人間は老人になって「感性が衰え若者向けコンテンツを受け付けなくなる」というより、正しくは「生涯に渡って当時の思春期頃の感性を持ち続ける」だと思うんだよな。初老のロックも、中年オタクのエヴァも当時は間違いなく「若者向け」だったし、単に嗜好し続ける人間が老いて「老人向け」になるだけと
自己肯定感の低い人間がコミュ障を併存しやすい1番の理由は、「本当の事を言えない」事で、自分の言葉や思考に自信が無かったり、本音を晒して傷付くのが怖かったり、他者に否定されてきたが故に曖昧に濁すのが処世術と化している。結果、誰にも本当の事が言えず人間関係が出来ては消えてくというな。
自己肯定感の低い人間、本人としては「こんな自分だから。。。」と思って謙虚にしてるつもりでも、あまりにも過去の色々から地雷が多くなりすぎてしまい、結果として「許容範囲が極端に狭い」という形で理想が高くなってしまいがちなんだよな。「最低限でいい」と思いながら、完全を追い求めてしまうと
4℃のプレゼントは毎年Twitterで否定的な話題になるけど、逆に言えばクリスマスプレゼントに4℃を選ぶ男性は「Twitterをやっていない/毒されていない」という事なので、それだけで超優良物件確定だというな。
ADHDの先延ばし対策は「とりあえずタスクに着手すれば作業興奮でヤル気が出るけど、とりあえず着手する為のヤル気がない」というジレンマがあるけど、実は作業興奮はタスクに着手しなくても身体を動かせば起きるんだよな。それ故にタスクに着手出来ない時は、その場で手足をバタつかせればいいというな
「人間に迷惑かけるな」と過剰に叩き込まれたコミュ障は、人間と接すること自体に「迷惑かけるかも」と罪悪感を抱くようになるんだよな。結果、頭で大丈夫/必要と分かっていても他者に相談や協力要請が出来なくなって問題を引き起こし、更に「これ以上迷惑は…」とデッドロックが強化されてくというな
コミュ障が陥りやすいのが「有意義な事を言わなきゃ病」で、自身の劣等感から「会話では相手を笑わせたり関心させたりしないと」的な強迫観念を抱いてしまう。結果、唯でさえ会話苦手なのに更に「機を伺い過ぎて話せなくなる」「力み過ぎて滑る」事態に陥り、コミュ障に磨きがかかかってしまうというな
ADHDの「手遅れ/間違いだったら?という恐怖感から先延ばしして全てを破綻させる」現象は、ちゃんとやらなきゃ!と思うほど恐怖感が増して逆に動けなくなるんだよな。なので、その場合は身体を動かしたりアニメを見ながらなど、まずは「不真面目」に取り組むのがお勧めな。とりあえず着手するのが大事
自己肯定感の低い人間は、すぐ謝るタイプ以外にも絶対謝れないタイプもいるんだよな。この手の人間は、自己肯定感低いからこそ「自分は正しい」を拠り所にしており、それに1点でも傷がつく事に耐えられない。結果、周囲に強情な態度を取って孤立し、更に「自分は正しい」に依存する悲劇があるというな
コミュ障を自称する人間、往々にして話すとそれなりに応対は出来るけど、表面上は問題ないように見えても本人的には「気を抜く事が許されない1ミスで詰む制限時間内に正しい選択をし続けるゲーム」状態なので、社交が終わった後はMPが尽き果てて、家では何も出来ない魂の抜け殻と化してるというな。
いじめっ子ほど絆/仲間/友情を重んじるのは当然の話で、“そっち側”にいたいからこそ集団内の「協調出来ず輪を乱す異分子」を排除/制裁しようとするんだよな。現にTwitterでも、そういうのが大事!と唱える人間ほど、意見の異なる人間に対して苛烈な攻撃を加える傾向にある事が多々観測されるわけでな。
ADHDが得たら××になる成功体験1覧 ・家からの出発予定時間が遅れたものの遅刻ギリギリセーフ ・過集中により短時間で放置してたタスクを片づけた ・1夜漬けで試験突破 これらの成功体験を得てしまうと、上手くいった時の報酬の凄まじさから積極的に「ギリギリ」を狙うようになってしまい。。。
「大人になってから時間が過ぎるのが早い」というのは、正確には「子供と違って記憶に残るようなイベントが自然発生しない」なんだよな。労働の時間が如何に長く感じても、それ自体は毎日の繰り返しに過ぎないので、記憶に残る事なく消えていき、そして記憶に残った面白きアニメで年月の経過を実感する
