どうそく(@madanaizo)さんの人気ツイート(新しい順)

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「みなさんが映画を見ていると思う時には、映画を見るのではなく、自分自身を見ているのです…映画を見るというのは非常に稀なのです」とね。 この前Kindleunlimitedでよんだ柳下さんの本に引用されてたペドロ・コスタの言葉。さすが、いいこと言うね。私のTLだとこっちの方が支持されそう。
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「一本の映画を見るというのは非常に困難なことなんです…それは現実にものを見るということです。冗談ではありません」 「映画を見るということは、登場人物と一緒に涙を流すことではありません。これは本当に重要なことです。もしもこのことがわからなければ、何もわかっていないということになる」
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宇多丸の「映画を見て泣くのが好きという人は、泣きたいという感情を弄ぶのが好きなだけじゃないの?」という嫌味が好きなのだが、同時に「別にええやん」という気にもなる。映画から刺激される感情なんて、本物の怒りや悲しみに比べたら全部偽物。一時的なものだよ。それを垂れ流して何が悪いっていう
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俺も震災の映像を見てもヘラヘラするタチだが、同時にそのことを後ろめたくも思っている。そういう人は案外多いだろう。だから、そんな彼彼女のために「震災の映像を見て人が泣く場面があるドラマ」を作るのだ…とかも、あるのかもしれない。
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「泣かせる演出がうざい」とか「現実だと意外と泣かないもんだ」ではなく、「こんな時は泣くのが人のあるべき姿ではないか。だから、現実はともあれ、映画の中では泣く人を見せてほしい。そのことで人が死んでも、家族に去られても泣けない自分(案外多いのでは?)を癒して欲しい」ということなのかも
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よく映画好きの間で「日本映画はやたら人物が泣くのが嫌だ」という話が話題になる。俺も嫌いなのだが、先日「親友が死んだ時は泣かなかった。歳をとると泣けなくなる。泣かない自分が悲しかった。だから映画で人が死んで泣く場面があるとホッとする」みたいな話を聞いて、そんな見方もあるのかとなった
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「人をコンテンツとして見るな。画面の向こうには生身の人間がいるんだ」とよく言われて、俺も「そういうの大事だよ」とも思うけど… 少しだけ「でも人間って、存在自体がちょっとだけコンテンツなんだよ。存在要素の中にフィクションが含まれてんだよ」とも思う。なので俺の呟きは好きにするがいいぞ
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…みたいなツイートを前に見て(すぐ消えた)「書いてる側からすればそうもなるよな」と思ったよ。 あと、作品に対して不誠実な態度なのに、自分では「俺は世のインテリにない誠実さがあるのさ」「著者より俺の方が倫理的さ」みたいなツラをしてるのが、イラつくんだよ、とか。そういうのもありそう。
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SNS論客はどんな本を読んでも、結局最後は「いつも自分がしてる話」にもっていく。要は本をダシにしたワケだ。凄く安易に。そんな時に大学の先生の書いた書評読むと「ちゃんと本のことが書かれてる!書評ごとに違う話をしてる!」と感心する。で、感心した後にSNS見ると、論客達の幼稚さにゲンナリする
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「教養」という言葉を弄んでしまったので、一応貼っておこう。教養は能力や知識の問題ではない。「教養は文化が自己にあてがう価値や規範の問題」だ、という話。 そして大正時代の昔から、教養主義批判こそが「教養」であり、無邪気に教養主義が賛美された時代はほとんどない…(『グロテスクな教養』 twitter.com/madanaizo/stat…
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普段年がら年じゅう「ロックは死んだ」「いや、死んでない」と議論しとるオッサン達は、秋元康が『好きというのはロックだぜ!』を書いた時は少しは怒ったんですかね。俺はコレ、本当にあんまりだと思ってるよ。みんなが「好き」をやたらめったら美化して、甘やかすから、こんなことになるんや。
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俺としてはかなり直な下ネタ(に関する)ツイートをしたつもりなんだけど、文章が下手すぎて「なんかいいことを言ってる風のツイート」になってしまった。こんなにのびていいのだろうか。俺的には「リョナ絵はちょっと下手な方がいいネ。ヘタにうまいと逆にヌケねぇよ」みたいな話をしてるんですよ?
