自己肯定感の低いコミュ障、「自分は相手に何のプラスも与えられないのでは?」という思いのあまり、人間と仲良く出来ても時間が経つ毎に「自分は馴れ馴れしくない?迷惑だったかな?」と不安が強まって妙に距離感を意識し過ぎてしまい、結果として好意を抱く人間ほど疎遠になってく傾向があるというな
コミュ障には「初対面の人間とは話せないが段々と打ち解けられる」タイプと「初対面の人間とは話せるが日を追う毎に気まずくなる」タイプがいて、後者はコミュ障に見えないし相手に好印象も与えられるけど、会う度にギクシャクしていくので、人間関係が芽生えては芽で消えていく事になりがちというな。
人間が自堕落する兆候は「心身疲れ過ぎて心身を回復させる営為を行えなくなる」というのがあるんだよな。例えば寝床を用意して気持ちよく寝たり、美味い物を食べれば確実に色々回復するけど、「ダルいから」と床で寝たりジャンクばかり食ってしまい、結果ダルさが慢性化しQOLが下落の1途を辿るというな
教育虐待するママ、往々にして「自分自身は勉強出来なくどうすれば子供の学力向上するか分からない」問題があるんだよな。常に不安と混乱の中にいるので、子供が少しでも意のままにならないと爆発するし、KPI設定も出来ないので「趣味娯楽捨てて長時間勉強する」的な根性論に辿り着いてしまうというな
普通でいいのに!、読んでみたら主人公は「普通の人間をナチュラルに見下しつつも普通以下で、本人も自覚はあるので自虐もするが、それでも自己評価は高く、曖昧に本当の自分は今より上の存在だと思っている」というキャラなので、Twitter民に刺さらないわけがないんだよな。 comic-days.com/episode/139336…
「話し合いたい」「議論が必要だ」的な言葉、往々にして「貴方の事をよく知って妥結点を探りたい」という意味ではなく「私の話をよく聞けば貴方は私の正しさを理解するはずだ」という意味で使われてるので、「話し合いたい」と訴えがちな人間ほど話し合いが難しいというパラドックスがあるというな
オタク、陰キャ地味女性に走れば「自分に自信がないから陰に走るw」と叩かれ、陽キャギャルに走れば「自分には手の届かない存在だから無限に夢を見れるw」と叩かれ、ロリに走れば「自分より弱い存在を求めてるw」と叩かれ、強い女性に走れば「庇護を求めてるw」と叩かれるの、流石に可哀想な気がするな
小さい頃に「真面目で良い子」と呼ばれた人間、往々にして幼年期は優等生とされるので「自分は他の人間より賢い/進んでる」的な意識を持ちやすいんだよな。しかし、成長するにつれて段々と「優等生しか出来ない」うえに「そこまで優等でもない」事が明らかになっていき、落第人生が幕を開けるというな
「真面目で良い子」と言われた人間、往々にして大人の言う事を素直に聞くから親からの期待&過大評価が凄いんだけど、成長して受験や就活などの親の手に負いきれない事態が発生すると、途端に掌全返しで「自分で決めなさい!」と責められるので、破壊された自尊と混乱で社会不適合を起こしがちというな
労働してる時は趣味をやりたくて仕方ないのに、いざ家に着くと趣味をやらずにゴロゴロしてしまうのは「逃避行動に流れやすく捗ってしまう」という事なので、資格の本を買って「家に帰ったら勉強しないと」とマインドセットすると、勉強への逃避行動として趣味活動が捗りまくるという裏技があるというな
ADHDの人間がタスクや出発を先延ばしてると、その罪悪・焦燥感がメンタルを削るので、メンタルの安定の為にスマホを見る等の逃避行為が異様に捗ってしまうけど、それやると「時間無い→逃避行為→更に時間無い→更に逃避行為が捗る」というループに嵌り、手遅れが確定するまで抜け出せなくなるというな
Twitterの発達障害の人間、往々にして最初から困難を自覚していたわけではなく、周囲との軋轢や遅れによる「えっなんで皆は出来る/知ってるの?」的な違和/焦燥感の積み重ねの末に、色々ボロボロになって気付くパターンが大半なので、低い自己肯定感や虐め被害がデフォルトになってる感があるんだよな
