どうそく(@madanaizo)さんの人気ツイート(いいね順)

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そういうのを考えると「早見沙織が『ローマの休日』の声優をする」というのはありがたい話ですよ。「早見がやるなら、白黒映画だけど見てみようかな」となる人達が少なからずいる=「見る」まで行ってもらえるワケで。こういう「ちゃんと見る」までもっていかせる企画が更に増えてくんないかな、と思う
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ちゃんと子供時代に子供やってさ。「あー、友人と酒飲むのも飽きた。女遊びも飽きた。ゲームも飽きた。もう”楽しい”は飽きたよ」と、子供であることに”飽きることが出来た”奴だけが、「子育てもする、仕事もする、ボランティアもする」という「立派な大人」になれんじゃないか。 という感覚が今もある
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笑えないし、ネタにもできないよ。数十年後の我が身じゃ。コレは。
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昔、国語の教科書批判で「みんなで一緒に読むより、一人で孤独に読んだ時の方が生きる小説を載せるのは如何なもんか」「夜読むべき小説を昼に読むことで、子供は「これが”小説”というものなら、俺には必要ないな」と思うかもしれないぞ」みたいな指摘があって、コレはコレで一理あるかもな、とは思った
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が、しかし。しかしだよ。でも不幸に関しては絶対米津より、俺の方が馴染のある感情のはずなのだ。なるほど、米津には米津なりの不幸があるだろう。だが、それでも明日の生活にも困る俺の方が不幸の”量”は多いはずだ。それが量に換算できるなら、だが。にも拘わらず、彼の「不幸」な歌は俺の胸をうつ。
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最近の映画の悪党が美しくないのは、それを「悪」と認識してない(知識がない)か、或いは「悪」に耐えてない(「食ってく為には仕方ない!」「世界を変える為に仕方がない!」と言い訳してしまう)からだ。だから今こそ、主人公の前でべらべら計画を話す(止められるなら止めてみろ…と)悪党が必要だ
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SNSで自分の話はしない方がいい。ワシの若い頃は凶悪犯罪が起こる度「若者の心の闇が~」と言われたが、今はその「心の闇」が恋しい。今は家の外どころか、心の中まで「公共」の場になっちまったからな。そしてみんな疲労してるワケだ。だから思ったこと全部を投稿するな。マジで「心の闇」が消えるぞ
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要するに「地頭の良さだけで描ける世界なんて限界がある。実際に触れてみないと分からんものは沢山ある」ということだと思うんだよ。それは「俺は地頭がいいから、どんな問題も自己流に語れるぞ」って態度とは真逆にあるもんで。武さんが(お笑い界では)教養があるように見えるのもコレが理由でないか
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俺も昔「話し方教室」みたいなのに行ったことあるの。そしたらココに書かれてる欠点全部指摘された(特に②)。それを全部直したら…最初に結論話すとか…凄く「普通」に話せたよ。でも自分的には全然「感情をこめて話してる感じ」がなくて虚しかった。でも周囲は喜ぶんだ。会話ってなんだろうと思った
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我々がハリウッドのトンチキ日本描写を楽しめるのは、日本国内に既に山のように「トンチキでない日本描写」が…つまり普通の日本映画があるから。それ以上の理由はあまりない。その意味で我々は国内においては「主人」であり、他国の大作映画で「正しい日本描写が行われた!」と喜ぶ方が「奴隷」っぽい
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↓先日鍵垢氏が「歳をとると「こういうのが””新しい”作品だ。”面白い”作品だ」の”新しさ”や”面白さ”に飽きてくる。そうなると段々「昔好きだった作品を再読したら、新たな良さが分かった」「初めて良さが分かった」みたいな体験が面白くなってくる。こっちは飽きないんだ、と呟いてて「成程」となった
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ぼかぁね。複雑な人間心理だか、社会問題だかを扱った日本映画でよくある?、主人公が景色を見ながら佇むラスト。ああいうのを「YESでもNOでもない答えを描いたラスト」「口にすれば嘘になる感情を風景描写に託して描いたラスト」と甘やかしちゃイカンと思うよ。金を払ったんだ。お前なりの答えを出せ
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[『たたり』とかもそうなんだけど「その描写自体は怖くくないけど、その描写を可能にしたもの(作り手の「冷静さ」や、戦争体験等)は下手なホラー映画より怖い」という感じは、昔の映画を見てるとよくある。戦場で人殺したことあるスタッフとか普通にいたんろうなぁ… twitter.com/madanaizo/stat…
