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30代前半までは「学校帰りによく行った店」とかが取り壊されても平気だった。でも最近は恐ろしい。多分昔は「別の場所で思い出を増やせばいい」「生きていれば自然に思い出は増える」と思い込んでたから、別に怖くなかったんだ。でも40に近づいて「もう思い出は増えない」と悟るとね、変わる。ホント
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どんな話をしても「結局は人それぞれさ」と言う奴がいるが、「人それぞれ」は話の出発点であって、ゴールじゃない(議論の途中で「人それぞれ」と言うと話が全部終わる)。違いがあるとはいえ同じ人間なんだ。「この点はやっぱり俺が正しい」「ここはお前に見習う点がある」と確認するのが大人だろう。
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「社会が「わかりやすさ」を求めたあまり、「わかりにく=価値がないこと」になってしまった」という話は分かるのだが… その一方で平気で「過去作一本も見てないけど、MCUの新作見て感動した」「知らないドラマの最終回だけ見て泣いた」という人が結構いるんだよな。あれは一体どういうことなんだろう
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大抵の人は自分が思うほど「自由な解釈」なんか好きじゃないと思う。大抵の人は権威が好き(巨匠って一つの権威でしょう?)。「正解」が好き(というか「間違ってるかもしれないこと」を言うのが嫌い)。「自由な解釈」という「正解」を賛美するのが好きで、実際に「自由な解釈」をするのは嫌いだろう
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TL見てる内に「コレは”会話”が出来るヤツの呟きだな…コレは多分知識の披露は出来るけど、”会話”は出来ないヤツの呟きだぞ」ってのが、だいたい分かるようになった(気がする)。
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アラン・ムーアの「12歳の為の作品に大人が並んでいる。単純な現実を望むのはファシズムの前触れ」発言は、ワリと言葉通りに捉えたんだけどな。どんなに漫画の内容が複雑になっても、所詮現実の複雑さに比べば「屁」みたいなもんじゃないか。それをあたかも現実の事件そのものにように語るのはダメ、と
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そしてこれは多分「読む」も同じだ。アンタだって、一度は「お前、どこを読めばそんな悪意のある解釈が出来んだよ!」っていう糞リプ、糞引用RTを貰ったことがあるだろう。あれは読解力の問題じゃないんだ。欲望の問題だよ。「なんかうまいこと言いたい」という欲望が、彼彼女の読解力をパァにするんだ
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シネコンでかかってる日本映画は、毎回こっちが忖度しないと楽しめない(この映画にこのレベルのリアルさや、気遣いを求めてはダメ!とか)。忖度すれば、どれもそれなりに楽しめる。要はツマル、ツマランは「自分がどの程度のものを求めるか」で決まる。『トップガン』は忖度なしで見れたからよかった
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「30過ぎたると感性が衰える」とかじゃなく、今の社会で「社会集団の一員となろうとする若い時期」は十代から二十代くらいでしょ。オッサンは既にある集団の一員となってるなら、自然に音楽を聴かなくなる面もあんじゃない?
で、SNSのボンクラ達は30過ぎても居場所がないから、今も新しい音楽を…
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いいアウトプットする技術があるなら、いいインプットする技術もある、というね。
で、この「昔は自分も(名作)小説が読めなかったが、”面白く小説を読むコツ”を理解したら読めるようになった」「自分はその面白く「読む」ための技術を伝えるたい」という考え方。俺は今凄く重要だと思うんだよね。
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「陰謀論を見抜けない(バカな)人の特徴は~」と言うけど、実際は「フェイクもしれないが、なんかコレを機に上手いことを言いたい。自分の嫌いな人達が嫌がるところが見たい」という人が大半だったワケで。全然「頭の良さ」と関係ないじゃないか、と思う。「何か一言言いたい」という欲望の問題だろ。
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ある意味ちゃんと映画の魅力にヤラれた人の感想というか、一概に「観客がアホだから」と言えない気もするのだよな。どんな映画でも描写が魅力的なら必ず起こる問題ではないか。
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しかし、映画やアニメを見てるだけなのに賢くなろうなんて、やっぱりムシのいい話だよ。ほとんど「オタクは経済回してるから偉い」と同じレベルの発想ではないか。賢くなりたければ真面目に勉強するしかないんだ。みんな正直に「タメになる?面白いものは人をダメにするんだよ!」と言わないとダメ。
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ここからは俺の考えだけど、世間には案外「小説や映画の楽しみ方が分からない」という人は多いと思う。どうやって楽しめばいいか分からない人がね。そういう人に「このコツを押さえれば楽しめるよ」と教えることには大事だと思うんだよ。でもそれは「そうしたら貴方の世界が広くなるから」とかじゃない
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でも、映画って実は「普通の動作を俳優が洗練させて見せること」で成立してるからね。その意味では彼こそが映画だ。だって「睨む」だけだぞ!俺でも同じことはできるのに!
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トップガン。一本道のストーリーだから、客がいつトイレに行ってもいい(トイレに行っても物語を見失わない)のもイイと思う。娯楽映画はかくあるべきですよ。「全場面全画面、目を凝らさずに見ろ!」なんて、作り手の傲慢ですよ。
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その後、何人ものお笑い芸人が武と同じように映画を撮ったけど、そのうちの何人が映画を「畏れた」だろうか。ましてや今「教養が~」という芸能人は、文化を畏れたことがあるのだろうか。その辺の「畏れ」の有無が、彼彼女と北野武の差だった…と言ったら、言い過ぎですかね。news-postseven.com/archives/20201…
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『NHK短歌』永井玲衣さんが「最近恋愛の短歌が減ったような…」と言ってて。それに穂村さんが「現代では、もう恋愛は「人生の必修科目」じゃないんでしょうね」と返してたのが印象的だった。今や恋愛は一種の「選択科目」なのか。そりゃ「いずれ結婚するつもり」と答えた人の割合が過去最低になるわ twitter.com/madanaizo/stat…
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「もやしもん」の中に「美味い酒をちゃんと味わいたい時は、お客さん側にだって最低限の努力はいるよ。心配事を片づけてからくるとか」みたいな話があって、それが印象に残ってる。多分映画や本好きの中にも「ちゃんと楽しむための最低限の努力や工夫」はいるはずで。そういう話を俺はもっと聞きたい。
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押井守の「日本人にSF映画は作れない。客は”非日常”を求めているのに、日本人俳優を見た瞬間に”日常”に戻されるから」発言が、宮崎駿の「日本人はわざわざデカイ画面で日本人を見たいと思ってない」発言が思い出される。結局日本人にとって実写映画は「(金を払うに値しない)日常の延長」ではないか
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前も書いたけど…
『レディ・プレイヤー1』はよく言われるように「”現実”の大切さに気付く物語」ではなくて、「自由で楽しい空間」を維持するためには「具体的な現実の場所」が必要で、その「場所」を守るためには、人間は時に「現実」の中で戦う必要もあるんだ…という物語と思う。
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こういう時に俺が思い出すのが、山田航氏のこの文章なんだよね↓。自分は「小説=物語」が苦手だ。でも「小説家や小説ファンは「物語」というものの価値を無邪気なまでに疑っていなくて、そのノリがどうも苦手」という。こういう人が今、案外多いと思うのだ。
twitter.com/madanaizo/stat…