自己肯定感の低いメンヘラや幼少期に親に抑圧された人間、「自分は存在してもいい」という世界に対する信頼感が無い故に、人間と接したり関わるだけで「何か申し訳ない…」と後ろめたさを感じてしまうので、傍目には「誰も気にしてないのに1人で勝手にダメージを受けてる」謎の生物に映るというな。
社会不適合人間のスポーツ嫌いは、往々にして「身体を動かすのが嫌い」ではなく、「皆の前で不器用さや遅れを晒して叱られたり嘲笑されたりするのが嫌」なんだよな。スポーツの楽しさ云々以前に、体育の授業等で「運動=苦痛」の図式が頭に叩き込まれており、パブロフの犬的拒絶反応が起きるというな。
自立に必要なのは実は「甘やかされた経験」なんだよな。人間は「自分が苦しい時は誰かが助けてくれる」という世界への信頼感があるからこそ、特定のモノに縋らずとも自身を保てる。1方で世界への信頼感を奪われた個体は「これを手放せば終わる。誰も助けてくれない」と、恐怖で自立を阻まれるというな
自己肯定感の低い人間、常に他者との関わりは「100%の正解」を求めてる為、他者を誘おうとすると「この誘い方は不自然か?」「馴れ馴れし過ぎるか?」「そもそも迷惑か?」と無限に逡巡してタイミングが通り過ぎてしまうので、能動的に人間関係を構築維持発展出来ず苦しむ羽目に陥りがちになるというな
メンタルが強い人間と言うと「どんな苦難にも弱音を吐かずに黙々と手を動かす」的なイメージがあるけど、そういう人間は往々にして逆に「メンタルが弱過ぎて他人に弱みを晒せない」タイプなので、大丈夫だと思って放っておくと、(傍目には)唐突かつ何の兆候もなくポキッと折れて手遅れになるというな
自己肯定感の低い人間、往々にして初対面の人間には好印象与えられるけど、人間関係で何か違和感抱いても「自分が悪いだけかも」と思うし、確認する事にも「相手に失礼かも」と罪悪感を抱くので、モヤモヤ解決手段が「人間関係リセット」だけになってしまい、関係が出来ては消えてく傾向にあるというな
ADHDが短期的タスクをネガティブに見積もり過ぎると、しばしば「“間に合わなかったら”の不安や焦燥と向き合うのが怖くて、手遅れにする事で不安や焦燥から解放されようとする」というバグが起きたりするんだよな。嫌な予感/不確定性に耐えられぬあまり、自ら予感を現実のものとして確定させるというな
社会不適合人間は往々にして「サボるのが下手」という特徴があって、無理なことに取り組んで無理になったら「キッチリ中断せず罪悪感に苛まされながらダラダラする」という選択をとってしまう。結果、成果は出ない&周囲の心象最悪だが心身の疲労だけは成果を出した人間と同等以上に蓄積されるというな
人間は失敗が許されない状態だと、「如何に成功するか?」ではなく「如何に挑戦を避けるか?」「如何に失敗前提に予防線を張るか?」ばかりに注力するようになり、結果として機会を喪失して更に失敗しやすくなってしまうんだよな。陰キャが陰になる理由、大体はこの失敗の連鎖で説明可能な気がするな。
先延ばし癖のあるADHD人間、往々にして締切ギリギリにならないとタスクに着手する気になれないので、掃除や片付け等には明確な期日がない故に部屋や台所は常に雑然としてるし、「都合のいい時でいいよ」と頼まれたタスクは永遠に“都合のいい時”が来ずに時空の狭間に吸い込まれてしまいがちだというな。
発達障害人間の労働、往々にして段々とボロが目立つようになるから周囲は「真面目だと思ってたが実は適当/サボり人間だった」と解釈するけど、本人的には手を抜くどころか「ヤル事や要求水準が増えて頭がパンクしてきたし緊張と焦燥感で冷静になれない」と必死で頑張ってる悲劇が生じがちな気がするな
社会不適合を発症しやすい人間は大体「真面目」なんだけど、加えて「自己管理が苦手」という特徴もあるんだよな。これが合わさると「タスクを投げ出したり堂々とはサボらないが、楽/予定通りには遂行出来ず、結局は無理して達成してしまう」的な、「やれば出来る子」型の社会不適合人間になるというな
陰キャ、往々にして1人でいるとそれなりに寂しさを感じてしまうけど、2人だと色々意識し過ぎて辛くなってしまい、3人だと自分以外の2人に対して疎外感を抱いてしまい、4人以上だと完全に周囲から浮いてしまって即1人になりたがるという難儀な生態を有しているな。
