小さい頃に「真面目で良い子」と言われる人間は、「周囲に迷惑かけず決まりを守れ」と大人に叩き込まれるんだけど、いざ進学/就職等の人生の節目に差し掛かると周囲は「真面目にやれと頼んだ?報酬とか約束した?君の人生だよ?」となり、気付けば「人生始まる前に終わってた」事態に陥りがちというな
コミュ障、人間と会話する時は往々にして「1般的な人間の振る舞いを脳内でパターン分析しながら対応」というAI挙動してるので、コミュニケーション終了後には「あの返し方は不自然だった?」「あの振る舞いは正解だったぽい」「もっと上手い言葉があったはずでは?」みたいな機械学習をやるというな。
人間には「メモを取ると話が頭に入る」タイプと「メモを取ると話が頭に入らなくなる」タイプがいて、後者はマルチタスクが苦手な故にメモをとると「メモをとる」で頭がいっぱいになって話の内容を理解して追う事が出来なくなり、話は覚えてないうえにメモは要点を抑えてない最悪の結果になるというな。
Twitterで定期的に流れてくる「ドッヂボールでは避ける専門」「大縄跳びで引っ掛かりやすい」「会話は上手くないけど国語は無勉でも比較的よく出来た」的な非モテないし陰キャの特徴あるある…研究が進むにつれて段々と全てが「発達障害の症状/特徴」に回収されていくの、非常に厳しいものがあるな…。
「自分は凄い人間だ!」というのは自己評価であって、自己肯定感は「自分は凄くなくてもOK!」なので、自己肯定感高い人間は他者に対しても「OK」と寛容になりやすいんだよな。1方で自己肯定感低く自己評価高い人間は「凄くなくてはならない」ので、他者に対してもそれを求め、色々厳しくなるというな
コミュ障は普通に会話してるように見えても、常に裏で陽キャ/普通の人格というOSを仮想環境で回しながら、同時に常駐空気読みソフトと「これを言ったらこうなる」という常駐演算ソフトを動かしているので、実はメモリ不足でちょっとした事でフリーズするし、終わった後はグッタリしてしまうというな。
ADHDの先延ばし対策には「とりあえず手をつけてみる」「自分へのご褒美を設定する」「タスクを整理する」などがあるけど、症状が重い人間は「とりあえず手をつけるやる気すらない」「ご褒美待てない」「タスク整理というタスクが面倒」と「先延ばし対策自体を先延ばしてしまう」ジレンマがあるというな
「鬱は金があれば治る」「鬱はスポーツや筋トレで治る!」「鬱は他人から承認されまくれば治る」的な言説、全米オープンテニス優勝60億円プレイヤーの大阪なおみさんのうつ病公表で全て吹き飛んでる気がしなくもないな
「オタクは否定から入る」みたいな話、「いや、そんな事はないから」と言うと「ほら否定するじゃんw」となってしまうし、「そうだね」と言えば「やっぱ自覚はあるんだねw」となってしまうしで、実質「そんなこと言わせちゃってごめんね!」と強く抱きしめて相手の××を折る以外の選択肢がないというな。
「オタクは歳をとれば卒業する」「オタクは永遠には続けられない」的な言論が、良いも悪いも間違ってることを示す証拠。オタク業界は既にシニア市場を展開しつつあるというな。
幼少期に人間関係で苦労した人間が、それをバネに人間関係上手くやれるか?というと、大体は逆に苦痛を味わい続ける羽目になるんだよな。人間の恐怖をよく知ってるが故に人間関係に尻込みして周囲から遅れたり、過剰に気を回して消耗したりする。人間関係による傷は基本的に呪いとして刻まれるというな
精神がヤバくなる前兆として「楽しむ事に罪悪感を抱くようになる」というのがあるんだよな。何かが心に引っ掛かってるあまり、常に「これはサボリではないか?」と思ってしまい、何をやっても妙な焦燥感に焼かれてしまう。結果、苦役や罰に救いを見出すようになってしまいメンがヘラッてしまうというな
自己肯定感の低いメンヘラ、大事にされると「この人間は自分を誤解してる/裏がある」と不安になる1方、杜撰にされると「やっぱ自分はそういう人間なんだ」と安心してしまう側面があるんだよな。幸福の不安に耐えられず、「自分は駄目」という認知と現実が合致する不幸を選び安心を得ようとするというな
