「インターネットで知り合った人間とリアルで会うのは危険です」というのは確かなんだけど、それ以上に「リアルで知り合った人間とインターネットで会う/知られてしまう」方が遥かに危険な気がするな。
自己肯定感の低いメンヘラ、往々にして不安が強いうえに人間関係に乏しいので、少しでも可能性を感じた人間に本来複数の人間から少しづつ得られるものを求め、過剰な期待や異様な距離感で相手を疲弊させ、関係を芽吹かせては潰してしまう傾向にあるんだよな。人間関係をやる為の人間関係がないという。
発達障害人間の「興味が極端で没頭しやすい」的な特性は、幼少期は「少し変わってる子」「博士型」として個性の範囲に収まるけど、大きくなるにつれ「他の同年代の人間が当たり前に経験してる事や暗黙知に疎い」的な遅れになっていき、就活辺りで「社会不適合」という烙印を刻まれがちになるというな。
Twitterでは「面倒/不快な人間はドンドン関係を切って合う人間とだけ付き合うべき」的な言説がバズリやすいけど、1方でそれは「弱い/魅力無き人間は“選ばれない”という形で排除される」事を指すんだよな。結果、人間関係に恵まれてる者は更に恵まれ、持たざる者は持つ物まで失う世界が到来するというな
不細工の辛さって「容姿で不利に扱われる」というより、「容姿で不利に扱われても、それが容姿由来だと看做されない」事にあるんだよな。人間は「自分は容姿で判断しない」と思っていても尚容姿で判断してしまう性質ある為、何事も「容姿のせいにするな!自己批判せよ!」的に扱われがちになるというな
「過干渉なママと無関係なパパ」というメンヘラ製造家庭、往々にしてママは被害者を自認するんだよな。本人主観では過干渉は思い通りにならず自分を苦しめる子供への防衛措置。それ故にママは過干渉すればするほど「自分は苦しめられてる」思いを強め、パパは逃亡し、子供は社会不適合発症するというな
タスクの締切を破りがちな人間は「先の未来はポジティブに構える」1方で、「直近の未来はネガティブに構える」という特徴があるんだよな。これが合わさった結果、余裕がある内は「まだ着手しなくても大丈夫w」と先延ばすも、余裕なくなると「もう間に合わない!」と悲観して全てを諦めてしまうというな
イジメや抑圧を受けた人間がホワイトな環境に移ると高確率で発症するのが「気を遣わせて申し訳ない病」なんだよな。それまで1方的に忖度を強要されてきたが故に、忖度されたりフラットに接せられると何かに失敗したかのような罪悪感が湧いて、粗末に扱われる方が落ち着くようになってしまうというな。
人間、人生が上手く行ってる固体は「自分の成功は努力の賜物である」と思いたがるし、努力は報われるという信念(成功体験)があるからこそ実際に努力出来たりするわけだけど、その信念を人生が上手く行かない固体に向けると「貴方は努力不足だから人生失敗してる」と断罪する傲慢さに変わるというな。
他人を過剰に気遣うコミュ障、往々にして空気をよく読んで察しようと必死だけど、コミュ障故に大体は空回りに終わるんだよな。そして他人を気遣う性質上、終わってからは「ああすれば良かった!」と後悔が止まらず、罪悪感に駆られて過剰に謝ったり、距離を変に調整する等の奇行に走りがちだというな。
恋愛を就活に例える地獄話があるけど、逆に就活を恋愛に例えても、好きでもない異性に呼び出されて「自分の何処が好きなの?」「他の子にも同じこと言ってない?」「貴方の良いとこは何?」とメンヘラムーブされたあげく、1方的に「ごめん無理。良い事があるといいね」と振られる地獄話になるというな
人間は休んだ方がいい時ほど休めなくなる罠があって、疲労が限界に達すると今現在の辛さと強迫観念で頭がいっぱいになり、作業を中断させうるもの全てに悪意を見出すようになるんだよな。いつもの他者の労いや心配の声に苛つくようになったら、それは他者の悪意ではなく「もう休め」のサインだというな
「無能は死ね」というけど、無能は相対評価なので無能がいなくなって有能だけになっても、その内の下位n割は必ず無能認定されるんだよな。現に「高卒は低学歴」を実行して大学進学率が50%になった日本社会では、「Fラン」という新たな低学歴被差別階級が誕生した。
