イジメや虐待などを受けた人間は神経が剥き出しになり、「自分はあの人間にこのタイミングで攻撃されそう」と予測するセンサーがつくんだよな。これは非常時は役に立つけど、通常時は役に立たないどころか害悪で、周囲に「いつも不要にビクビクしてる」と疎まれ、非常時を自己実現させてしまうというな
ADHDはタスクの優先度が分からないわけではないけど、脳の中の優先度が「今思い付いたタスク」>>「今やるべきタスク」の為、今やるべきタスクに着手していても常に頭に「今思い付いたタスク」が引っ掛かり続けて上の空になってしまい、結果どちらのタスクも台無しになってしまう悲劇が多い気がするな。
自己肯定感の低いメンヘラ特有の「大切にされると不安に思うが、雑に扱われると安心する」という謎の心理、多分コミュ障なら「飲み会で気を遣われて接待されるよりも、取り分けなどの雑事をやってる方が楽」という表現でピンとくると思うんだよな。悪い方には行かない「とりあえずの正解」がある安心感
無表情・無感情そうに見える陰キャは最初からそうだったのではなく、むしろ幼児期は天真爛漫だったパターンが多いんだよな。人1倍感じやすいからこそ、人間との軋轢に傷付かないように感情を抑えて息を潜めていたら、いつの間にか無感動がデフォルト化。感じやすいからこそ擦り切れてしまったというな
「人間は努力次第で何にだってなれる!」は格差が小さい頃は希望だったが、格差が拡大するにつれて「貴方が不遇なのは努力不足だからだ!」という呪いに変わっていき、研究によって遺伝&実家の所得が人生に与える影響のデカさが明るみになった結果、「親ガチャ」という言葉が誕生してしまったというな
陰キャにとって「社交する」というのは基本的に異常事態なので、社交するには人間と交流する時間以外に「心の準備の時間」も必要になるんだよな。その為、陰キャは社交中に普通に振る舞ってるように見えても、既に1定のMPを消費してる状態なので所々疲労が見えるし、終わったら家でグッタリというな。
自己肯定感の低いコミュ障、友達がいないわけでは無くても「自分は相手の事が凄く好きだけど、相手には(自分より親しそうな)友達が沢山いるし自分への思い入れは…」と妙な気遅れから、周囲に「☓☓とは友達だよ」と断言出来ず、相手に迷惑かも?と距離を縮められず、気が付けば疎遠になるというな。
陰キャの多くは人生において人間から叱責・叩かれたりしたあまり、神経が剥き出しになって殴られ耐性が低くなってるので、人間と接する時は「機嫌を損ねない」が最優先になるんだよな。それ故に「距離を詰める」「心を開く」などの殴られリスクを取る事が出来ず、会う度に段々ギクシャクしてくというな
小さい頃に「真面目で良い子」と言わがちな人間は、往々にして「周囲から非難されるような事はやらない」人間でもあるので、誰も見てないところだと際限なく自堕落になるし、大学という自由&自己責任な場においては、遅刻欠席無勉などの些細な堕落を積み重ねて、留年の危機に陥る傾向があるというな。
陰キャが「友達はいる?」という質問に即答出来ないのは、往々にして友達0人というよりも「自分なんかが友達と断言していいのだろうか?」と怯えがあるからなんだよな。人間関係のトラウマで「自分に正直になる=調子に乗ると痛い目を見る」が骨身に染みてるので、言葉を濁さずにはいられないというな
ADHDの「決断」節約ライフハック ・オバマ法 出勤などに使うスーツ・シャツを1種類にする。また靴下を1種類にすると揃えて整理/探す手間が省けたり ・困難は分割せよ法 大きなタスクを複数の小さなタスクに分割する事で、決断の分割払いを可能にする ・成金法 金を使って解決出来る面倒は金を使う
自己肯定感が低いメンヘラがやってしまいがちな言動が、「嫌われる理由を探して、その通りに嫌われる」なんだよな。自己肯定感が低い故に自分が大切にされるとモヤモヤし、それをハッキリさせようと不安の種を探してしまう。結果、自らモヤモヤを実態ある脅威にしてしまい、関係が衰弱してくというな。