コミュ障にとっては「2人きり」より「3人以上」の方が、逆に色々厳しくなるんだよな。2人の場合は目の前の相手に気を付ければいいだけだし、何よりボールが必ずこちらに向かってくるからキャッチしやすいが、複数の場合はボールがあちこち飛び回るので、取り残されるorデッドボールで自爆の2択というな
「幼少期に苦労しないと大人になってから苦労する」というのは嘘で、幼少期に苦労すると人間に対する恐怖心を植え付けられ、人間関係に消極的になってしまうんだよな。その結果、対人経験値不足に陥ったり、人間に適切に頼ったり弱味を見せる事が出来なくなり、大人になると人生が苦役化してくというな
人見知りの精神は重い扉があるだけだから、相手と付き合っていく度に段々と扉が開いて親密になってくけど、初対面は感じ良いタイプのコミュ障はハリボテの部屋で相手を接待してるので、人見知りとは反対に相手と付き合っていく度にボロが目立ち始めるし、相手に対して気まずさや苦手意識を持つというな
1般人は予定があっても「まだ時間ある/余るから別の予定も入れよう」みたいな時間の使い方が出来るけど、社会不適合人間は予定があると「予定に向けて心身を準備しなければならないし、終わったら休まなければならない」ので、何か大きな予定あると所要時間の多寡によらず、それで1日が埋まるというな
自己肯定感は「自分は凄い人間である!」ではなく「自分は凄くないかもだけど、それはそれてして自分は存在してもいい!」という感覚なので、それが無い人間は常に寒さに凍えている状態であり、必死に他者からの承認というマッチを集めて暖をとっても、1時的に満たされるだけで直ぐに冷えてくというな
自己肯定感の低い人間に「相手の気持ちになって考えてみて」と言っても、その手の人間は往々にして「自分なんかに親切にされても戸惑うだけ」「逆に迷惑?」「そもそも関わりたくないよね?」となってしまうので、相手の事をよく考えた結果として「人間関係をリセットする」強硬手段にでがちというな。
ADHDがタスクを先延ばしにすると、往々にして「先延ばしの後ろめたさ」が頭の中に引っ掛かり続けMPを削っていくんだよな。勿論、本人も早目に終わらせた方が良いと理解しつつも、タスクを実行する為のMPは焦燥/罪悪感を覚えるからこそ尽きていく。その意味でタスク先延ばしは利子付きの借金だというな
1人暮らしでやってはいけないのが「面倒は後でやればいい」思考なんだよな。1人暮らしは自分以外に苦言を呈す人間がいないので、環境が駄目になると「鈍感」になる事で乗り切ろうとしてしまう。結果、どんなに部屋が荒れても栄養バランス崩れても危険信号を受信出来なくなり、色々手遅れになるというな
「Twitterやめたら人生良くなる!」というけど、Twitterにハマッて駄目になるような人間は、大体は実生活に何らかの問題を抱えてるからこそ駄目になるほどハマっているので、Twitterやめても問題が解決されない限り、別の依存先を探すだけなんだよな。その意味でTwitter依存は原因というより結果に近い
ADHDの人間、遊びの予定を立ててる/結ぶ時は凄く乗り気だし、遊んでる最中もノリノリなんだけど、家から出る前だけは「嫌なわけじゃないし、むしろ好ましいが、それはそれとして風呂に入る前のような謎の重力が発生してる」と億劫になってしまい、結果として遅刻してしまうパターンが多い気がするな。
コミュ障にとって会話は「楽しみとして行う営為」ではなく、「変に思われないように自身を取り繕う試練」であり、実質「面接」なんだよな。それ故に必死で「何が1番無難or好印象か?」を考え続けてしまうし、終わった後は「やっぱこう言っとけば…」と正解探しの脳内反省会が止まらなくなるというな
矛盾してるようだけど、人間は疲れ果てると「休む」事が出来なくなるんだよな。確かにダラダラしたり横になったりは出来るけど、「気持ちを切り替えてやりたい事をやる/嫌な事を考えない」というHP・MPを満タンにする営為を行えなくなる。疲れているのに、疲れを取るだけの体力・精神力がないというな