助けを求めるのに必要なのは「黙っていても助けられた経験」で、この経験により「自分は迷惑かけても存在していい」的な世界への信頼感が生まれる。この信頼感がないと周囲が敵に見えたり「迷惑かけたら存在許されなくなる」恐怖で、助けを求めるより自分1人で抱え込む方がマシになってしまうというな
ADHDの「先延ばし癖」と「努力の持続が必要な課題を嫌う」という特性が合わさると、「先延ばしていたタスクが手遅れ1歩手前の大変な事になってて滅茶苦茶努力しなきゃいけなくなる可能性が怖すぎて確認や着手を先延ばす」という自滅バグが出来上がるというな。
ADHDの「衝動的に行動する」と「ワーキングメモリーが乏しい」という特性が合わさると、「インターネットで必要な情報を探そうとしたら、つい気になるリンクをクリックして横道に逸れたまま戻ってこれなくなり、タブが膨大な数になって時間が経つにつれて目標がドンドン遠ざかる」という地獄が生まれる
「自分の問題は自分で解決しろ、甘えるな」というけど、実は「甘える」というのは「自他の力量を見極めて適切に助力を求める」という技能の1つなんだよな。問題は「他者を頼ること」ではなく「他者への頼り方」であり、適切に負担を外部に分散させる事も「自分の問題を自分で解決する」営為だというな
弱音を吐かない人間は往々にして「メンタルが強い」というよりも、「弱音を吐く事による人間関係の軋轢や煩雑さに耐えられないほどメンタルが弱い」場合が多いうえに、1人で解決出来ない問題を抱え込んでも「無理する」以外の選択肢がないので、周囲が異変に気付く頃には既に手遅れになってるというな
ADHDの先延ばし癖とASDの「気になる事があるとそれ以外考えられなくなってしまう」が合わさると、「嫌なタスクを先延ばしたものの先延ばしてる事が心に引っ掛かり続けて消耗し、それによって何事にも集中出来なくなり、客観的には充分休んでるにも関わらず主観的には疲労 する」地獄が生まれるというな
自己肯定感の低い人間が自分を粗末にしてる時に「自分を大事にして!自信をもて!」みたいな事を言っても、まず通用しないので、そういう時は「貴方の大切な人間が××だったら貴方はどうするか?」と言うのがオススメな。☓☓の他人に対しては発揮される気遣い/優しさを自分にも向けさせてやるというな
人間とどう接していいか分からない陰キャに「相手の気持ちに立って相手が喜ぶような事をしろ」と言っても、陰キャは「そもそも相手は自分なんかと関わるのは嫌だろうな」と考えてしまい、結局いつもの「なるべく人間と目を合わせないように足早かつ無言で立ち去る」が完全な正解になってしまうというな
コミュ障の根幹には「世界に対する怯え癖」があるんだよな。過去の色々で「自分は嫌われる」と思い知らされたが故に、人間と1緒にいるだけで罪悪感と恐怖で「何か価値を提供しなきゃ!」と力み過ぎたり、「自分は失敗したに違いない!」と不安に襲われ、分かってても自爆が止められなくなるというな。
面倒臭がりな人間が覚えてはいけないのが「土壇場での成功体験」で、これがあると怠惰の言い訳になるどころか、「怠けられたうえに間に合った!」という強烈な報酬により、それを積極的に狙いに行くようになるんだよな。ある意味でタスクの先延ばしは、怠惰な人間にとっては完全にギャンブルだというな
「話してくるコミュ障」は自分の話したい事を1方的に喋りたいタイプ以外に、「相手に気を遣うあまり喋り過ぎてしまう」タイプのコミュ障もいるんだよな。この手の人間は沈黙に耐えられず、相手を楽しませようと力み過ぎて××になってしまうパターンなので、普段は無口でむしろ喋るのを避け気味というな
「言わなくても察して!」という態度を取る人間は、察しの良い人間からは「距離を置いた方がいいタイプだ」と察せられるし、察しの悪い人間には当たり散らすので、必然と孤立に追いやられるわけだけど、それ故に鬱憤は子供や配偶者や部下等の「自分と距離を置けない人間」に集中するという地獄があるな
ADHDの「興味の無い事は頭に入り難く記憶にも残り辛いが1旦気にしだすとトコトン気にしてよく記憶する」性質と、「色々不器用だったり衝動的に行動したり不注意だったりで失敗しやすい」性質が合わさると、人生の思い出の殆どが苦難や羞恥や悔恨のページで埋め尽くされるという地獄が生まれるというな
