どうそく(@madanaizo)さんの人気ツイート(新しい順)

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前も書いたけど… 『レディ・プレイヤー1』はよく言われるように「”現実”の大切さに気付く物語」ではなくて、「自由で楽しい空間」を維持するためには「具体的な現実の場所」が必要で、その「場所」を守るためには、人間は時に「現実」の中で戦う必要もあるんだ…という物語と思う。
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以前「”青春”なんて所詮はフィクションだ」みたいな話題が盛り上がってたけど…佐藤忠男が「今度『わが青春に悔いなし』という映画が公開される」と知った時の反応とか凄いよ。「青春」なる言葉の持つ重みが戦後と今じゃ全然違う。まだ見ない内から「いいなぁ」と言ってる奴がいた…とかもう想像できん
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サイゼリヤも正垣泰彦氏が「客が繰り返し食べたくなるような”麻薬”のようなものを出せばウケる…!」とひらめいたことが成功の切っ掛けだったとか。そこから「世界で一番売れてる野菜はトマト…穀物は小麦…ならパスタだ!」とひらめいて、イタリア料理屋を始めたとさ(この理屈は結構「成程…」となる
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コレもなんかで話してたけど、淀川長治に自分の映画を見せると、そういう「ここはもう”この程度”でいいか…」的に撮った場面が全部バレるらしい。「淀川が〇〇をこう酷評をした」みたいな話よりも、こういう話の方がよっぽど「淀川、怖い…」と思う。
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カメラがどんどん逃げちゃうんだ、っていう。 あと、なんかの時に「映画作りは編集が一番楽しい」とか「編集が一番大事」とも言っていたので「撮れた映像」にそんなに重点を置いてない…というのもあるのかもしんない。
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北野武は「俳優が上手く演技出来ない時はどうする?」と聞かれた時「正面から俳優を撮っていた場合は、横から撮るようにする。それでダメなら最後は遠くから撮て、それでOKにする」と答えていた。北野組の撮影は雰囲気がイイ…という話を以前聞いたけど、監督のこういう考え方もソレと関係してるかもな
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「韓国の作り手達は国の援助を受けてやってるから不純だ。日本の作り手は成功してないけど、貧乏でも自分の力だけやってるから純粋であり、その点で韓国作品より遥かに偉い」みたいな発想なんだろう。で、俺はこの国のお偉いさん達も、このオッサンと同じ発想を持ってるんじゃないか…と疑うんだよ。
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前も書いたけど、数年前飲み会で「最近の韓国は映画も音楽も凄い」という話が出た時、一緒にいたオッサンが「韓国は国が作り手に金を出してるから(ニヤニヤ」と言ったことがあったんだ。このニヤニヤが不思議だったんだが、多分彼の中で「自分の力だけで成功する者こそ本物」的な発想があったんだろう
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「藤木タツキや野田サトルの漫画は映画を参考にしてる」というより、「(日本)映画は今やそれ自体で進化するのをやめた。映画は面白い漫画やゲーム等を作るための”参照元”に堕ちてる」が本当だと思う。そしてその堕ちた(日本)映画界が、かつての日本映画を参考に作った漫画を映画化する…というがね
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でも今は一部のオタクの方がよっぽどそれをやってるよなぁ、と。いや、あんまり性別云々言うのもダメなんですけどね。 でも、深刻過ぎて始められない人とか、最初から最後まで軽いノリ(楽しそう)で全然成長しない人とか…そういうのは自分のまわりを見ても(ここで終わり)
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『オタク女子』「なんか楽しそうだし、面白そうだからやってみる」みたいな言葉が何度か出るんだけど…俺はこの「楽しそうだから、まずはやってみよう」から始めて、どこまでいけるか。或いは「楽しそう」から始めて、どこまで人は立派になれるかを「芸術家」に示して欲しいと思ってたんだよね。昔は。
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俺は芸術家の役割の一つに「”こんなふざけた人間が世の中にいていいのか””こんなにふざけてるのに破綻なく暮らしていけるのか”を、作品や生き方で示す」があると思うんだけど、本作や『また沼で溺れてみたけれども』を読むと「今は女性のオタクの方がよっぽど”芸術家”っぽいよなぁ」とは感じなくもない
