東畑 開人(@ktowhata)さんの人気ツイート(リツイート順)

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コロナ離婚。一緒にいればいるほど、相手が遠くなって、孤独になっていくという逆説。二人の関係が難しいことについて話し合えると深まって、それを言えずに行動で対処するとより難しくなっていくのが親密性。コロナ以前には外の関係を充実させる方向が重視されて、なかなか問題にされなかった関係だ。
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「心のせい」にして自分を変えようとするのは自分一人でできることもあるけれど、「心のせいではなく、社会のせいだ」と思うには、同じように思ってくれる仲間とか友達が必要なのは重要なことだ。社会的苦しみは、社会的つながりになくしては対抗できない、ということ。これは「密」の力でもある。
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フロイトの「性理論のための3篇」を読んでて出会った美しい表現。 心の暗闇とはお喋りできる他者の不在である。あるいは、喋りかけるとは光ることである。
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「夫婦がギクシャクしないために」と記事にはあるけど、ちゃんとギクシャクして、ギクシャクしていることについて話し合うのが大事だ。「向き合う」とはギクシャクすることなのだから。 twitter.com/ktowhata/statu…
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ポジティブ心理学もアンガーマネジメントもそうなのだけど、感情の中に明確に善と悪を設定すると組織の研修に受け入れられやすく、そこをフラットにして色々な気持ちがあっていいじゃないかとなると、個人心理療法的になる。個人であるとは、感情のレベルで自由であることなのだろうな、と思う。
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ふと思ったのだけど、スクールカウンセラーが人生で最初の心理士との出会いであることってとても多くて、そこでいい体験をできると、その後の人生でカウンセリングや心理的援助を利用するための希望の基礎になるわけだから、スクールカウンセラーというのは社会的に物凄く大きな価値のある仕事だ。
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炎の人類学者と勝手に呼んでいる磯野真穂さんの「ダイエット幻想」を読み始めているのだけど、「本能論は思考停止には適しますが、考えるには適しません」と炎の名言が出てきてシビレる。「本能」で説明してしまうことは、安易に現状肯定になってしまうからこそ、炎の右フック。
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「心が病む」というとき、心は基本的に二人称なのではないか。世の中には様々な苦悩があるが、そのほとんどが他人からもたらされるか、「他人がいない」ということからもたらされる。他人は万病の元だが、同時にその万病の薬でもあるのが面白い。
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ラポール(信頼関係)について、それは支援の前提であり、最初にラポールを作るべしと語られがちだが、まだなんの役にも立っていない専門家を信頼することができようか。ラポールとは「ひとまず役に立った」ときに形成されるもので、そのために専門家は問題の整理や環境調整を最初になさねばならぬ。
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これは辛い。任期付雇用は本質的にすさまじい暴力なのに、手続き的に適法であることによって見えにくいものにされている。しかし、任期が切れた当事者には、その暴力性がはっきり体験されているので、それがこういう暴力的な形で噴出する。一方は適法の暴力で、もう一方は違法なのが、さらに暴力的。 twitter.com/syakusanjiki/s…
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昔、祈るとは共同体の繁栄のためになされる行為だったが、あるときから個人が自分の利益のために祈るようになったという。その象徴が賽銭箱だとのこと。それぞれが私有財産を投げ込んで自分のことを祈る。確かに賽銭箱がないと、神様に話しかけてる感じが出にくいから偉大な発明だ(神社にとっても)
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心を変化させるために、心に介入すべきときと、環境に介入すべきときとあって、環境を変えないといけないときに心を変えようとすると、ひどい暴力になってしまう。その見極めができるようになるのが、心の専門家の最低限の資質と思う。実際、環境が変わるとかなりの程度、調子は良くなるものです。 twitter.com/ktowhata/statu…