Twitter、「嫌な人間や益の無い人間はドンドン切り捨てていこう!」的な言説と、「人に見返りを求めず親切にするのは当然!」的な言説が同時にバズりやすいけど、その2つを合わせた結果「自分は他者に奉仕する気は1切ないが他者は自分に奉仕すべき」と皆が思うという最悪の無縁地獄が誕生したというな
「非モテは身なりを整えたら、それだけである程度は社会に受け容れられる」という言説が必ずしもそうとは限らないのは、学生時代を思い返せば1目瞭然なんだよな。中高はみんな同じ服(制服)を着ていたわけだけど、我々はそれでも尚パッと見で分かるほど負のオーラを放ち、クラスから浮いてたというな
先延ばし癖のあるADHDが、追い詰められた時に爆発的な集中力を発揮して何とか切り抜けると、その時の達成・安堵感で「ギリギリでも大丈夫だった!最高の成功体験だ!」と脳に叩き込まれてしまい、実際はヤバかったのにも関わらず先延ばし癖が強化され、破滅へのカウントダウンが始まる罠があるというな
社会不適合人間、覚えておくべき事を「こんな大切な事なら流石に忘れないし大丈夫だろ」と思って忘れるし、メモすれば「メモに残したし大丈夫だろ」と思ってメモした事を忘れるし、メモを目につく場所に張れば「これで確認出来るから大丈夫だろ」と思って確認すること自体を忘れる習性があるというな。
コミュ障の人間は「気を遣う」だけではなく「気を遣われる」のも苦手な場合が多くて、コミュ障故に気を遣われてるのに嬉しそうにする等の反応を上手く返せなかったり、気を遣われること自体に罪悪感を覚えてしまうんだよな。気を遣われてる間、内心では相手に対して常に謝罪している状態だというな。
コミュ障は話したくないわけではない時/相手でも、頭の中で無限に「こう言ったら失礼?」「これは馴れ馴れし過ぎ?」「これはよそよそし過ぎ?」「自分黙り過ぎじゃない?」と逡巡してしまい、結果として俯向いて黙り込んでしまうので、相手に「話したくないのかな?」と誤解されてしまいがちというな
ADHD人間、往々にして嫌なタスクはギリギリで過集中を発動させて終わらせる傾向があるんだけど、これにより「1度始めたら長時間メッチャ頑張る」という習慣や観念がつくとタスク着手への心理的ハードルが上がってしまい、結果として「締切間近の焦燥感がないと動けない病」になる危険性があるというな
対面が苦手なコミュ障がlineやSNSなら上手にコミュニケーションとれるとは限らなくて、真のコミュ障は文字ベースでも返信する際に「この文面だと感じ悪い?これだと馴れ馴れし過ぎ?これだと…」と悩みまくってる間にタイミングを逃してしまい、1人で勝手にダメージ受けたり後悔する傾向があるというな
マッチングアプリOkCupidは当初容姿と人格を別けて異性を評価出来るシステムだったけど、時間が経つにつれ「みんな外見=人格と評価してる」事が明らかになった悲しい顛末があるんだよな。「性愛において自己申告はあてにならない。何故なら人間は自分の判断を客観的に内省出来ないから」を示す代表例…
セルフネグレクトになりやすい人間は往々にして完璧主義者なんだよな。完璧主義だからこそ何かしようとすると「完璧に出来ず苦しむ未来」が思い浮かんだり、少しでも失敗すると全てが駄目なように感じたりで「完璧に出来ないなら何もしない」との結論に達してしまい、傍目には怠惰な人間に映るというな
「小さい頃に苦労しないと大人になってから苦労する」というけど、実際に小さい頃に人間関係や社会の恐怖を叩き込まれてしまうと「世界に対する怯え癖」という莫大なハンディキャップが出来てしまい、大人になるにつれて人生に支障が出てくる羽目になる気がするな。
ADHDの不注意/先延ばし癖とASDの凝り性/完璧主義が合わさると、少しの失敗でも完璧に出来ない自分に嫌気が差してヤル気消滅で中断し、そのまま再開せず傍目には全て投げ出してるように見えるのに、それが頭に引掛り続けていて焦燥/罪悪感も合わさりメンタルがガリガリ削られる地獄が誕生するというな。