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サンデル「実力も運のうちー能力主義は正義なのか?」読了。能力主義の問題点を散々書いてきた上で、最後の謝辞では身の回りの人の能力を賛辞する文章が書き連ねられてるあたりに、能力主義問題の迷宮のような難しさを痛感する。
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大学の新入生にレポートの書き方を教える。個人的には以下の2つで評価は30点上がるのではないかと思ってる。
① 必ず4行以内で改行する。
② 4段落程度で1節にして、必ず小見出しを入れる。
同じテキストでも、改行と小見出しを刻むだけで、ベタっとした文字の塊が、きちんとした文章っぽく見える。
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心理学にとって文体というのは中核的な問題だと思う。例えば、認知行動療法と精神分析、論文を一読してわかるのは文体が全く違うこと。語彙も、文の運びも全然違う。心には本質的に形がないからこそ、形を描くことを使命とする文体にこそ理論が宿る。
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「精神がなにかの都合で不幸にも平静さを失ったとして、社交と会話はそれを取り戻すもっとも強力な救済手段である」
経済学の祖アダム・スミスの言葉だが含蓄が深い。そして、「社交と会話」が不可能になったときに、それを取り戻すのにどうしたらいいのかの集積がメンタルヘルスケアの知なのだろうな
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「レンタルなんもしない人のなんもしなかった話」面白い。一読して、現代東京の民俗学だと思ったのだけど、多分これはレンタルさんが「なんもしない」からこそ取れた現代への距離なんでしょうね。「なんもしないで、ただ、いる、だけ」の反社会性と批評性。と、まじめに書くと膝かっくんされそうな本。
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「鉄槌を持っていたら、あらゆるものが釘に見えてくる」
アンドリュー・リー「RCT大全」で引用されていることわざなのだけど、大変深い。効果的な武器を手に入れるとは、壊す対象を見つけやすくなる眼鏡を装着することであること。
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プラセボ効果のプラセボって、ラテン語では「喜ばせる、満足させる」という意味があり、そもそもは死者への祈りの中で使われる言葉であったらしい。そういう意味で、プラセボとは希望を処方することであり、慰めをもたらすことであり、いかなる治療もまずはプラセボこそが大事ということになるな。
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そうか、スクールカウンセラーが学校に居るのがどれほどの時間か、世間でほとんど知られていないのか。この連ツイにあるように週に4時間のところも多いし、もっと少ない学校もたくさんある。毎日居ること、そうやって学校の一部になっていることが、どれだけ子どもの心を支える力になることか。 twitter.com/cdp_kokkai/sta…
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ああ、でも「嘆き」ということは、お世話してるのだけど、何もできないということでもありうるのか。辛い人を前にして、なんかできそうだと“cure”で、なんもできない人だと“care”なのか。
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【調査協力お願い】
大学のゼミ研究で「心理学を学んだ人に対する期待」を調べています。働いておられる方に以下のアンケートにお答えいただけると大変助かります。心理学は社会から何を求められているのかを明らかにしたい、という意図です。よろしくお願いします。
docs.google.com/forms/d/e/1FAI…
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「おばけなんてないさ」。最初は「みまちがえたのさ」と錯視として心理学的に対処しようとするのだが、2番では「冷蔵庫に入れる」と科学の利器を使って、物理的に対処しようとしはじめる。3番以降は「友達になる」ともはやシャーマニズム。最後はお風呂に入るのだが、これはキヨメの儀礼なのか。
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「傷つき」というものがいかに修復されうるのかは、時代や文化によって様々で、むしろ文化とは「傷つき」を修復するために発展したのではないかと思うくらい。アイドルが引退とか解雇とかされると、ツイッターでポエムが満ち溢れるように、人は傷つくととっさに文化的になろうとする。
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オルデンバーグの「サードプレイス」で、常連ばかりのお店に新参者が馴染むための方法が書いてあった。曰く、通い続けて、常連に不快感を与えないようにすること。そのために基本自分の話をするより、人の話を聴くこと。サードプレイス、柔らかい名前とは裏腹に、ハイレベルなコミュ力が必要で辛そう。
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抜毛についての卒論が面白い。女子大生の4割が眉や髪の抜毛を経験しているという結果で、しかもそのほとんどが医療機関などにはかからない。抜毛自体が自分のストレスを自分でなんとかしようとする行為だが、それをさらに自分でなんとか治そうとする子どもたちの浮かび上がる。
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絶対的に正社員の方が良い。援助者が毎日職場にいることには深い力がある。イレギュラーな危機に対応でき、組織のカルチャーを踏まえた上で支援をカスタマイズできる。連携は円滑になり、組織の構造そのものに働きかけることもできる。援助者自身も安定する。人件費がかかる以外、悪いことがないのでは twitter.com/cheeseholic5/s…
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ヘッセの「車輪の下」がまさにこれでした。一つの競争に勝った途端に、本人も周りの大人ももっと勝ちたい気持ちになってしまって、あらゆる時間が競争のための時間へと組織化されていってしまって、気づくと以前に勝った分まで失っているという話。ああ、これはこち亀的でもあるし、民話的でもあるな。
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「認知行動療法の哲学」ついに届いた。哲学がかつて治療であり、健康法でもあったころ、人々は理性に癒やされていた。実際に行われていたストア哲学によるセルフケアと現代の認知行動療法を重ねて見る本です。ぜひご笑覧ください!
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「臨床の知」とは多分そういうことだと思うんだよな。
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「認知行動療法の哲学」という本の面白さは、「哲学者の認知行動療法」にあると思う。ソクラテスやエピクテトス、デカルト、スピノザ、カントなどなど、哲学者たちがセルフケアとして「哲学すること」に取り組んでいた姿が、ユーモラスでもあり、切実でもあって、人間的な感じがする。
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心には科学的に語れる側面と、文学的にしか語れない側面の両方がある。四六時中、文学的に生きている人はごくごく稀だろうが、「ときどき」は文学的な瞬間もあって、案外そういうものが生きることを支えているように思うのだけど。
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イルツラのじんぶん大賞、感慨深いです。この本の半分は、臨床心理学を学ぶ人の多くが共有している基礎的な知で出来ていて、それが「人文」という文脈で評価されたのは嬉しい限り。これを機に「人間が生きていくこと」についての臨床心理学的人文知が多くの人に届けば幸いです。
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「カルトという問題を考えるときに最も大事なのは、自分が「正しい」と思った道を貫き通すことではなく、立ち止まって考え、しっかりとブレることのできる勇気を持つということである」(なぜ人はカルトに惹かれるのか p114)
「正しさ」の複数性を維持することがいかに大変で、そして貴重か。
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