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さえぼう先生の批評本を読んでるけど、冒頭で「自分の分析を明確に文章化できると、作品を他の人とシェアできて楽しい」「批評はコミニュケーションを生み出し、作品のまわりに共同体を作る道具でもある」とハッキリ書かれてて、ちょっとビックリした。「コミニュケーションの道具としての批評」という
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「最近ネトフリ映画を見てて、序盤からテンポよく進んでたりすると、あー、こうやって俺を飽きさせないようにしてるんだな、とか思って変に醒めるときがある」「映画はもっと堂々としてたらええんや」という相互氏の名言が消えとるやないか。
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『この世界の片隅に』にしろ何にしろ。例えば「戦時下の日常を丁寧に描く」「絶望的な状況でも逞しく生きる人間の姿を丁寧に描く」をやる。するとその「丁寧さ」が魅力的過ぎて、逆に「実はいい時代だったんじゃないか。酷い状況でも人は案外やっていけるんじゃないか」となっちゃう人は出て来ると思う
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前も書いたが、小津安二郎に「どうでもよいことは流行に従い、重大なことは道徳に従い、芸術のことは自分に従う」という名言があるが、芸術家は自分に従ってるからこそ、話が面白いのだ。そして俺達消費者の話は常にツマラナイ。俺達にとっての芸術は所詮「流行=どうでもよいこと」に過ぎないからな…
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最近「好きというのはロックだぜ」「好きをなめるな」「好きをつらぬけ」みたいな作品が多いのだが、ああいうのを見る度に「感情を商売の道具にするな」と思ってしまう。正直SNS上で感情がコミュニケーションの道具と化してることもモヤるのに、商売になるともうついてイケない。本当にコレでいいのか
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人間。「俺もああなるかもしれないから、注意しよう」とか、「アイツがああなったのにはそれなりの理由があるかも…一応理解しないと」という発想がないと、人を見る目が冷酷になるな…ということがSNSの「オッサン」弄りを見てると分かるな。「ヒントにしよう」という考えがないと、他人はネタになる
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オバチャン連中と話すと、よく「映画〇見て面白かったわ!話はサッパリ分からんかったけど!」という言葉が出るんで、結構怯む。「話は分からんが、面白い」とか、若い映画好きは中々言えんだろ。でもオバチャンは言える。オバチャンには「映画=分からんのが普通。分かるとこだけ楽しめばいい」だから
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「日本のストリートピアノは超絶テクニックの腕自慢ばっかり」「曲芸みたいだ」というの。色々思うところはあるんだが、なんとなく人々の思う「凄い(こういうのが凄いプレイだ)」のイメージがどんどん貧困化してるんじゃないか…みたいな印象はちょっとかある。「凄い」が二種類くらいしかない感じ。
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僕はコレが音楽の力と思う。音楽の恐ろしさ思う。米津のような天才に限らない。昔の…戦争は勿論、311もコロナ禍も知らず、自分より若くして死んだ作家が、延々と愚痴を書いてる私小説を読んで、「リアルな人生の恐ろしさ」を感じることも多々ある。こういう時ほど芸術の凄みを感じることはないよ
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母は『ライトスタッフ』が好きで、公開時に何度も見たそうだが、内容は一切覚えてないそうだ。「マーキュリー計画が…」と説明しても「そんなんだっけ?」となる。でも『ライトスタッフ』の名前を聞くと「あれは良かった…いい映画…何度も見た」となる。幸福というのはこういうもんではないか、と思う
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「海外で評価される」は「海外の人でもわかる部分が評価される」ということなのかも。で、それ自体は良くも悪くもないが、それを「だから凄い」と錯覚したら痛い目にあったり。「違う国の映画だから分からない部分もある」「同じ人間&同じ映画だから分かる部分もある」くらいの態度でいた方がいいかも
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何度か書いてるけど「米国は戦前に「風と共に去りぬ」を作った」みたいな話より、戦中にも関わらず「ベラルゴシが実験の結果猿に退化してしまう映画」や「狂った科学者がゴリラから人間の女を作ろうとする映画」みたいなアホ映画を量産してた事実に「こんなに豊かな国に日本が勝てるはずないよ」と思う