401
「じゃあ、その異世界ってなんだよ?」と言われればね、やっぱ「死の世界」と思うんだ。つまり、小説家は探検家なんだ。生きてる奴より先に死の世界を冒険して、その冒険談をまとめたのが「小説」なんだ。そして読者は一時的に「死の世界」に入ることで、この「生の世界」を相対化できる…みたいなね。
402
つまり「感動」したければ、この世界でもできるじゃないか。高校野球の決勝でも見ればいい。いや、低俗な芸術でも「感動」は出来るよ。人間なんて大したもんじゃないからな。模倣品でも、盗作でも感動は出来るんだ。でも「客をどこかへ連れていく=連れていくべき異世界を作る」は芸術しかできんのだよ
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で、三島は「感動というのは現在の一瞬間に感じる雷のようなもの(必要ない)」とも言うんだけど、ここで「感動=現在」という指摘が出てくるのが面白いんだよね。みんな「感動」をいいものと思うけど、実は「感動」は客を「異世界」から「現在=現実」に引き戻すもので、寧ろ「邪魔」なんじゃないか…
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三島由紀夫は「小説は”読者をどこかへ連れていくこと”が一番重要なんだ。”どこかへ連れていく”に比べたら”読者を感動させること”は全く重要じゃない」みたいなことを言ってて。俺も映画(館)に求めるのはコレなんだよね。ツマンなくてもいいから、俺を完璧な異世界へ連れてってくれよ…みたいな。
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この「それでいいのか」は海外の客に対してではなく、東京都に言っているのだ。
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黒沢監督が語る「海外の客が日本映画に求めるもの」話で、もう一つ面白いのがコレ。そして海外の客は監督の「物語の舞台は東京だけど、東京だと撮影許可が下りなかったから、千葉で撮った映画」を見て「コレが今のトーキョーか!」と満足して帰っていくらしい。それでいいのか
twitter.com/madanaizo/stat…
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シンゴジの米国公開時。海外のファン(GFWが好き)達が「まさに日本のゴジラ映画だ!と感じられて嬉しかった」と語ってて「へぇ」となった。日本だと「今までのゴジラと違う(初代を除く)!」という感じで語られたでしょ。「俺達の考える日本らしさと、彼等の考える日本らしさは違うんだ」と思ったよ
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「海外で評価される」は「海外の人でもわかる部分が評価される」ということなのかも。で、それ自体は良くも悪くもないが、それを「だから凄い」と錯覚したら痛い目にあったり。「違う国の映画だから分からない部分もある」「同じ人間&同じ映画だから分かる部分もある」くらいの態度でいた方がいいかも
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これと同じように…先日『ドライブ~』に関しても議論になっていたけど…「日本人からするとマッチョに見える男が、海外の人からすると繊細な男に見えて、そこが評価される」みたいな現象も多分あるんじゃないかな、という気がする。そう考えると海外で評価されることも、手放しで喜んでいいか分からん
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黒沢清監督が「僕は日本映画特有のウェットで、ダラっとした描写が嫌いだけど、海外だと”日本映画のそこが良いんだよ!”という人が結構いる。そして僕の作品にも目ざとく…僕が消したつもりの…ウェットさを発見して称賛する」とボヤいてて、凄く面白かった。いやー、こういうのは絶対あんでしょうねぇ
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うろ覚えだけど、黒沢清監督が「映画学校で出来のいい生徒がいると、つい「うちの現場に来ない?」と誘いたくなってしまうが、それは生徒を使える労働力として見る発想だから、絶対良くないんだ」みたいなこと言ってて。やっぱ大事よね。こういう「けじめ」みたいなの。
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何がヤバイって、反論の内容が「いや、ウチはちゃんと働いた分の報酬は出してる!想像でモノを言うな!」じゃなくて、「生徒のためになってるんだ!物事は単純じゃないんだ!」だったからね。それを何度も繰り返してる。正直怖かったよ。
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以前「映画学校〇〇は”生徒に映画の作り方を教えます!”と言いつつ、実際は「映画を作る金がないから”映画の作り方を教える”と称して、生徒をスタッフとしてこき使う場所だった」みたいなのがあるんじゃないかと不安だ…」と呟いたら、関係者から長文の反論リプライが来て「こりゃヤバいな」と思ったよ
