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オンラインのつながりは清潔だ。飛沫は飛び散らず、臭いもしない。だからウイルスは感染しない。比べるとリアルなつながりはなんと不潔だったことか。しかし、その不潔さにこそ他者のリアリティがあり、心を支える力があった。「昔はよかった」ではなく、オンラインは不潔になりうるかという問いとして
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この本、元信者は自戒を込めて、「自分の頭で考えること」を放棄しないようにと書いている。しかし、他の登場人物も含めて、自分の頭で考え続けた結果、信仰に目覚めていくわけだから、広い人間関係に開かれて、自分の頭だけで考えないのが大事なようにも思える。 twitter.com/ktowhata/statu…
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「スッキリする」って良いことのように言われていて、確かに気持ちいいのだけど、実はスッキリとは葛藤を投げ出して決着をつけてしまうということでもあります。だけど、高野秀行さんが「葛藤が続く限り、青春は続く」と名言を残していたように、葛藤は多くのものをもたらしてもくれるものなのです。
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心に向き合うとは何か。それは個別性を徹底することである。僕が思うに、これが現代でも色褪せない河合隼雄の根本思想。つまり、ケースバイケースを見ることが心を見ることであるということ。問題となってるのは「個人」で、それは片足が心、もう片足が人権であって、両足は支えあっている。
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「千と千尋の神隠し」の湯婆婆と銭婆。昔はどう考えても銭婆の方がいいやつだと思っていたが、歳をとると祟り神対策のリスクマネジメントをしっかりやり、顧客満足度に気を配り、みんなの雇用を支えている湯屋経営者の湯婆婆は実は立派な人なんじゃないかと思うようになるな。
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「かなたからかなたへと呼び声がする。呼び声に打たれるのは、連れ戻されたいと思っている者なのだ」
一見、米津玄師作詞かと勘違いしてしまうカッコ良さだが、ハイデガーの「存在と時間」の一節。哲学者はカッコいい文章を書きますな。
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編集者氏に教えてもらったのだが、書くべきことが始めからしっかりと分かっている本の場合、文体は無個性な方が良いらしい。ストレートに書きたいことを書ける。だけど、書きながら考える本にはその人なりの文体が必要。わかっていないことを書き続けるために文体というものが存在している説。
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今年の卒論で面白かったのは、老人ホームでの杖を使う前と後での心理的変化についての調査。杖を使う前は「余計体が弱くなる」「変な目で見られる」と不安だったが、使ってみると「席を譲ってくれた」「リハビリを応援された」など意外によかったという結果。杖は本人だけではなく、周囲を変える。
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具合悪くなると全てが意味に満ちてきてしまうんです。吉兆も悪兆もない退屈な日々というのは、安全感によって支えられていて、そこにおいてしょうもない雑談が成立する。そして逆に、しょうもない雑談を試みると、思いのほか世界は安全だと知らされるというのもありますね。 twitter.com/ykoike122/stat…
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「自分で自分を褒める」ってよく言われるけど、自分の内側でエネルギーを無限に生み出していく原子力発電みたいで不自然ですな。やはり、自尊心は周りの人に褒めてもらう風力発電モデルが良い。 twitter.com/shiraishimas/s…
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「何でも話せる友人が一人いるかいないかが、実際上、精神病発病時においてその人の予後を決定するといってよいくらいだ」と中井久夫が言っているように、友達というのはメンタルヘルスケアの最重要ファクターの一つだと思うんですね。今度出る「聞いてもらう技術」本も本質的には友人論になってる。 twitter.com/shintak400/sta…
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彼氏にお金を貢いでしまう「課金彼氏」についての卒論。当初はお金を出すことで彼氏をコントロールしようとしていたのが、気づけばお金を出すよう彼氏からコントロールされるようになっているというプロセスが描かれていて大変面白い。お金にはコントロールの魔力が潜んでいることがよくわかる。
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レンタルさんとの対談が記事になっております。「遊び」がいかに人生を支えるか、あるいはガチとエンタメなどについて話しています。
この社会はガチすぎる…「レンタルなんもしない人」が求められる理由 @gendai_biz gendai.ismedia.jp/articles/-/664… #現代ビジネス
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「心のせい」にして自分を変えようとするのは自分一人でできることもあるけれど、「心のせいではなく、社会のせいだ」と思うには、同じように思ってくれる仲間とか友達が必要なのは重要なことだ。社会的苦しみは、社会的つながりになくしては対抗できない、ということ。これは「密」の力でもある。
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ふと思ったのだが、「即戦力」という言葉は、実際のところ今ある仕事をそのままやれそうな人材を意味していて、未来に何か新しいものをもたらしてくれる可能性や、未来には何者かに育っている可能性に賭けるニュアンスが省かれてる。「即戦力」を求めるとき、我々の未来への想像力が停止している。
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カウンセリングとコーチングの違いについての記事で面白かった。付け加えると、カウンセラーは人間の心のネガティブな領域ー例えば自己破壊性などーを扱う訓練を受けているように思う。それは普通の人間関係やセルフケアだと手に余る部分で、「専門性」が必要なところ。
note.mu/marisakura/n/n…
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森本あんり「不寛容論」とても面白かった。アメリカ草創期の宗教的迫害の歴史を追いながら、寛容とは「しぶしぶ」するものであり、つまり不快さに耐えながらなされる努力であり、そのために必要なのは相互の礼節であったという話。寛容な忍耐のためには、気持ちをどうこうするより、礼儀が役に立つ。
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色々と読み比べてみて、自己啓発本は「心を一つ」に集約する技術書なのだと結論。心が複数あると「〇〇したいけど、でもやっぱり」と葛藤が生じるが、心が単数だと迅速な行動が生じる。ただし、葛藤からは物語も生まれるから、ビジネスは単数の心に、文学は複数の心に、ということなのかもしれぬ。
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小説というのは葛藤の芸術で、AかBか、右か左か、白か黒かで、身動き取れなくなった主人公が、結論を保留にして、運命に身を任せる中で、Cっていう新しい世界の見方に開かれていく。この時間と偶然による思索の深まりというのが、学術書では太刀打ちできないし、僕らの実生活もそんな感じで流れてる。
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「涙は極度の悲しみからは生まれないが、ただ、なんらかの愛あるいはまた喜びの感情を伴ったり引きずったりする中くらいの悲しみから生じる」
これもデカルトの言葉だが、正鵠を得てる。悲しいことを涙するためには、もう泣いても大丈夫なくらいには、良いものが手元にないといけない。
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ようやく懸案だった翻訳の仕上げにとりかかる。「認知行動療法の哲学」という本で、古代のストア哲学から続く理性の系譜として認知行動療法を読み解き、さらに古代の哲学者たちがなしていた「魂の治療」がいかなるものであったかが鮮やかに描かれている。心を扱うことの歴史の厚みが素晴らしい。
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大学の講義はオンライン化するわけですが、こういうときだからこそ「コロナ時代の心のケア」をテーマにするべきではないかと考え始めている。オンラインによるつながりを通じて、オンラインによるつながりを共に考える講義。みんなが当事者だからこそ、これまでの専門知の限界と可能性を考えられる。
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同じことをグルグル考えているとき、絶対に答えが出ない気がするけど、実際には半年や一年単位で違う風に考えるようになるものです。思考とはカタツムリのようで、研究もカウンセリングもそういう営みだと思う。問題は考え続けることが難しいことなので、同じことを話せる相手がいるのには価値がある。