自己肯定感の低い人間は、人間関係でモヤモヤが発生すると「でも自分が悪いだけかも。相手に話したら嫌われる?」と悩み過ぎて、最終的に関係を絶つしか選択肢がなくなるんだよな。これは外部からは「嫌いじゃないと言ってるけど、明らかに避けられてるし理由も教えてくれない」現象として観測されるな
小さい頃は「叱責は期待の裏返し!怒ってる人間は貴方を大事に思ってるからこそ、結構なエネルギーを消費して怒ってる!」みたいな言論に1定の正しさを感じてたけど、Twitterで「人間は純粋に怒りたい生物であるし、怒るのは純粋に娯楽たり得る」事が完全に可視化された結果、何だか微妙になってきたな
物を失くしやすい人間が絶対にやってはいけないのが、「失くしたらいけないから!と大事な物を普通ではない場所に収納する」事で、これをやると普段は意識しない場所だから忘れやすくなるし、意識外の場所であるが故に探す時に「なかなか思い出せない/思い至らない」という2重のトラップに嵌るというな
小〜中学校辺りは勉強出来たけど、中〜高校辺りから勉強出来なくなる現象は典型的な「抑圧を受けてきたが勉強する習慣は身に着かなかった」案件なんだよな。それ故に年齢が進んで親の監視の目が届かなくなると、「勉強してるっぽく見せるポーズ」が上手くなってしまい、そのままサボり癖がつくというな
「負け組は嫉妬や怨恨で認知が歪む」のはよく指摘される事だけど、実証的な研究の数々で実際は「負け組は比較的フラットに現実認識するが勝ち組は自己正当化で現実認識が歪む」事が示唆されてるんだよな。つまり「負け組は嫉妬や怨恨で認知が歪む」という言説自体が、勝ち組の認知の歪みっぽいというな
ADHD人間達が、たまによく訴える「関心のない/嫌なタスクをやろうとすると日中にも関わらず強い眠気に襲われてシャットダウンしてしまう」的な現象、カナダの研究によればADHDの約85%が昼間の眠気や睡眠の悪さを訴えており、あれはADHD特有の生理現象な可能性が高いらしい… pubmed.ncbi.nlm.nih.gov/23643650/
小さい時に虐待やイジメを受ける事の何がヤバイって、人間関係の怯え癖が出来る事なんだよな。「調子にのると痛い目を見る」という恐怖で、自我を見せられなくなり、対人関係自体を忌避するようになってしまう。結果、人間関係から安心感が失われていき、人間と接するだけで消耗するようになるというな
オタクが早口かつ情報詰込みで話すのは、マウンティング欲というよりも「早く話さないと口挟まれたり話題が移ったりしてしまう」という恐怖感の方が大きい気がするんだよな。恐らく「自身の話を聞いて貰える」という体験や安心感が欠如してるので、機会が来たら反射的に1気に畳み掛けてしまうというな
初対面は相手と上手くコミュニケーション出来るのに、日を追う毎に気まずくなる人間あるある ・年下/同年齢にも敬語を使う ・年上相手の方が気楽かつ、相手にも気に入られやすい ・他人にやたら気を遣ってるのに空気が読めない ・愛想笑いや物腰だけは丁寧 ・聞き逃しても聞き返せず適当な返事をする
陰キャにとって自宅待機/外出自粛は何も辛くないどころか、むしろ快適なんだけど、この快適さに慣れきった状態で「じゃあ明日から通常通り通勤通学して」と言われた結果、急な厳しい変化に心身が戸惑って5月病や夏休み明けのオタク大学生の如く、ドロップアウトする人間が沢山出そうな気がするんだよな
自己肯定感の低い人間が、しばしば完璧主義者や過剰なスペック追求者になるのは「理想が高い/強欲」というより、「許容範囲が狭い」からなんだよな。根底には「自分が満足したい」ではなく「そうじゃないと不安でたまらない」があるので、謙虚であればあるほど、恐怖にかられて突っ走り続けるというな
自己肯定感の低い社会不適合人間は、人間から詰められると心のシャッターが降りて「感情を☓して謝る」モードに入るけど、モードの解除後には「あの時はああ言えば良かった」「相手の方がおかしくない?」と時間差モヤモヤが発生するので、あれは本質的には「ダメージの先延ばし」でしかないというな。