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偶然と出会うためには教養がいる。教養がある奴だけが、たまたま目に入った本だかDVDを自分の運命の一冊一本に変えることができる。その偶然を必然に変えることができるのだ。坪内祐三が確かそう書いていた。渋谷TSUTAYAへ日課のように通う映画マニアたち。偶然と出会えるように頑張ってくれ。
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「最近ネトフリ映画を見てて、序盤からテンポよく進んでたりすると、あー、こうやって俺を飽きさせないようにしてるんだな、とか思って変に醒めるときがある」「映画はもっと堂々としてたらええんや」という相互氏の名言が消えとるやないか。
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「教養とは、学歴でない。自分ひとりで時間が潰せる ことができる能力である」と中島らもも書いとった。TSUTAYAで二時間過ごせる貴方達はマジで教養がある。
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大林宣彦監督の「完璧な技術で作られたものより、不完全な技術によって作られた作品のほうが人の心をうつことがある。それは「こういうものを描きたい」という作り手の意思、つまり心が画面に映るからだ」という発言は、今後ますます重要なものになるだろう。なってしまうだろう。たぶん。良くも悪くも
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俺は文章や絵が下手な作者が、明らかに自分で興奮しながら書いてる特殊性癖絵や小説が好きなんだ。下手な分「こういうものを描きたい」という作り手の心が画面や文字に映るからだろう。AI絵やAI小説が増えた結果、そういう「下手な作品」が「人間的な温かみがある」と再考される時も来るのかもしんない
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>多分世の中には「誰かに文章化してもらって、初めて価値に気付く」人も多いんだ   見たはずなのに、誰かに言葉にしてもらうまで認識できない人。或いは認識はしてたけど、それを他人が文章で指摘してるのを読んでる内に「なんかすごく大事なことに思えてきた」となる人ね…
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俺は宇多丸氏が『文化系のためのヒップホップ入門』を推薦した時の言葉(世間には僕を含めて、まず意味から説明されないとそのジャンルに入れない人が結構いる)が凄く重要と思ってるのだが… 多分世の中には「誰かに文章化してもらって、初めて価値に気付く」人も多いんだと思うよ。特に文科系には!
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「自分では結構な○○好きと思っていたけど、SNS見たら自分より○○に情熱をかけている人(俺は映画館で劇場版を100回見たよ!とか)がいて、自分なんか○○好きのうちに入らないな…と凹んだ。凹むうちに○○への情熱も冷めてしまった」みたいな人は案外多いかもね。そして、そんな自分に失望してる人
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最近「好き」を通して他の人と繋がることが出来ました、みたいな物語が多いけど(『メタモルフォーゼの縁側』とか。いい映画だったけど)、逆に「好きなものが出来たことで周囲から浮いた。周りの人がバカに見え出した」もあるはずで。そういう「好き」の怖いの部分に触れた物語が増えてもいいとは思う
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マニアは世界の複雑さとやらに耐える前に、その単純さに耐えろ。その単純さの中から、普通の人が感じてるはずの豊かさを見出すんや…
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俺は「世間一般においては会話の内容より、会話をした、という事実の方が重要なのだ。マニアはすぐ(出来もしないのに)内容のある会話をしたがるからイカン。普通の人がしたいのは「ある映画を見た」という話であって、監督論や映画論の話ではないのだ」ということに、去年ようやく気付いた男なので…
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「体系的に学んでないならそれは知識とは言わないよ」はそんなでもなかったけど、なんかの漫画で「アンタはずっとトリビアな知識を披露してるだけじゃないか。それは〝会話〟とは言わないよ」という台詞を読んだ時は死ぬほど刺さったよ。それが会話じゃないなら、私のような人間はどうすりゃいいんです
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ただ普通である…というよりは「普通になる」ためだけに今まで散々苦悩してきて、そしてソレをロクに達成できないまま(その苦悩も理解されないまま)死ぬだろう…と考えると、今すぐにでも海にドボンしたくなるね。ホント。