ネットリンチでテラスハウス出演者の木村花さんが自殺した当初のTwitterは「私刑は如何なる理由があっても駄目」「思い遣りを」「自分の言葉が他者を追い詰める自覚を持とう」的な優しさに溢れていたけど、それから1年も経たない内にごらんの有様だよ!になるの、分かってたけど色々虚しさを覚えるな。
ADHDの「衝動的で思い付いた事に夢中になる」と「先延ばし癖や慢性疲労」が合わさった結果、傍目には「遊びの誘いとか企画とかにめっちゃ乗り気で断らないし、やってる最中もノリはいいのに、何故か直前は凄く面倒そうにしているし遅刻しがち」と映る不思議な生物が誕生するというな
ADHDは面倒なタスクを先延ばしにしがちだけど、いざやり始めると「もう面倒な状態になっているし、少しでも次に持ち越したくない」という思いから、やる前はグズッていたにも関わらずタスクを完璧にやり遂げようとするんだよな。その意味でADHDのタスク処理は基本的に「1筆書き」になりがちというな
助けを求められない人間は、往々にして今の苦しみよりも「助けを求めることで発生する諸々の面倒や心理的負担」の方を忌避したがっているんだよな。良いも悪いも現状維持は最も面倒や変化の少ない営為なので、本当に××な状態の人間は「余裕ないけど、助けを求めるだけの余裕もない」ジレンマに陥りがち
「人間に嫌われるのが怖い!」という自己肯定感の低いコミュ障は、まだ「自分は嫌われてない/何かしない限りは嫌われない」と思える時点でマシな部類で、本当に自尊がヤバくなると「自分は既に嫌われてる」が前提になり、人間が自分を嫌わない状況下だと逆にソワソワし物凄く不安に襲われるというな。
自己肯定感を低くする方法は「嫌いな人間の不幸を願う」ことなんだよな。これをやると当然の帰結として「悪人は不幸になり、善人は幸福になる」という公正世界信念が強化される。結果、自身の不幸や嫌いな他者の幸福が「自分が間違ってる証」となってしまい、自己肯定感がガリガリ削られていくというな
人間は過干渉なママに育てられると、自我を常に抑圧されるので自己主張に罪悪感を抱くようになり、常に遠慮する「真面目で良い子」になるんだよな。しかし、それ故に周囲から浮き気味になり、同性代の人間関係から社会性を学ぶ機会が失われ、最終的には社会から取り残されて途方に暮れる生物が誕生する
発達障害者の「その時には分からないが、時間差で情報と情報が統合されていって輪郭が浮き上がり、突然に全体像を理解する」という現象は、昔から「弱い全体的統合(weak central coherence)」として言及されていたんだよな。細部に集中するあまり、全体的な輪郭や文脈的意味を犠牲にしてしまうという
完全な他人なら上手く話せるコミュ障は、要するに「予め決められた役」を1時的に演じきる事は出来るんだよな。それ故に、この手のタイプは逆にプライベートな関係/長期的付き合い/肩の力を抜いた場だと、素の自分は駄目!以外にどのように振舞えばいいか分からず、陸に打ち上げられた魚になるというな
ADHD、お風呂に入るのは好きだけど入るまでが長く、人間と遊びに行くのは好きだが準備や家を出るのはダルく、趣味やタスクには妥協なく全力を注ぐが着手する気力は出ず…と往々にして「ワクワクする事が好きだし直ぐワクワクするけど、そこに行くまでを極端に嫌がる」という矛盾した性質があるというな
ADHDの「n時間後にやらなきゃいけないタスクがあると、その間は何も出来なくなる」現象って、実は「マルチタスクが苦手」で説明可能なんだよな。複数の事柄を意識して同時並行するのが苦手な故に「気にかけねばならない予定」があると、それを意識するだけで1杯1杯になり何も手に付かなくなるというな
陰キャは人間嫌いというよりかは、何かに参加したり意思表示する度に「例外」扱いされてきた為に、「自分は“みんな”の中に入ってない」事が骨身にしみてるからなんだよな。それ故に距離が詰まっても、将来的に「自身が例外処理される」事を前提に予防線を張ってしまい、関係が出来ては消えてくというな