人間に頼るのが苦手な社会不適合人間は、甘えるなと言われ過ぎたり迷惑がられ過ぎた結果、人間に頼ろうとするとフラッシュバックや葛藤や失敗予感で多大なストレスを感じてしまう傾向にあるんだよな。それ故に人間に頼る発想を持たず1人で抱え込むのが、ある種のストレスマネジメント化してるというな
自尊心が低過ぎる人間は、自分に価値を感じてないが故に他者に良くされる事に「何か見返りを求められる?期待/誤解されてる?」と居心地の悪さを感じてしまうんだよな。その為、敢えて人間から嫌われるような態度をとったり、自分を酷く扱う人間に近付いたりして、不幸になる事で安心を求めるというな
ADHDの人間、往々にしてスペースが散らかってるのは「汚くても気にならない」というより、「限界まで物を自らの活動に合わせて配置してしまう」的な要素の方が大きいので、少し他者の手が入るだけで大混乱してしまうし、傍目には「整理整頓が苦手なのに完璧主義!?」という矛盾した人間に映るというな
人間関係苦手なADHD、報告連絡相談を後回しにするも、頭には引っ掛かり続けてしまうので早目に終わらせた方がいいのだけど、それを意識すると「非合理的な選択をしてる」恐怖・焦燥も加わって更に身動き出来なくなってしまい、真面目なほど心にダメージ負うのに行動結果は不真面目になりやすいというな
真面目で優しいと言われる人間が大学や就職辺りで駄目になるのは、「大人に従うという処世術で社会やってきたが故に表と裏を使い別ける社交の経験値/知がない」からなんだよな。社交チュートリアルをやってないどころか存在すら知らないのに、当たり前のように本番が始まり、戸惑ってる内に全て詰むな
人間関係リセット癖のある生物、大体は「嫌な事を嫌と言うと面倒になりそうだから」と溜め込むタイプであり、リセットする時は嫌な事が起きた時というより「それがキッカケで面倒臭さの限界を超えた」時であり、面倒が発生する環境自体が無理になってるので、実質的にリセット以外解決法がないんだよな
自己肯定感の低いコミュ障は、好意を抱いている人間と交流しようとすると「気を使わせたらどうしよう?」「自分は相手に何も与える事は出来ないでは?」と思い悩んで妙な消耗の仕方をするんだよな。結果、言動がギクシャクしたり変に距離感を調整しようとして行き詰り、徐々に疎遠になっていくというな
コミュ障で悩んでる人間は「空気が読めない」以外に、「空気は読めるがどうしていいか分からない」というパターンも多いんだよな。この手の生物は空気が読めるからこそ「今の発言は失敗だ!」と自分の言動の1挙1動に苦しんだり、「空気を乱さないように」を意識しすぎてモノ言わぬ地蔵と化すというな。
「苦労が人間を育てる」というけど、本当に厳しい環境に置かれた人間はその対処で精1杯なあまり、他の事に気が回らなくなったり、活動範囲を広げられなくなるんだよな。結果、同年代の人間が出来てる/知ってる事に対して遅れが目立つようになり、「苦労してないんだね」と煽られる羽目になるというな。
人間、食って寝るだけだと心身は回復するけど「満タン」にはならないんだよな。人間が満タンになる為には、イベントや旅行や温泉などで色々溜まったモノを落とし切ってリセットをかける必要があって、それをしないと徐々に食って寝る事による回復量が減っていき、疲労状態がデフォルト化してくというな
幼少期に諸事情で「行動を起こす時や何かを決定する時は大人の顔色を伺う」が癖になった人間は、「自分がしたいからする」みたいな積極的動機が失われ、「しないと批難されそうだから」みたいな消極的動機が支配権を握るようになるので、何をやっても達成感よりも先に疲労感が来るようになるというな。
「努力は必ず報われる」「善人は救われる」みたいな世界観は、裏を返すと「報われていない者は努力不足」「救われない者は悪人」となるので、その世界観が強い人間ほど「貴方が不遇なのは正しくないからだ。正しくない事は不遇が証明してる」のおかしさに気付かず弱者に対し冷酷になってしまうというな
本当に厳しい環境に置かれた人間は、我慢/忍耐強くなるどころか「長期的に取り組む」という発想を奪われていくんだよな。常に「このギリギリがいつ破綻するか?」という不安に襲われており、少しの躓き/損が致命傷になるので挑戦出来なくなる。結果、傍目には短期的益ばかり求める怠惰者に映るというな