自己肯定感の低い人間は様々な経験から「自分は助けられず同情もされない」と学習してるので、困難な時でも諦観や拒絶の恐怖から1人で抱え込んでしまうんだよな。それ故に「なんで言わないの?」「助け求めるの下手過ぎ」と詰められると、「やはり自分は救われないんだ」と更に学習してしまうというな
ADHDの人間の「話は変わるけど」は本当に話変わるし、ADHDの人間の「今、思い付いたことだけど」は本当に今思い付いたことなので、この2つが合致した結果、ADHD同士の会話は無限に話題が生まれ不規則に飛ぶので、相手に気を遣い合わせるタイプの人間がその場では逆にオロオロと浮き気味になるというな
自己肯定感の低い人間は、他人と遊んだりすると当然に友情を感じるわけだけど、世界に対する不信感から「相手は自分より親しい人間が沢山いるし、自分のそれは温度差激しい独りよがりでは?」と考えてしまい、結果的に友達と思ってる人間がいても「友達はいない」と答えるしかなくなってしまうというな
自己肯定感の低いコミュ障特有のコンプレックスとして、「親しい人間に親しい人間が出来たり、他の人間と親しくするのを素直に喜べない」というのがある気するんだよな。嫉妬や独占欲もあるけど、それ以上に「もう自分とは疎遠になってしまうのでは?」と不安に襲われ、色々モヤモヤしてしまうというな
初対面や赤の他人なら普通に話せるし好印象を残せるコミュ障は、相手をお客様として扱ってその場を凌ぐ事に特化した接客力全振り個体なので、持続的な関係が発生する相手には段々とボロが出てギクシャクし始めるし、ご近所さん/親戚/同僚辺りの「逃れられない他人以上の関係性」が鬼門になるというな。
ADHDの先延ばし対策は「大きなタスクを複数の小さなタスクに分割して心理的抵抗を和らげる」のがお勧めな。例えば勉強する気が起きない場合は「勉強を終わらせる」ではなく、「N問だけ解く/N分だけ読む」と思って手をつける。そして始める事さえ出来れば、作業興奮で無事にタスクをこなせるというな。
「真面目で良い子」の最大の生き辛さは開き直れない事で、タスクをサボッても罪悪・焦燥感で思い切り楽しめないし、それでヤバい状況になっても「まあ自分が悪いし」と悪足掻きしない。矛盾してるようだけど誠実であるが故に人生に躓くと、自堕落で無気力な人間になる以外の選択肢がなくなるというな。
自己肯定感の低い人間は「自分は尊重されない」事が骨身に染みているので、例え相手が悪くても怒り方が分からず、「指摘したところで面倒になるだけだし」と自分の非として謝りがちなんだよな。結果、脳には「未解決事件」と記録されて何度も反芻されるので、その度に自尊がガリガリ削られてくというな
他人の言動が嫌味ばかりに聞こえるようになったり、お気に入りのコンテンツが面白くなくなったりしてる時は、他が変わったというよりも「疲弊のあまり好きを見出す自身の感性が×んでいる」可能性が大であり、この時に「決断」すると高確率で後悔する羽目になるので、暗い気分の時は素直に休むのが吉な
社会不適合人間の休日は、往々にして1日中ダラダラしてる事が多いんだけど、これは「ダラダラしよう」と思ってダラダラしてるというよりは、「何かやろう/しなきゃと思いながら先延ばしてる」状態なんだよな。その為あまり気が休まらないし、休日明けの「また無駄にしてしまった」感が半端ないというな
自己肯定感低い人間の致命的なバグとして、「目先の安定の為に安定を削り取る」というのがあるんだよな。例えば友人/恋人などが出来ても、「本当は自分の事どう思ってるか?」と過剰な不安を感じ、問い詰めや試し行為をしてしまう。安心を求めるあまり、石橋を何度も叩き続けて疲労損傷させるというな
TwitterやLineの返信が出来なくなる時って、忙し過ぎて時間がないというより「何か他の事をやれるだけの余剰エネルギーがない」状態なんだよな。時間や体力的には確認するだけの空きはあるけど、精神のスペースは空きがなく埋まっていて、再起動かけない限りメモリ不足が解消されなくなってるというな
ADHDとASDの併存率は高いとされ、ADHDの3分の2はASD傾向ありとする研究もあるけど、その結果この手の人間達は「安定を好むのに衝動的」「拘りが強いのに気まぐれ」「整理整頓が苦手で周囲が汚くなりがちだが妙なとこで潔癖」という、傍からは完全に意味不明なパーソナリティに見られがちになるというな