インターネットは「暇で声の大きい人間が天下をとる」場なので、Twitterでは発達障害人間/無職/性風俗産業従事者/浪人生/専業主婦の言論が支配的になるわけだけど、それはあくまで「過度に強調された現実の1側面」でしかなく、当然に現実の全てではないので飲み込まれ過ぎないよう注意が必要というな。
ggrks(ググれカス)なる言葉、昔は「困ってる事があるならまずgoogleで検索してみろ。それで大体解決するから」という意味だったけど、今は「調べました!分かりませんでした!いかがでしたか?」などググッてもカス情報ばかり出てくるし、むしろ今はググるなカスの方が正確になりつつあるんだよな。
陰キャでコミュ障の人間は、往々にして変に思われる事を恐れるあまり、自分を押し殺してバカ丁寧に相手に合わせようとするけど、大体はその時点で既に相手には変に思われてるし、取繕おうと必死になるほどに不自然感は増していくしで、傍から見れば求めてもいない1人芝居を演じてるように映るというな
社会学者カール・レーフラーによれば「謝ったら死ぬ病」は、本人の問題というより環境によって作られるものだと結論した。氏はインターネットを観察した結果、謝った人間は「悪=叩いてもいい存在」と認知され無限に攻撃される現象を発見し、人間は謝ったら実際に死にかねない事が明らかになったという
発達障害人間の人生、往々にして普通人間より常識や情緒等の習熟が遅れるので、当時は自分がやらかしていても特に辛さを感じる事が無いけど、年月を追う毎に段々と輪郭が浮かび上がきて、ある日唐突に全てを理解出来るようになってしまい、定期的に羞恥や屈辱や悔恨で叫びたくなってしまいがちというな
Twitterだと非リア充/陰キャ/コミュ障の嘆きが目に入るけど、何だかんだその人間達は自らの状況を把握し、言語化して反応を得られるという点で、かなり上澄みなんだよな。ガチ☓☓は自身がそれと分からず言語化出来ず、延々と怒りと悲嘆のままに、誰も反応しないツイートを叫び続けるという地獄がある
毒親に育てられたりイジメられたりした人間、往々にして行動原理が「周囲から怒られたくない/嫌われたくない」になるので、大事・小事に関わらず常に他者との衝突を回避すべく謙って譲る癖がついてしまい、大人になる頃には「とにかく面倒は嫌だ」以外の自分の希望や意思が消滅してしまうというな。
メンタルが強い人間って「自己肯定感が高く何を言われても動じない」タイプと、「他者から殴られ過ぎて痛覚が摩耗してる」タイプがいて、後者はメンタルが半ばゾンビ化してて悪態や軽視でしっかりダメージを受けても「もうドン底でそれ以上下がらない」が故に、周囲にはノーダメのように見えるというな
「自分は他人の目/評価/派閥を気にしない!」という人間は、大体はめっちゃ他者を気にする人間で、そもそもガチで他者を気にしない人間は、わざわざそれを公言するという発想自体を持たないんだよな。飲み会で先輩の「俺は上下関係/礼儀とか気にしないよ!」を真に受けたら、必ず酷い目にあう法則な。
ADHD人間の先延ばし癖、「やらなきゃ!」と思えば思うほど罪悪感と焦燥感でMPが削られ、ヤル気を編むだけのMPを捻出出来なくなるので、しばしば「手遅れかもしれないのが怖過ぎて確認/タスク着手を先延ばしてしまう」という傍から見ると完全に意味不明な状況に陥りがちになるというな。
ADHD人間の先延ばしと過集中の両方に効果があるのが「ポモドーロテクニック」で、例えばタイマーをセットして25分作業したら5分休憩をとるようにする。これは過集中対策になるのは勿論、「あのタスクって実は時間あまりかからないんだ」的な気付きによりタスク着手の心理的ハードルが下がるというな。
コミュ障は人間と会話する機会が少ないので、会話した時は「珍しい出来事」として内容を1語1句思い出せてしまう上に、次は(あまり)無いので通常の人間なら気にも止めない事を「数少ない機会でしくじった」として、「あの時はこう言えばよかった」と脳内1人反省会して「うわぁぁ」となりがちというな