176
会計の知の恐ろしいところは、不足なところを自前でやりくりする苦労が「不足でもやれるんじゃん」となって、不足がそのまま肯定されてしまうこと。というのも、現場の苦労や疲弊は、会計表には記載するところがないから。会計を見て判断する人はご満悦になり、それを前提としてさらなる経費削減に進む
177
被災地支援を続けてきた先輩、岩倉拓さんのnote。先の見えないコロナ時期を生き残るための心理的ケアについて書かれていて、今読まれるべき文章。
note.com/iwatakuramakan…
178
いわゆる自己実現というのは「なりたい自分になる」「やりたいことをやる」というものではなく、環境が自分に求める役割のうちで「無理なく」やれることをやっていくことなのではないか。自己を1番よく知っているのは自分ではなく社会であるという逆説がある。ただし「無理なく」が真のミソだ。
179
この本読んでいて、貧困に至ってしまう一つずつの判断が、切迫してしまって、まともに思考できない状態でなされているのが印象的だった。「自己責任」は自由と生存が確保された上での正常な思考での判断に適用されるはずなのに、その自由と生存を確保すること自体が「自己責任」とされてしまっている。 twitter.com/ktowhata/statu…
180
それにしても、本というのは書き終わった段階では、自分が何を書いたのかよくわからなくって、読んでくれる人がいて、いろいろと感想や質問をもらい、それに応答する中で、少しずつそれがなんだったのかわかってくるものなのだと改めて思った次第。1年くらいはそういう時間が続く。
181
「アスペルガー医師とナチス」とても面白い。フロイトを含めて精神分析家が国外に脱出したあと、ナチスは心理療法家たちを組織し直すのだけど、彼らは心理療法の目的を体制の価値観に順応することに置いたので、精神分析とは違って過去ではなく現在に焦点を当てたとのこと。
182
河合隼雄の「カウンセリングの実際問題」と小沢牧子の「心の専門家はいらない」。大学院生なんかは、この二つを合わせ読みながら、自分の仕事について思索すると勉強になる。この50年の臨床心理学が切り捨ててきたのが社会モデルであったことと、今それこそが回帰する必要があることを思いながら。 twitter.com/yamazakitakaak…
183
いいブログ。臨床心理学は社会学や経済学、組織論、政治学などと再編されて、より包括的に人間の病理や健康、回復や治療、成長や停滞を取り扱う学になることはできないものか。様々な社会的施策、事業の基礎学としての臨床心理学は必要とされているはずなのだが。
note.mu/piyoketa/n/n91…
184
ようやく懸案だった翻訳の仕上げにとりかかる。「認知行動療法の哲学」という本で、古代のストア哲学から続く理性の系譜として認知行動療法を読み解き、さらに古代の哲学者たちがなしていた「魂の治療」がいかなるものであったかが鮮やかに描かれている。心を扱うことの歴史の厚みが素晴らしい。
185
中国でポジティブ心理学が流行ってるとのこと。以前は「福」は親族とか村落とか共同体レベルでやってくるものだったから祈りとか呪術とかを用いたが、今では個人レベルで追求するものになったので、心理学的技術を使うものになったという。「福」のサイズが小さくなると、心理学の出番になる。
186
これは知らなかった。世間ではアンガーマネジメントブームなのか。アンガーとは不当なことに対してぶつけるならば、正当でありうるものだと思うし、そのことで良い変化も起こりうるものと思うが、現代社会ではなかなか居場所がない感情でもある。アンガーマネジメントには自己責任的な悲しさがあるなあ twitter.com/mimimizuho/sta…
187
それにしても、こう次々と催しが中止されていく現実を見ると、普段の我々が日々いかに互いに接触して、影響を与えたり、与えられたりしながら暮らしていたのかがわかりますな。「社会」という当たり前すぎて見えにくいものが、実はものすごい勢いでグルングルンと人を巻き込んで動いていたのを実感。
188
臨床心理学って「人を知るとは何か」についての学問と思うのだけど、他者の強い部分を知っても、二人の関係は縮まらない、と個人的には思う。そうではなく、弱い部分を知ったときに、僕らはその人の心に触れたように感じる。そういう意味で、「生きづらさ」は確かに他者と繋がれる部分と思う。
189
うつを「心の風邪」と呼ぶのは賛否両論あるけど、本当に「心の風邪」と言えるのは「仮病」ではないか。体の症状はないけど、仕事や学校に行ける気がしないときに使う「仮病」は、心が風邪を引いてるときの症状で、休ませてあげると大体の仮病は治る。治らないときは、心が風邪どころじゃなくなってる。
190
191
192
SNSをしていて改めて思うのは、モヤモヤやイライラを愚痴や陰口として世界に発信しても、結局自分に回帰したり、ときに増幅したりしてしまうことがあること。それらは信頼できる他者に受け取られることで、心に収まるものとして変形されていくのだな、と。心は心に受け取られないといけない。
193
「居場所を見つけるにはどうしたらいいか?」と取材を受けていて、多動力ならぬ「受動力」というワードが降ってきました。他人からの誘いなり、働きかけについホイホイ乗ってしまう受け身の力。友達作りとかもそうだけど、積極的に声をかけるのではなく流されることで、人はうっかり親密になってしまう
194
辛くなったことの上位
1.外出しづらいorできない
2.人とコミュニケーションがとりにくい
3.アルバイト先が休業で収入が減少または失業で金欠
4.バイト先や家族間での感染不安
5.接触を避けた行動がストレス
6.家族と過ごす時間が増えてストレス
遠すぎる関係性と近すぎる関係性の辛さ twitter.com/ktowhata/statu…
195
「もっとも貧しき男も自分の小屋にいれば、王に対抗できる」
ウィリアム・ピットという昔の政治家の言葉なのだが至言だ。自分の家とか自分の部屋というものに、勝手に他人が入ってこれないことによって、人間が人間らしくいることが保証される。自分だけの個室というものにいかにパワーがあることか。
196
「人生が劇的に変わる」という発想はまさに切断の原理です。過去、現在、未来が切断されることで変身する自己。これに対して「人はちょっとしか変わらないけど、そのちょっとが人生に多くのものをもたらす」というのは接続の思想。歴史を生きていく自己。 twitter.com/ktowhata/statu…
197
中井久夫の「治療文化論」を再読しているのだけど、本当に素晴らしい。こういう圧倒的な教養と日々の臨床が無理なく接続されていくような知性が、メンタルヘルス業界のこの20年でめっきり減ってしまったのはなぜなんだろうか。専門職として確立するというのはそういうことなのかもしれないけど。
198
長谷川和夫「ボクはやっと認知症のことがわかった」面白い。認知症の権威である医学者が認知症になったという時点で既に面白いのだけど、患者さんに今までデイサービスを勧めていたが、実際に自分も行くようになったらお風呂が気持ちよかった、王様気分だった、とほのぼのしてて素晴らしい。
199
「臨床心理学1995年革命説」。信田さよ子さんの歴史観だが、大変説得力ある。その年に内面的な心の問題とされていたことの多くが、実際に生じた暴力の結果だと再定義された。阪神大震災とオウム事件が起こり、DVが言葉として流通し始め、スクールカウンセラーが始まった年のこと。心の臨界点の話。
200