ADHD人間、先延ばし癖が酷くなると「タスクが取り返しのつかない事になっていたら…」という不安と向き合うのが嫌過ぎて、焦燥感に駆られるほどに別タスクやダラダラで時間を消費し、取り返しがつかない事を確定させる…「石橋を渡るのが怖過ぎて石橋を叩き壊して安心する」営為に陥りがちな気がするな
「それぞれの地獄がある」「金/容姿/性に恵まれても辛い事はある」的な言葉、自分に向ける分にはいいけど、それは他人に向けたら「だから貴方は黙ってろ」という抑圧にしかならないし、それを上から投げかける時点で「貴方の地獄や不遇を思いやる気はない」自白になってしまうので注意が必要というな。
「オタクは剣道柔道水泳陸上部に多い」という話と「発達障害人間は集団競技及び球技が苦手」という話の関連性は、「卓球部にはオタクが多い」で反論可能なように思えるけど、実は卓球は前々から発達障害と相性の良い運動として知られてて、専門の区分があったり療法として研究されてたりするというな。
ADHDの先延ばし癖や眠気に関しては「ドーパミン系の困難」と考えられており、実際にADHDはタスク前に手足をバタつかせる等のドーパミンが出る運動をして身体を興奮状態にすれば、作業パフォーマンスや認知機能が向上することが最近は研究レビューでも確認され始めてるというな pubmed.ncbi.nlm.nih.gov/31212854/
「ADHDの困り事は大体金で解決可能」というのは本当で、例えば外食したり弁当を買えば「料理→食器洗い→収納」という家事をやる必要が消滅するわけだけど、この「面倒を金で解決する」が暴走すると、どんどん自堕落になり「細かい出費が嵩んで貯蓄出来ずやりたい事が出来ない」に陥る罠があるというな
小さい頃に「真面目で良い子」と呼ばれた人間は、往々にして「我慢強い」も備えている場合が多いんだけど、あれはどちらと言うと「無力感」の場合が多いんだよな。我慢しなかったり不平不満を言う事で生じる、周囲からの批判や無理解が面倒過ぎて、それならば我慢する方がマシだと思ってしまうというな
幼少期に欲求を抑圧されたり叩かれた人間は、欲求を持つと自動的に周囲との軋轢に苦しむ自分の姿を連想してしまうようになり、それ自体がストレスとなるので「欲求を押し×す」が習慣化してしまうんだよな。結果、傍目には「自分の意思がなく、何をやりたいかもよく分からない」人間が誕生するというな
社会不適合人間、往々にして幼少期から怒られる経験が多かった為、相手に非があっても相手に感情出されると「謝らなきゃ!」的な強迫観念に襲われるし、心身に叩き込まれた無力感で曖昧に笑ってやり過ごす癖がついてるしで、怒るべき場でも怒れずに、後で何度も悔しさを反芻する羽目に陥りがちというな
コミュ障は往々にして「他者に許される範囲」が掴めないが故に、常に絶対安全圏な振舞いをするから、初見の人間には好印象を与えがちなんだよな。しかし絶対安全圏から動けないので何度会っても距離が縮まらないし、問題なく対応出来てるように見えても内心は気を張り詰めっぱなしで消耗ヤバいというな
ADHDが「思い立ったが吉日」精神で行動力あるのに「先延ばし癖が酷い」のは、「即時報酬を好み遅延報酬を嫌がる」という特性の裏表なんだよな。つまりADHD人間は「直ぐに手に入りそう」に対しては報酬系が敏感に反応して心身が軽くなるが、「直ぐには手に入らない」には報酬系の反応が鈍くなるというな
コミュ障で1番困るのは「不快/不本意を表明する」「強く出る」が出来ない事で、これにより相手への対応が「全面的に受け入れるor変に誤魔化す」に固定化されてしまうので、限界になりやすいうえに限界時は「いきなりブチ切れるヤバい奴」「いきなりバックレるヤバい奴」の2択になってしまうというな。
ADHDは往々にして「それが些細なタスクであっても"やらなきゃいけない事がある"という状態が嫌過ぎて気が重くなるし、着手まで様々な心理的ハードルを越えなければならない」ので、必須タスクを1つ抱えてるだけで例え時間はあっても「今めっちゃ忙しくてそれどこじゃない」心理状態になりがちというな