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TSUTAYAよ。お前の存在の中には、お前が潰していった幾多の個人経営レンタルビデオ屋の”怨念”が含まれてるはず。だがお前が消えてしまえば、人々はそれらの存在に想いを馳せることすらなくなるだろう。彼らが消えてもレンタルビデオ屋=お前は残る。だがお前が消えればレンタルビデオ屋自体が消滅する
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もはやお前しか『複製人間の恋』のVHSの色焦たパッケージや、大げさ解説文を覚えている者はいない。もしお前すらそれを忘れたら、人類は『複製人間の恋』のVHSを完全に抹殺し終えることになり、作品は永久に無に帰されてしまうだろう。全ては”レンタルビデオ屋”に対するお前の忠実さに掛かっているのだ
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TSUTAYA。最近「潰れるかも」みたいな話題が多いけど、TSUTAYAには幾多の「俺の街の個性的にダメなレンタルビデオ屋」を潰した責任があるからな。TSUTAYAという存在の中には、TSUTAYAによって潰れた幾多のレンタルビデオ屋の「怨念」が含まれてるのだ。ちゃんとその責任に応えるためにもサバイブしろよ
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「偶然と出会う~」は坪内祐三が小林秀雄を評して言った言葉。小林秀雄はよく「自然に作品を見るのが正しい!」と言うが、彼の「自然」にはコレだぞ。学生時代に一日五冊(学校に行くまでに読む本A、学校にいる間に読む本B、帰る時に読む本C)読んでた奴のソレだ。俺達凡人が真似しても仕方ないぞ、と
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天才が言う「映画は自然に見ればいいんだよ!」もコレと同じだからな。彼らは教養があるから「自然に」を実現できるんだ。つまり「こういう見方は〇〇だな。××的で偏ってるな」と常に自分をチェックできるから、最終的に「自然に」を実現できるんだ。あれは実は達人の技なんじゃよ。
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天才が言う「本屋で「偶然」こんな本を見つけて読んだんだけど、凄く良かったよ!」みたいな話は信用したらイカンぞ。いや、彼は嘘は言ってないのだ。ただ彼にはどんな偶然も必然に変えるだけの教養(あらゆる本に対応できる教養)があったからこそ、そう思えたのだよ。偶然と出会うためには教養がいる
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こんだけ『タコピー』に関する「考察」が溢れてるのに、一方で「批評は嫌い」みたいなのがある。これは一体どういうことなのか。彼彼女の中でこの二つはどう区別されてんだろうか。まさか「考察は”好き”の別表現で、”好き”は売り上げに繋がるからセーフ(作家の事情を汲めるが良いファン)」とかじゃ…
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大きな書店や図書館は「歩きながらでないと出会えない、発見出来ない本がある」ということを人に教える場所だと思う。「歩きながら」というか「本に出合うにも速さがいるんだよ。そして”これくらいのスピード”じゃないと出会えない本もあるんだよ」ということを教える場所。
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前も書いたけど、この呟きに対して「”破局もの”って保守的だよ。いかに破局が進んでも、社会には守るべきものがある!と説教する映画だからね。その時に提示される”守るべきもの”のリストが気に食わん。特に出産育児が全肯定されるのが嫌だ」と言ってる人(鍵)がいてさ。凄くいいな、と思ったんだよ。 twitter.com/madanaizo/stat…
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橋本治は「ちゃんと呆れること」の大事さを書いてた。上司が思い付きでものを言った時に、まともに反論すると、そのことで思い付きが一つの「意見」になってしまう。それを避けるために「は?」と呆れる必要が…と。「〇〇オタクが世界を善くする」系の言説は基本「反論する前に呆れるべきもの」と思う
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大学で文学部だったんだけど、授業中に先生が大真面目に「僕は推理小説はクダらんと思う。推理小説は作者が情報を小出しにする。つまり情報を隠してることがイカンと思うのだ。小説は真実を書くべき」と主張して、唖然としたことがあった。今は「その根性は買う」「そういう人がいてもいい」と思ってる
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こういう話をすると必ず「何を良いと思うかは人それぞれ」と言う奴が出てくる。でも「人それぞれ」は話の出発点であって、ゴールじゃない(そして議論の途中で「人それぞれ」と言うと話が全部終わる)。違いがあるとはいえ同じ人間なんだ。「ここまでは同意できる」と確認するために話し合うのも大事よ