どうそく(@madanaizo)さんの人気ツイート(いいね順)

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司馬遼太郎が、栄転だけど現場を離れることになる辞令を貰って迷ってる知人に、「局長とは、才能ある人がその才能を押し殺して職につくべきものだ。かみそりのように切れる人が、わざわざ自らをナタ・棒にすることだ。でもそれこそが凡人には出来ないことなんだから、やれ」と言った話が好きなんですよ
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村上春樹がオウム事件の時「”何故人はあんな荒唐無稽な物語を信じたのか…”と言うが、人は荒唐無稽な物語だからこそ、信じたのだ。そして荒唐無稽な物語だから”稚拙な力(純愛や正義をテレずに堂々と讃える)”を持ちえたのだと思う」と指摘していたことの重要さ。これは「だから届いた」でもあると思う
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「己のナイーブさを他人を叩く根拠にしてはいけない。」というか、彼彼女が他人を叩く時だけ、積極的に「ナイーブな僕」「傷ついたオレ」を狙いに行ってるのが、なんか腹立たしいんですよ。いや、腹立たしいというか、白々しい。「ナイーブ」な奴がそんなやたらめったら他人にウザ絡みするはずないだろ
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『オタク女子』「なんか楽しそうだし、面白そうだからやってみる」みたいな言葉が何度か出るんだけど…俺はこの「楽しそうだから、まずはやってみよう」から始めて、どこまでいけるか。或いは「楽しそう」から始めて、どこまで人は立派になれるかを「芸術家」に示して欲しいと思ってたんだよね。昔は。
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…のだと思う。だから「感想の感想」が増えるんだよ。書くいう俺も似たようなもんだ。だから作品を初日に行って、まず真っ先に「俺はこう思ったね!~~!」とやる人を、俺は尊敬している。アンタらがいるから、俺のような凡人も映画を語れるんだ。
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まぁ、小説は兎も角。 先日『ゴッドファーザー』4K版を映画館で見たよ。俺はアレ、実に退屈な映画だと思うんだな。大して面白い映画じゃないんだ。でも最後まで見るとまた最初から見たくなる。あの感じを味わいたくなる。やっぱりそれはあの作品自体が一つの「異世界」だったからだと思うよ。
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石黒正数先生が「昔は『GANTZ』嫌いだった。あの作品のモブは悲惨な事件が起きてもへらへらカメラを向けるような奴ばかりで、人間味ない。本当の人間はもっと立派だろう…と。でも実際の通り魔事件の映像見たら、みんな被害者へカメラ向けてた。奥先生が正しかったんだ!」とボヤいた件が思い出される
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依存症の人の回復には「自分の言葉で話せるようになる」もあるらしい。依存症の人はいつも「母が…彼が…」とやってて「自分が!」とやれないから。で、そのためにはグチも結構有効らしいのだ。グチを繰り返す内に自分の中の問題(死にたい)が解けることもあると。今こそグチを復権させようじゃないか
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俺は友達がいないのは平気なのだが「友達がいないと人生損するよ(このゲームはみんなでやるものだから!)」とか言われるとスゲー焦る。挙句の果てに「友達がいない人は痴呆になる」と聞くと「友達いないと人生詰むとか、あんまりじゃねぇか」となる。はやく友達いなくても損しない世界になってほしい
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今のSNSは「私は傷ついた!俺も傷ついた!」という叫びに溢れてる。若い人なんかは「よく分からんが、〝傷つく〟というのは元の自分に戻れなくなる程、恐ろしい経験なんだな…俺は絶対〝傷つかない、傷つけない生き方〟をするぞ!」とか思うんじゃないかな。どうも「傷つく」が過大評価?されてる気が
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「貴方達日本人だけが気付いてないけど、実は日本人は最高なんですよ!」みたいな話と同じだと思う。聞いてる方は、特に何もしてないのに(今のままの)自分が肯定されて嬉しい、みたいな。そしてそれは常に「こういう話をすればもうかるぞ」という金儲けとセット。
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↓「継続は力なり」というか、ヘタなりに毎日やってる人間はやっぱ上手くなるのよ。で、相手を「下手だw」と「舐めた」人間が、逆に「一度を相手を舐めた自分」に囚われて、相手を舐め続け(自分の見る目を否定したくないんだな)結果的に「コイツ、ダメだ」と周囲に思われるようになる…のは良く見た
