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「視点・論点」で話した「新型コロナは心にどう影響したのか ~奪われたケアについて~」がテキストになっています。
コロナが心に与えた影響は「間接的」であったこと、そして先送りと誤魔化しが、心にとって実に貴重なものであったことについて。
nhk.or.jp/kaisetsu-blog/…
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ファンタジー小説だと、呪いの解き方は、呪いをかけた人の名前を言い当てることなのだけど、これは学問でも同じ。誰の呪いで、それがどのように思考を制限しているかを明らかにできると、呪いは解ける。つまり、多くの場合、自分が何の呪いにかかってるのかがわからないのが、呪いの恐ろしいところ。 twitter.com/ktowhata/statu…
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プラセボ効果のプラセボって、ラテン語では「喜ばせる、満足させる」という意味があり、そもそもは死者への祈りの中で使われる言葉であったらしい。そういう意味で、プラセボとは希望を処方することであり、慰めをもたらすことであり、いかなる治療もまずはプラセボこそが大事ということになるな。
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フロイトとかユングとか、あるいはもう少し下の世代にしても、古い本には「運命が彼に襲いかかった」みたいに「運命」という言葉がよく出てくる。これは現代の心理の本からは完全に消えた語彙だ。責任の所在をはっきりさせないといけなくなると、運命には場所がなくなる。これが現代のつらさでもある。
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保健室がまさにそうなんだけど、「居場所」というのは定住する場所ではなく、あくまで避難所であるのが大事ですね。普段は隠されている苦しさが束の間現れるのが居場所。いつもいる場所とか職業にしちゃうと、居場所は居場所じゃなくなってしまう。
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心を扱う援助職は、心理学だけでなく同時に社会論を必要とするはずです。心は社会の中で病んだり癒されたりするしかなく、そもそも「心を扱う」という発想そのものがある種の社会的環境を前提とするからです。だから、極力最新の社会学や人類学を踏まえた社会論が、臨床心理学には必要だと思う次第。
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「夫婦がギクシャクしないために」と記事にはあるけど、ちゃんとギクシャクして、ギクシャクしていることについて話し合うのが大事だ。「向き合う」とはギクシャクすることなのだから。 twitter.com/ktowhata/statu…
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いわゆる自己実現というのは「なりたい自分になる」「やりたいことをやる」というものではなく、環境が自分に求める役割のうちで「無理なく」やれることをやっていくことなのではないか。自己を1番よく知っているのは自分ではなく社会であるという逆説がある。ただし「無理なく」が真のミソだ。
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「人間というものは、いわば内乱状態です。それに調和をあたえたり、またそれを一つの論理的全体にすることは不可能です」
あのアラビアのロレンスの言葉だけど、至言。心の中の一つの声が他を制圧すると、小さくなった声がテロを起こすので、複数の声がきちんと響いてるくらいが健康。
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週末、レンタルなんもしない人との対談があるのだけど、この「傷ついた部分をそっと触れずに置いておいてほしい」というSNSに向けられたニーズを結晶化したのがレンタルさんだったよではないか、という仮説。 twitter.com/ktowhata/statu…
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昔、祈るとは共同体の繁栄のためになされる行為だったが、あるときから個人が自分の利益のために祈るようになったという。その象徴が賽銭箱だとのこと。それぞれが私有財産を投げ込んで自分のことを祈る。確かに賽銭箱がないと、神様に話しかけてる感じが出にくいから偉大な発明だ(神社にとっても)
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アカデミアの先輩たちの話を聞いてると、各世代毎に異なる「呪い」がかかっているのがわかる。呪いは一見、思考の幅を狭めているようにも思うが、呪いがかかっていないと思考が深まらないのも事実。呪いの一つや二つがあって、その呪いと戦うから学問は面白い、という感じ。これが多分、学問の自由。
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教育の仕事をしていて、「褒める」という行為が最大に役立つのは不確かさの領域と思う。例えば、アイディアの価値や自分の技量など、客観的基準がない領域では、尊敬できる人に褒めてもらわないことには、「確かさ」の感覚が得られない。この安心をもたらす褒めが、教育者の中核的な仕事ではないか。
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宮崎市定「科挙」を読むと、昔から子供が勉強するのを嫌がってくると、大人たちが「今頑張れば、将来最高だよ」と励ましていたことがわかる。その結果、科挙に通ると汚職をしまくるわけであるから、欲望を後回しにし続けると、何をしても満たされぬ欲望となって暴走してしまうのではないかと思いますな
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江川紹子「『カルト』はすぐ隣にーオウムに引き寄せられた若者たち」に元信者の手記が出てくるが、ひどい環境の中で体を壊すところまでいっているのに、環境ではなく、自分を変えようとし続けるのが印象的。それは無理があるのだけど、だからこそ自己に対する期待がミラクルな水準にまで高まっていく。
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「心の革命」。フロイトとユングの決裂が、街中のクリニックと精神病院という働く場所の違いであり、見ている患者の違いであったことが見事に描かれてる。心理学理論は本質的に特定の人たちの心を描いたローカルなものなのに、普遍的な人間心性として語られがちであることの悲劇。
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10連休(人によってだけど)というのはたしかに破壊力があって、普段仕事があることによって、見ないで済んでいたプライベートな問題に目を向けざるを得ないくらいの長い時間ですね。働くことを問われ続けた平成の終わりにふさわしいのかもしれない。
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臨床心理学増刊号「心の治療を再考する」出ます。僕は編集も担当したのですが、渾身の一作です。心の治療について、人類学や宗教学など人文知はさまざまな分析をしてきたわけですが、それらの蓄積を一望し、かつ臨床家の応答も寄せられた特集になります。目次は以下のリンク
kongoshuppan.co.jp/smp/book/b6083…
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「認知行動療法の哲学」という本の面白さは、「哲学者の認知行動療法」にあると思う。ソクラテスやエピクテトス、デカルト、スピノザ、カントなどなど、哲学者たちがセルフケアとして「哲学すること」に取り組んでいた姿が、ユーモラスでもあり、切実でもあって、人間的な感じがする。
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心理療法は前景に「心」があるが、後景には常に社会がある。つまり、時代の問題や社会の歪みがある。前景だけを語れば普遍的な人間の心性が浮かび上がるけど、後景を語ればローカルな営みが見えてくる。もちろん、両方必要だが、この20年は前景重視で、後景を語る言葉が貧しくなっていたのではないか。
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ひと昔前の中年期の危機は「中年としてどう生きたらいいか」という問いだったけど、現代のそれは「中年になるか否か」という問いになったと言えるかもしれない。心がずっと青年でなかなか中年になれないのはつらいものなのです。
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「もっとも貧しき男も自分の小屋にいれば、王に対抗できる」
ウィリアム・ピットという昔の政治家の言葉なのだが至言だ。自分の家とか自分の部屋というものに、勝手に他人が入ってこれないことによって、人間が人間らしくいることが保証される。自分だけの個室というものにいかにパワーがあることか。