東畑 開人(@ktowhata)さんの人気ツイート(リツイート順)

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保健室がまさにそうなんだけど、「居場所」というのは定住する場所ではなく、あくまで避難所であるのが大事ですね。普段は隠されている苦しさが束の間現れるのが居場所。いつもいる場所とか職業にしちゃうと、居場所は居場所じゃなくなってしまう。
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“care”と“cure”が語源が違うのも面白い。前者は「嘆き」とか「悲嘆」の意味で、「病床」という含みもあるらしい。後者は「世話」「心配」「責任」の意味。“care”は苦しんでいる側で、“cure”はその周りで世話をする側だとのことで対照的。語源は深層を見せてくれる感じがして、素晴らしいな。
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フーコーがラカン派の人たちから糾弾されるような対談をしていて、最後に離乳についての話題で、哺乳瓶の発明の年代を教えられたときになした絶叫が最高だった。。。学者ってなんてカッコいいのだ。
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実際、「自尊心」についての論文は古くからあるが、「自己肯定感」をタイトルとする論文が出始めるのは1995年前後であり、バブル後の新自由主義社会が「自己肯定感」という概念を必要としたのはひとつの事実と思う。そういう意味でも、これは僕らの「この社会のせい」と言い得る。
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臨床心理学概論の試験で「次の20年の臨床心理学の最重要テーマは何か、日本社会の未来を踏まえてあなたの考えを論じなさい」的な問題を出したら、高齢者とか災害とか自助グループとかも多かったが、最多回答は「孤独」だった。大学生は次の20年の臨床心理学のユーザーでもあるわけだから、説得力ある。
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昨今あまり語られないのは、カウンセリングには長い長い話を聞く仕事という側面があること。できるだけ長く(つまり、複雑な話を複雑に)話してもらうためには、ときに専門的な知識や技術がどうしても必要になるが、長い長い話には心を支える深い力がある。ただファスト文化は長い話の価値を見失いやすい
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心に向き合うとは何か。それは個別性を徹底することである。僕が思うに、これが現代でも色褪せない河合隼雄の根本思想。つまり、ケースバイケースを見ることが心を見ることであるということ。問題となってるのは「個人」で、それは片足が心、もう片足が人権であって、両足は支えあっている。
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ひと昔前の中年期の危機は「中年としてどう生きたらいいか」という問いだったけど、現代のそれは「中年になるか否か」という問いになったと言えるかもしれない。心がずっと青年でなかなか中年になれないのはつらいものなのです。
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フロイトとかユングとか、あるいはもう少し下の世代にしても、古い本には「運命が彼に襲いかかった」みたいに「運命」という言葉がよく出てくる。これは現代の心理の本からは完全に消えた語彙だ。責任の所在をはっきりさせないといけなくなると、運命には場所がなくなる。これが現代のつらさでもある。
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自己啓発や心理教育にもアッパー系とダウナー系がある。前者はアドラーの「課題の分離」みたいな切断系で、色々あるけど理性を使ってスパッと割り切っていこうぜ、という感じ。後者は接続系で「どうにもならないことあるよね。。」みたいな自分の中の非理性や他者といかに付き合っていくかという構え。
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勉強より研究が好きなタイプと、研究より勉強が好きなタイプとふた通りいる気がする。研究者タイプと学者タイプ。そして、勉強と研究の両方をやらないといけないのが大学院生で、だから結構楽しい時期なのだろうな。大学への関わり方で、一番いいポジションは院生なのではないか、とよく思う。
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グロスマン「戦争における「人殺し」の心理学」、敵に向かって発砲できる兵士が15%しかいないことから始まり、人は殺人に非常に深い抵抗があること、そしてスキナーやパブロフの行動療法的な技術が兵士の訓練に使われて発砲率が大幅に上がったことなどが書かれていて、心理学と社会を考えさせられる。