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カート・ヴォネガットの小説に「あいつは女の裸に勃起しないんだ。あいつはユートピアに勃起するんだよ」みたいな台詞があった気がする(超うろ覚え)。僕がTwitterで知ったことの一つは、この台詞は空想でも何でもない。世の中には異性の裸より、「理想」に興奮する奴が山ほどいるんだ、ってことだな
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俺は昔からゲームを買っても、まず攻略サイトを見るタイプの人間だったんだ。たかがゲームと言うなかれ。一事が万事だよ。そんなんだから、いつまでたっても「自分だけの何かを作り出す苦しさや喜び」に触れることが出来んのだ……(みたいな後悔をここ最近ずっとしてる)
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『さかなのこ』昨今のやたらと「好き」を美化しがちな風潮の中、ちゃんと「何かを好きなる、ってのはキモいんだよ。キモくなることなんだよ」とやっただけでも満点。snsはその「キモくなる」部分を笑えるネタにしちゃうからダメなんだ。ちゃんとキモくなれないと、自分の「好き」を充分に発揮できんぞ
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そして、何が悲しくて、自分で「俺はこのくらいしかいい奴じゃない、親切じゃない。つまりは”この程度の人間”だ」をチェックせにゃならんのだ、となるんだよ。でも、今までずっと子供をやってた中年が歳を取るってのはこういうことらしいぞ。この手の作業をさぼらずにやることらしいぞ。ちくしょうめ。
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『SPY×FAMILY』「面白い」を目指した作品というよりは、「平均的読者&視聴者が絶対不快にならない作品、平均的読者&視聴者が想定する「面白さ」の範囲を決して超えない…でも、その範囲内は完璧な演出を目指した作品」な気がする。だから普通の「面白い・ツマラン」の基準がイマイチ当て嵌まらん気が
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そこを「貶し方の激しさ、面白さ」だけ取り出して「いやぁ、淀川は怖いねぇw」とやっても全然意味がないんじゃないかな。我々が学ぶべきは「貶し方の面白さ」ではなく、その「貶し」を導き出した映画哲学の方だと思う。
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先日も少し話題になってたが… こういう「架空の映画の題名を出したら、それに乗ってきた知ったかぶり」。snsだとバカにされるけど、実際にこういう人と会うと、案外「いい人だな。場を盛り上げようとしてくれてる」とならない?会話の内容より、その場の空気にノルことを重視するタイプが多い気がする
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人の「飽きる」という性質を甘く見ない方がいいと思ってて、どんなにそれが正しいものでも飽きる時は飽きる。飽きられる。ひろゆきもやがては影響力を無くすと思うが、それは「人々が彼のうさん臭さに気付いた」とかではなく、なんとなく「貴方の感想ですよね」系話術に飽きたから…が理由になると思う
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ただ普通である…というよりは「普通になる」ためだけに今まで散々苦悩してきて、そしてソレをロクに達成できないまま(その苦悩も理解されないまま)死ぬだろう…と考えると、今すぐにでも海にドボンしたくなるね。ホント。
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SNSでも実生活でも同じと思うが…他人に攻撃的な人に限って、ちょっと皮肉を言われただけでブチ切れる傾向ある気がする。「普段あれだけ他人をやっつけてんだから、それくらい受け入れろよ。なに被害者ヅラしてるんだ」と思うが、本当は逆なんだろう。普段から被害者意識が強すぎるから、攻撃的なんだ
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三島由紀夫が「自虐とは自分の欠点を真っ先に自分が指摘することで「分かってます!分かってるから、この欠点に関してはどうか穏便に…」とやる処世術だが、他人は自分が思うほど自分に関心ないから、単に「アイツのここは叩いていいらしいぞ!」の合図になって、フルボッコされて終わる」と書いてたよ
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だから時々「死の国」から戻ってこれなくなって、そのまま死んじゃない文学者がいるんだ。
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前も書いたけど「全世界を愛することと、自分の隣にいる人を愛すること。どちらが難しいか?後者に決まってるだろ!」みたいな言葉があんだよ。映画や小説はその「全世界は愛せるとほざくクセに、自分の隣にいる人は愛せない(で、その隣の人にそのことでいつも怒られてる)奴」の逃避先だと思ってる