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うる星やつらの新アニメ。今のところ面白くも楽しくもないが、この令和の時代に、所謂「内面」がない人物達が山ほど画面に出るアニメは貴重だと思うので、これからも見続けるよ。なんかさ、画面に「人間」が写ってないことにすごく癒されるんだよね。
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マダム、ある相互氏の名言を引用させてもらいますがね。ブラック企業もパワハラもセクハラも家庭内暴力も、ズボラな人間がイイワケの為に考え出したフィクションじゃないんです。この世界に実際に存在する「悪」なんですよ。彼らに同情しろ、とは言いません。でもそれが存在することを否定してはイカン
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日本映画界のトホホな状況を見ると「俺達には〝行き過ぎたme too運動は…〟とか言う贅沢はねぇや。行き過ぎどころか圧倒的に足りねぇ」という気分になるよ、ホント。米国はある程度行き渡ってるからこそ、批判もできるんだな。俺達にはまだ贅沢品だよ。「君達の気持ちは分かるが、しかし〜」なんてのは
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アーティストが「頭がいい」のは納得できるんだよ。色恋沙汰に関して詳しい。なんならウルトラマン等のオタク的な知識や情熱が自分よりあるのも受け入れられる。でも「不幸」に関してだけは、成功している君達よりも俺の方が詳しいはずだ。だから君達が「不幸」に関して何か言ってもダサまれないぞ!と
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エブエブ、後半で娘の方が「母さん、アンタの気持ちはわかった。でも私たちは分かり合えないし、私はアンタといるとツライ。だから別々の道を行こう」と言ってるのに、母が「でも私は諦めない!」とやる「感動」的な場面。正直「ひぇぇ」と声が出た。肝が冷えたよ。あそこは結構ホラーだったんだけど…
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川端康成の文芸時評は傑作よ。今も通じそうなのあげると、「今は不況だから生活苦を扱う小説が多い。だが、全てを疑う作家も生活苦にだけは甘い。彼らは己の生きづらさだけは愛してるのだ。そして作品は一般人の愚痴と同じ、常識的なものになる。面白いと言えば面白いが、どこに文学の有難さが?」とか
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「オタクは陰謀論にハマらない」でも「オタクは経済を回してる」でもいいが、好きで作品を見てるだけ(特に努力なんかしてない)なのに、そこに「だから偉いんだ、凄いんだ」というものまで引き出そうとする根性がコスいと思う。自己啓発っぽいよな、ありのままの貴方が一番(既に)最高!って感じの。
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10代の頃「映画を1日2本見る」ということが出来なかったんだよ。普通の人は映画を見たら、映画から貰ったエネルギーを実生活で生かすワケじゃないか。でも映画好きは映画から貰ったエネルギーを使って、更に映画を見る。そうやって見た映画を色々語る…というのが凄く不健康に思えて、抵抗があった
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何度か書いてるけど、最近はTVを見てもSNSを眺めても「こんな面白い作品を知らないと損する!」「〇は面白くてタメになる!」という「面白い」「タメになる」で溢れてるので、そこから逃れるために戦前の私小説のような「面白過ぎない。タメになる情報がない世界」に浸って、自分を整えてるトコはある
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不機嫌な態度を取ることで、自分の要求を通そうとするアレ。アレは絶対自分の家庭というか、両親のやり方を見て学んだんだと思う。「俺はお前らのせいで不機嫌になってる」オーラを出すと、周りが勝手に忖度してくれて、結果的に自分の要求が通るワケで。当人にとっては、結構「合理的なやり方」なんだ
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飲み会でするゲームとかあるでしょ。結婚式の二次会のビンゴでもいいや。ああいうのを「全然興味ないや」とやらずに、だからといって本気で勝ちに行って周囲を白けさせる(遊びだよ!遊び!)こともない。ほどほどに真面目に遊べる人を見ると「大人や…大人…」となってしまう。俺はコレが出来んのだ。
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美容院のお姉さん。昔は好きな服ではなく、似合う服を着てたが、40過ぎてから「ダメだ。このままじゃいつまでたっても”好きな服”を着れる日が来ない。”好きな服が似合う自分になる!”でいこう」と、好きな服バンバン着るようになった。そうすると不思議と服の方が似合うようになって来たらしい。いい話
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正直、普通に「え、ダメなの。こんなに自分をいじめてるのに」と思ちゃった。俺はそれまでかなり真面目に「自分で自分をいじめてる姿を晒せば、最後は全部赦されるんだ」と考えてたから。その思い込みをぶっ壊してくれた。いい経験だったよ。今でも夢に見てはうなされるけど。
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実際にこういうことはよくあるんだろう。或いは「俺、このキャラ嫌い」を「リアリティがない」と言い換えてるとか。しかし、先生も書いているが、これは大変ケシカラン表現と思う。「お前の存在はリアリティがない」と言うのと同じだからだ。下手や嫌いの方がいい。この話は今の方がよくわかる気がする
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水木しげるは初ゴジを見た時「ぼくよりも幸福な人がゴジラにいじめられるのが面白かった」そうな。反戦・反水爆映画とも言われる作品を見て、戦地で地獄を見たはずの水木から(「水爆反対!」とか単に「特撮凄い!」ではない)こういう感想が出る事に、記録映画にないフィクションの面白さがあると思う
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しかし、実人生振り返っても「入学式の時に偶然隣の席にいた奴」と一番長く友達を続けてたり、「褒められたから。他人より上手く出来るから」くらいのノリで続けたモノが、結果的に一番の「趣味」になったりしたことが多いワケで。なんでこんなに「好き」がなきゃイカン、的な感じになったんだろうか。
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「ふん、あんなもんにハマる老人どもは今まで〝本当の学び〟をしてこなかったのだ」とイキってる人達が妙に多いけど、なんか、そういう人こそがハマる気がすんですが。「人間が何かにハマることにはそれなりの理由があるはずだ。だからもしかしたら俺も歳を取ったら…」という可能性を一切考慮しない人
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前も書いたけど、学生時代。500円もあれば1冊文庫本が買えて、それで半日は潰せた。よく「暇潰しに本を読んだ」というけど、俺は高校の頃「時間を潰すため」に本を読んでた。「早く今日が終われ」とか思いながら読んでたんだ。特に新潮文庫。今でも新潮文庫本に触れると、その頃の虚無な感じを思い出す
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「『ゴジラの逆襲』は宴会場面が長い!」と昔から批判されてきたけど「コロナ禍だから飲み屋に行くな。人と集まって飯を食うな」「なんなら灯火管制もしてやろうか」みたいな状況を体験した後だと、なんとなくあの「長さ」の意味が分かる。あれは戦争が終わった後の「日常のありがたさ」の象徴なんだね
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押井守監督がどっかで「勝てない奴は要は負けるのが好きなんだ」と言っていたと思う。「負けることには独自の快楽があって、一回負けた奴はその快楽に酔っちゃうんだ。そこに居付いちゃうんだよ。だから勝てない。正確には”勝とうとしない”」みたいな。酷い理屈だと思うけど、強ち間違いだとも思わんよ