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「自己肯定感」って心理学的な言葉で、それを心理学的介入によって改善しようという意図をもつ言葉と思うが、実は「自己肯定感」の低さを「心のせいではなく、社会のせいだ!」と怒ったり、悲しんだりしたときに初めて、自己肯定の回復が訪れることはままある。これも心理学のパラドックス。
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抜毛についての卒論が面白い。女子大生の4割が眉や髪の抜毛を経験しているという結果で、しかもそのほとんどが医療機関などにはかからない。抜毛自体が自分のストレスを自分でなんとかしようとする行為だが、それをさらに自分でなんとか治そうとする子どもたちの浮かび上がる。
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ポジティブ心理学もアンガーマネジメントもそうなのだけど、感情の中に明確に善と悪を設定すると組織の研修に受け入れられやすく、そこをフラットにして色々な気持ちがあっていいじゃないかとなると、個人心理療法的になる。個人であるとは、感情のレベルで自由であることなのだろうな、と思う。
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これは知らなかった。世間ではアンガーマネジメントブームなのか。アンガーとは不当なことに対してぶつけるならば、正当でありうるものだと思うし、そのことで良い変化も起こりうるものと思うが、現代社会ではなかなか居場所がない感情でもある。アンガーマネジメントには自己責任的な悲しさがあるなあ twitter.com/mimimizuho/sta…
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この論文、僕なりに戦後から今までのの臨床心理学を総括して、今後の臨床心理学や心理臨床についての新しい枠組みを設定してみた超本気の論文です。おそらく賛否両論があると思うのですが、議論をしていけたらと強く思っているので、ぜひ読んでもらえたら。 twitter.com/Sadd1e_Tramp/s…
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中国でポジティブ心理学が流行ってるとのこと。以前は「福」は親族とか村落とか共同体レベルでやってくるものだったから祈りとか呪術とかを用いたが、今では個人レベルで追求するものになったので、心理学的技術を使うものになったという。「福」のサイズが小さくなると、心理学の出番になる。
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心理学関係の講座やスクールで、中国の人々が学んでいるのは「自我」であるという話は面白い。共同体や家族に絡めとられているところから、境界線を引き、個人になっていくプロセスを心理学の知が補助し、牽引する。そう思うと、「嫌われる勇気」があれだけ売れたのも納得いく。「自我」は売れる。
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「苦悩している」と自覚することが、その苦悩からの解放であるというパラドックスが、心理学の大変奥深いところだ。
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「ど素人でも三日で心理カウンセリングをマスターする技術」を読んで思ったが、実際テクニック自体は三日でマスターできるようなものなのかもしれない。問題は心理学的に理解することを習得するのに、大変長い時間がかかること。そして、理解を伴っていない技術は全く役に立たないこと。
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「かなたからかなたへと呼び声がする。呼び声に打たれるのは、連れ戻されたいと思っている者なのだ」
一見、米津玄師作詞かと勘違いしてしまうカッコ良さだが、ハイデガーの「存在と時間」の一節。哲学者はカッコいい文章を書きますな。
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手越くんの会見、ついつい見てしまう。「夢追い」系の自己実現の言葉が、実は「このままだと失業するのではないか」というリスク不安に駆り立てられている感じがして、現代のキャリアをめぐる辛さをよく言い表してる。
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ひと昔前の中年期の危機は「中年としてどう生きたらいいか」という問いだったけど、現代のそれは「中年になるか否か」という問いになったと言えるかもしれない。心がずっと青年でなかなか中年になれないのはつらいものなのです。
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末木新「自殺学入門」面白い。動物は自殺するのかという章で、カマキリのオスが交尾中にメスにわざわざ食べられる自殺のような行為をするのだが、それはメスはオスを食べている間は他のオスと交尾をしないからなのだそう。命を捧げることで支配するという生命の神秘というか恐ろしさを感じる。
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普通に暮らせる給料を得ながら、社会にとって善きことをなそうとした若者が、理想を持つことを愚かだったと思い、他者のことを考えようとするなんて甘かったと絶望してしまう。労働力の基準では換算できない深い損失のはずなのに。
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知人の話を聞くにつれ、やるせなくなるのは、家庭と社会が子育てをし、教育を授け、一人前にした若者を、社会がブラック企業をもって遇すること。それは希望を持った未来ある若者のキャリアに傷がつくというだけでなく、彼らに深い絶望を植えつけている。貴重な希望を殺す社会の自滅と言わざるをえない
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オンラインイベント、最後ブチっと切れるのがさみしいという話をよく聞く。確かにリアルだと「廊下」があって、そこで個人的に延長戦をしたり、余韻を感じたりができた。職場や学校でもそうだ。人間らしいことは大体「廊下」で起きていたのではないか。
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オンライン幼稚園という話を聞いた。ただパソコンをzoomに接続しておくと、子供同士でおもちゃを自慢したり、なぞなぞをしたり、勝手に遊び始めるのだという。面白いのは、大人がzoomをやると1人ずつしか喋らないけど、子供は好き勝手にしゃべるところ。オンラインの斬新な使い方を子供から学べる。
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心に向き合うとは何か。それは個別性を徹底することである。僕が思うに、これが現代でも色褪せない河合隼雄の根本思想。つまり、ケースバイケースを見ることが心を見ることであるということ。問題となってるのは「個人」で、それは片足が心、もう片足が人権であって、両足は支えあっている。
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この本読んでいて、貧困に至ってしまう一つずつの判断が、切迫してしまって、まともに思考できない状態でなされているのが印象的だった。「自己責任」は自由と生存が確保された上での正常な思考での判断に適用されるはずなのに、その自由と生存を確保すること自体が「自己責任」とされてしまっている。 twitter.com/ktowhata/statu…
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吉川ばんび「年収100万円で生きる」とてもよかった。特にあおり運転をする男性が仕事も家庭もつらい状況で、ハンドルを握ってるときだけ自分の人生をコントロールできている感覚があるがゆえに、それを邪魔されると攻撃的になってしまうエピソードは考えさせられた。いかに日々がコントロール不能か。
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オンライン授業。教員のやる気が出過ぎたのか、直接会えないのが不安なのか、あらゆる授業でいつも以上に課題が出るので、学生が参ってるという話を聞く。課題自体も、校舎があって、友人と話し合いながらなら簡単にできたものが、家で一人で取り組むと細々したことが難しく、時間が食われるとのこと。
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カルトの人が思考停止と非難されることがあるが、実際には「教祖・教団は正しい」という部分については思考停止していても、その他の部分はむしろ活発に思考が動いているとの指摘は考えさせられる。カルトでなくても、なんらかの共同体に適応するとは、思考停止する一点をもつことなのかもしれない。
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「カルトという問題を考えるときに最も大事なのは、自分が「正しい」と思った道を貫き通すことではなく、立ち止まって考え、しっかりとブレることのできる勇気を持つということである」(なぜ人はカルトに惹かれるのか p114)
「正しさ」の複数性を維持することがいかに大変で、そして貴重か。
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コロナのストレスについて授業でアンケートを取った。恋人や家族など親密な人との間で、衛生意識が違うことが多く挙げられていた。どの程度外出自粛するかの感覚が違うことで、カップルが別れたり、家族で争いが生じる。言葉で話し合うことが最も難しいのが清潔さと不潔さ、安全とリスクの感覚。