄」とすぐ分かっちゃう。分かっちゃうから「無駄なこと」をするのが苦痛になる。でも人付き合いは「無駄なこと」の連続だし、なんなら世界は「無駄」で出来てるじゃないか。そこに豊かさがあるじゃないか。その「無駄なことをしてる苦痛」の先に信頼があるんだ
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で、今はコミニュケーションがsns中心だからこそ、いかに自分で自分なりの「拘束具」を作るかが重要と思う。余談だが、俺は映画館が好きだが、それは映画館には「拘束具」の役割もあるからだ。拘束がなければ10分で見るのをやめる映画はザラだ。「この映画は見切った!」とね。そして結局自分が損する