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三月に出る本のゲラが来る。編集者の提案通り、接続詞を取ってみると、文章が小川のように流れるので、衝撃を受ける。「だから」「しかし」は、書いてるときにはどうしても必要に思えるのだが、実際には散乱した瓦礫のように流れをせき止めている。文章は本来、ポンポン置いとけば流れるという学び。
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編集者氏に教えてもらったのだが、書くべきことが始めからしっかりと分かっている本の場合、文体は無個性な方が良いらしい。ストレートに書きたいことを書ける。だけど、書きながら考える本にはその人なりの文体が必要。わかっていないことを書き続けるために文体というものが存在している説。
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「人間というものは、いわば内乱状態です。それに調和をあたえたり、またそれを一つの論理的全体にすることは不可能です」 あのアラビアのロレンスの言葉だけど、至言。心の中の一つの声が他を制圧すると、小さくなった声がテロを起こすので、複数の声がきちんと響いてるくらいが健康。
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新刊「なんでも見つかる夜に、こころだけが見つからない」が3月16日に出ます!現代におけるカウンセリングとかセラピーについて真正面から考えた本であり、そして読者にとって「読むセラピー」になればと願って書いた本です。 amazon.co.jp/%E3%81%AA%E3%8…
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江川紹子「『カルト』はすぐ隣にーオウムに引き寄せられた若者たち」に元信者の手記が出てくるが、ひどい環境の中で体を壊すところまでいっているのに、環境ではなく、自分を変えようとし続けるのが印象的。それは無理があるのだけど、だからこそ自己に対する期待がミラクルな水準にまで高まっていく。
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末木新「自殺学入門」面白い。動物は自殺するのかという章で、カマキリのオスが交尾中にメスにわざわざ食べられる自殺のような行為をするのだが、それはメスはオスを食べている間は他のオスと交尾をしないからなのだそう。命を捧げることで支配するという生命の神秘というか恐ろしさを感じる。
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週末、レンタルなんもしない人との対談があるのだけど、この「傷ついた部分をそっと触れずに置いておいてほしい」というSNSに向けられたニーズを結晶化したのがレンタルさんだったよではないか、という仮説。 twitter.com/ktowhata/statu…
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読了。ナチスが政権をとって以降、社会への同調圧力が極端に高まる中で、社会に同化できない人を選別する役割を精神医学が担っていて、そこにアスペルガー氏の仕事があったという話。精神医学と社会がいかに密接に絡まりあってるか、発達障害が注目される社会とはいかなるものかを考えさせられました。 twitter.com/ktowhata/statu…
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共同通信で連載している「心辞苑」。心をめぐる色々な意味がこめられている言葉についてのエッセイ。特に心を見えなくさせるけど、ときどき心を見えるものにすることもある言葉たちを選んでます。そのうちのいくつか「普通」「面倒くさい」「関係ない」をご紹介。
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さらに考えると、「文系の学問はどう役に立つのか」という問いに対しては、「いかにお金儲けに役立つか」という資本のロジックで答えるのではなく、「資本の暴風の中での個としての自由にいかに役立つか」で答えればよいということになる。現代にあって文化とは基本的にそのためのものなのではないか。
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先日の朝日新聞に書いた文章、こちらで全文読めるようです。 大佛次郎論壇賞・東畑開人さん受賞記念寄稿 ケアの価値見失う大きな社会|好書好日 book.asahi.com/article/130655…
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心を扱う援助職は、心理学だけでなく同時に社会論を必要とするはずです。心は社会の中で病んだり癒されたりするしかなく、そもそも「心を扱う」という発想そのものがある種の社会的環境を前提とするからです。だから、極力最新の社会学や人類学を踏まえた社会論が、臨床心理学には必要だと思う次第。
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「私は淋しい人間ですが、ことによるとあなたも淋しい人間じゃないですか。私は淋しくても年を取っているから、動かずにいられるが、若いあなたはそうは行かないのでしょう。動けるだけ動きたいのでしょう。動いて何かにぶつかりたいのでしょう」 言うまでもなく、夏目漱石の「こころ」だが、至言だ。