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作品を味わうにも「教養」がいるからね、という奴はこういう単純なものを見落とすからイカン。〇〇鑑賞はね、常に身体的行為なんですよ。
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味わうためにこれだけ力がいるんだから、それを「自分のもの」にするためには更に力がいる。俺は冗談で言ってるんじゃない。こういうことをちゃんと言わないと、近々『七人の侍』を見ても「作品のパワーが凄すぎて、疲れた…最後まで見れなかった…」という奴が出て来るぞ(そしてそのジャンルが滅びる
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「今はそれに耐えるだけの力がないから、とりあえず肉を食って力をつける」っていうね。どうして、コレ(美しいものを味わうためには、客にも体力が必要。だから常に心身を鍛えろ。時間がない時は~という応急処置をするのだ)が指摘されないんだろう。こういう「技術」を教えて欲しい人は多いと思うよ
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『オタク女子が、4人で暮らしてみたら。』冒頭に「大好きな”おそ松さん”三期が制作決定。期待と不安に襲われた彼女達は”カロリーをとらないと、この事実を飲み込めない”と、肉を食い始めた」という記述があって、凄く正しいと思うんだよな。美しいものを味わうためには、それに耐えるだけの力がいるよ
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ある本に「黒沢監督は普段穏やかなのに、ある時に「あの車が邪魔だから、移動するまで待つ」と数時間待ったことがある」という話が出ていた。監督も「今ならしない」と苦笑していたが…この辺に「いい人」と微妙に異なる(信念が要請する)何かを感じなくもない。監督は監督なりに「怖い人」な気がする
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最近は黒沢清監督の聖人っぷりが話題になることが多い。実際にスゲーいい人なのだと思うが、単純な「性格がいい」とも微妙に異なる気がする。もしかしたら監督には監督の従うべき自分の映画哲学や信念があって、その哲学があの紳士的な態度を要請しているのではないか。そういう気もちょっとするのだ。
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そこを「貶し方の激しさ、面白さ」だけ取り出して「いやぁ、淀川は怖いねぇw」とやっても全然意味がないんじゃないかな。我々が学ぶべきは「貶し方の面白さ」ではなく、その「貶し」を導き出した映画哲学の方だと思う。
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「淀川長治が優しい?あんなに怖い人はいない!」みたいな話も本当はコレで。「怖い」といってもその怖さは「性格や口が悪い」とは別で、自分の映画哲学が要請する生き方から出てくる怖さと思う。「オリバーストーン作品の切り捨て方が酷いw」も、飽く迄その要請に従った結果、出てきたものという感じ
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昔読んだ本に「ニーチェは実生活では付き合いにくい人だった。スピノザは賢者のように穏やかな人だった。でも、これは彼らが自分の哲学に忠実だった=自分の哲学が要請する生き方に従った結果で「性格がいい、悪い」とは全然違う」みたいなことが書いててさ。色んな出来事がある度に思い出すんですよね
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「ナンセンス!異世界に連れていかれることが、俺にとっての”感動”だ」という貴方に贈る、穂村弘氏の「表現には”共感=シンパシー”と”驚異=ワンダー”があり、詩や音楽の本質はワンダーだ(でも今は圧倒的にシンパシーの時代)」発言。貴方はワンダーに感動するタイプなんすよ bookshorts.jp/homurahiroshi/
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『たわわ』的なものを、昔は気持ち悪く感じなかったけど、色んな人の呟きを読む内に気持ち悪く感じるようになった人も結構いると思うんだよ(勿論最初から嫌だった奴もいる)。つまり、見てる対象は変わらないけど、見る自分が変わったワケで。これは「教育」の結果よね。やっぱバカに出来んよ。教育。
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まぁ、小説は兎も角。 先日『ゴッドファーザー』4K版を映画館で見たよ。俺はアレ、実に退屈な映画だと思うんだな。大して面白い映画じゃないんだ。でも最後まで見るとまた最初から見たくなる。あの感じを味わいたくなる。やっぱりそれはあの作品自体が一つの「異世界」だったからだと思うよ。
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だから時々「死の国」から戻ってこれなくなって、そのまま死んじゃない文学者がいるんだ。