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「もっとも貧しき男も自分の小屋にいれば、王に対抗できる」
ウィリアム・ピットという昔の政治家の言葉なのだが至言だ。自分の家とか自分の部屋というものに、勝手に他人が入ってこれないことによって、人間が人間らしくいることが保証される。自分だけの個室というものにいかにパワーがあることか。
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「書く」というのは、ぼんやり考えていることをしっかり考えること。その最高強度が論文という形式で、論文を書くと、考えていたことが概念になって、自由に使いこなせるものになる。逆に「喋る」は、ぼんやりした考えを増殖させる方法。思いもしなかったことを考え始めるのには「喋る」のがいい。
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小説というのは葛藤の芸術で、AかBか、右か左か、白か黒かで、身動き取れなくなった主人公が、結論を保留にして、運命に身を任せる中で、Cっていう新しい世界の見方に開かれていく。この時間と偶然による思索の深まりというのが、学術書では太刀打ちできないし、僕らの実生活もそんな感じで流れてる。
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ネガティブ・ケイパビリティというのは、世間的には個人に備わる能力としてイメージされている感じがするが、実際のところコミュニティに備わる余白とか器という方が実態に近いのではないか。曖昧なものは、自己に押し込めるというより、人とのつながりの中に置いておくというニュアンス。
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出典はミュリエル・ジョリヴェ「日本最後のシャーマンたち」面白い本です。
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「復讐は冷やして食べるのがいちばん」
フランスの諺で、熱に浮かされて瞬発的に復讐するのではなく、時間をかけてゆっくり復讐した方が満足度が高いという意味らしい。時間というものにいかに心を癒す力が宿っているかを伝える、叡智あふれる至言だ。
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フロイトが次々と考えや愛が移ろっていくさまについて「水のなかで字を書いていた」と美しい表現をしている。このツイートも含めてSNSってそんな感じで、水のなかで字を書いては、水に流されて文字が消えていく。それがまたいい。
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ある編集者から書き手には若き天才が綺羅星の如くいるけど、若き天才編集者というのは稀有だと聞いた。書く能力と違って、読む能力というのは経験抜きにはどうしても成り立たないということ。大量の物語に触れることでのみ育つ心の器みたいな感じ。これは喋る能力と聞く能力にも言えることだと思う。
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マレーでは呪術をかけられたら、相手に呪術をかけ返すしか対処法がなかったらしい。これは「目には目を」の精神で不穏に見えるが、実は報復を呪術に限定することで、物理的暴力や経済的制裁を防ぎ、村の平和を守るためであったとのこと。確かに呪いには直接的行動に出ない、という人間的抑制がある。
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朝井リョウが週刊文春の「私の読書日記」で、小説家は古今東西のどんな人間でも登場人物として描くことができるが、自分より頭の良いキャラだけは描けないと書いていて唸らされる。「人間を描くとはどういうことか」という本質的な問いだ。あるいは人は神を描けないという限界性の話でもある。
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映画「かがみの孤城」が素晴らしかった。不登校の傷つきと回復が切実に描かれていて、心理学書は物語にかなわないなと思わされる。大学生の頃、心理学の本じゃなくて小説を読めと色んな先生が言っていて、よくわからなかったが、心というものは概念よりも物語によって伝達されるということ。
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いわゆる自己実現というのは「なりたい自分になる」「やりたいことをやる」というものではなく、環境が自分に求める役割のうちで「無理なく」やれることをやっていくことなのではないか。自己を1番よく知っているのは自分ではなく社会であるという逆説がある。ただし「無理なく」が真のミソだ。
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谷川俊太郎の「色」という詩がすごかった。「希望は複雑な色をしている」という一文から始まり、「裏切られた心臓の赤」とか「日々の灰色」とか「原始林の緑」とかあまり希望っぽくないカラフルさが列挙され、「絶望は単純な色をしている 清潔な白だ」で締められる。確かにそんな感じがする。
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ラポール(信頼関係)について、それは支援の前提であり、最初にラポールを作るべしと語られがちだが、まだなんの役にも立っていない専門家を信頼することができようか。ラポールとは「ひとまず役に立った」ときに形成されるもので、そのために専門家は問題の整理や環境調整を最初になさねばならぬ。
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昨今あまり語られないのは、カウンセリングには長い長い話を聞く仕事という側面があること。できるだけ長く(つまり、複雑な話を複雑に)話してもらうためには、ときに専門的な知識や技術がどうしても必要になるが、長い長い話には心を支える深い力がある。ただファスト文化は長い話の価値を見失いやすい
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プラセボ効果のプラセボって、ラテン語では「喜ばせる、満足させる」という意味があり、そもそもは死者への祈りの中で使われる言葉であったらしい。そういう意味で、プラセボとは希望を処方することであり、慰めをもたらすことであり、いかなる治療もまずはプラセボこそが大事ということになるな。
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「何でも話せる友人が一人いるかいないかが、実際上、精神病発病時においてその人の予後を決定するといってよいくらいだ」と中井久夫が言っているように、友達というのはメンタルヘルスケアの最重要ファクターの一つだと思うんですね。今度出る「聞いてもらう技術」本も本質的には友人論になってる。 twitter.com/shintak400/sta…