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兼本浩祐「普通という異常ー健常発達という病」に出てくる、いわゆる「定型発達」、あるいはニューロティピカルを症候群として捉えたときの診断基準。人のことを気にしすぎて、「いいね」に一喜一憂する「病気」ということなのだが、診断基準文体で書くとなんでも「病気」に見えるのが面白いな。
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アカデミアの先輩たちの話を聞いてると、各世代毎に異なる「呪い」がかかっているのがわかる。呪いは一見、思考の幅を狭めているようにも思うが、呪いがかかっていないと思考が深まらないのも事実。呪いの一つや二つがあって、その呪いと戦うから学問は面白い、という感じ。これが多分、学問の自由。
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試験監督は実は監視ではなくケアの仕事。つつがなく試験が行われるように、室温を調整して、音を殺し、体調不良に対処する。まさにケア的なのは、試験監督が活躍せず目立たないときほど試験が無事に進行しているところ。逆に活躍が目立つのは悪いことが起きているとき。まさに親の仕事そのもの。
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皆さま、VERY五月号の「働くママの木曜日に負けない服」をよく見て欲しい。イルツラはもはや木曜日に勝つために必須のオシャレアイテムになったのでした。。
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「ど素人でも三日で心理カウンセリングをマスターする技術」を読んで思ったが、実際テクニック自体は三日でマスターできるようなものなのかもしれない。問題は心理学的に理解することを習得するのに、大変長い時間がかかること。そして、理解を伴っていない技術は全く役に立たないこと。
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この本に出てくる「嬉し涙は存在しない」説が面白い。嬉しいことがあると、これまで押し込めていたけど本当は悲しかった気持ちをようやく悲しめるようになるから泣く、これが嬉し涙だという説。 twitter.com/ktowhata/statu…
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日記をエクセルで書くか、ワードで書くかによって、自己というものの作られ方は全く違うのではないか。エクセルは自己の帳簿化を、ワードは自己の物語化を推し進める。マルクス・アウレリウスが現代に生まれていたら、自省録をエクセルで書いたのではないだろうか。
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心理学関係の講座やスクールで、中国の人々が学んでいるのは「自我」であるという話は面白い。共同体や家族に絡めとられているところから、境界線を引き、個人になっていくプロセスを心理学の知が補助し、牽引する。そう思うと、「嫌われる勇気」があれだけ売れたのも納得いく。「自我」は売れる。
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教育の仕事をしていて、「褒める」という行為が最大に役立つのは不確かさの領域と思う。例えば、アイディアの価値や自分の技量など、客観的基準がない領域では、尊敬できる人に褒めてもらわないことには、「確かさ」の感覚が得られない。この安心をもたらす褒めが、教育者の中核的な仕事ではないか。
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ふと思ったのだが、「即戦力」という言葉は、実際のところ今ある仕事をそのままやれそうな人材を意味していて、未来に何か新しいものをもたらしてくれる可能性や、未来には何者かに育っている可能性に賭けるニュアンスが省かれてる。「即戦力」を求めるとき、我々の未来への想像力が停止している。
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「実践アディクションアプローチ」の巻末対談で、信田さよ子さんが「すぐ連携連携って言うけど、専門家が自分ひとりで責任を負う覚悟があってこその連携でしょ?かまぼこ切り分けるみたいに最初から問題を仕分けるのが連携じゃないんだよ!」と絶叫してて、シビれました。。
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原稿は6割未満では他人は何もコメントできないから、決死の覚悟で一人で6割まで行く必要がある。しかし執筆における一番の難所は6割から7割のジャンプなので、そこを他人に助けてもらう。普通の人の普通の感想で十分にジャンプになるのが面白い所だが、そのためには未熟な原稿を見せる勇気と信頼が必要 twitter.com/ktowhata/statu…
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「馬の世界史」という本を読んでいて、人類が「速度」という概念を得たのは、馬を飼い慣らすようになってからだという説が書かれてて面白い。確かに人も物も情報も、馬を得てはじめて、早いか遅いかを選択できるようになったのかもしれないな。4Gとか5Gとかも馬の延長上。