ADHDにとって家事とは、掃除を例にとっても「物を整理しつつ清掃と複数の問題を同時処理する」マルチタスクかつ、「整理→ゴミ出しと順々に問題処理する」継次処理タスクでもあるので、衝動性と過集中で「整理にやたら凝ってしまう」「細かい汚れが妙に気なる」みたいなフリーズが頻発する試練というな
弱者は往々にして誰からも注目されず、その苦難を「自業自得」と切り捨てられ、助けるメリット無いと思われてるからこそ弱者なんだけど、それらを解決するには注目や同情を引ける魅力や、相手に利益を与えられる強者になる必要があるんだよな。弱いから助けて欲しいけど、助けて貰えるだけの強さがない
Twitterの高学歴社会不適合者達の精一杯の不謹慎発言/露悪芸などのイキりが、社会適合してる人間達の「障害児のマネ」「子供部屋おじさん」「童貞ジャッジ」などで軽々と飛び越えられていくの、「強者は正しい側にいるからこそ弱者に対して何処までも残酷になる」の実例みたいで色々厳しいものがあるな
リクルート、80年代に「フリーターこそ新時代の生き方!」と持て囃してご覧の有様なわけだけど、本当に酷いのは「40代の再チャレンジはこちら!」「無職も転職支援エージェントを!」とワープア2毛作やってるところなんだよな。武器を売り付ける為に戦場を作ってるという点でアナハイムを超えてるな。
実はコミュ障こそコミュニティはガチ勢を選ぶべきなんだよな。何故ならエンジョイ勢的な緩いコミュは「楽しくコミュニケーションする」事自体が目的なので、当然にコミュ障は役割が得られず浮いていく。逆に目標がある集団は、例えコミュ出来なくても目標にコミットしていれば仲間と認められるというな
自称コミュ障は往々にして空気が読めないわけではなく、空気が読めるからこそ自身が浮いてる事や上手く振る舞えない事に苦しんでいるんだよな。またその劣等感故に何気ない事にも「失敗」の気配を感じてダメージを受けたり、正解の言動に固執して空回りしてしまう。空気は読めるが乗り切れないというな
コミュ障には「初対面の人間とは話せない」タイプと「初対面の人間とはそれなりに話せる」タイプがいるけど、人生に深刻な支障をきたしやすいのは後者で、前者は接触回数毎に自然と親しくなってくけど、後者は初回は好印象与えられても距離を全く縮められず接触回数が増す毎に気不味くなってくというな
人生の必須単位を落とした生物は往々にして未来ではなく「こんな青春/夏休み/幼少期を送りたかった」と過去に執着する傾向あるんだよな。普通人間は歳を重ねると自然に「結婚/出世/育児」等の未来に夢を見るけど、未来を奪われた生物はひたすらにあり得たかもしれない過去の幻影に思いを馳せるというな
社会不適合人間、往々にして人間嫌いかつ1人の方が楽だし他者と1緒の空間にいるだけでダメージ受けたりするんだけど、孤独を貫き通せるほど自己管理が出来るわけでも人恋しさを全く感じ無いわけでもないので、1人でいると駄目になるのに他者といると病んでしまうというダブルバインドがあるというな。
締切間際の焦燥感で過集中を発動させてタスクを終わらせるタイプのADHDは、仕事で致命的な問題を起こす事は少ないけど、逆に掃除/洗濯/健診などの日常生活タスクには明確な締切りがなく、「まだいいや」と本人が思えれば無限に先延ばし出来るので、日常生活の方で致命的リスクを作りがちな気がするな。
マナー講師は基本的に「知らないマナーを教える」のが存在理由なので、実はマナーが広まり皆がマナーを守るようになればなるほど存在理由が消滅してくんだよな。結果、マナー講師は喰う為に「誰も知らないマナー」を次々に作っては広める失礼クリエイターにならざるを得ない悲しい構造があるというな
「青年期に人生の必須単位を落としてしまい、そこから幾ら年月を重ねても歳だけとって進級出来ず留年している気がする」みたいな社会不適合人間にありがちな心理状態、発達心理学では「アイデンティティ拡散」というらしく、青年期が極端に延長すると切迫感と時間意識の喪失が起きると説明されてたり…
パブロフの犬はベルを鳴らしてから餌を与えられ続けた結果、ベルを鳴らしただけで唾液を出すようになったけど、親に抑圧されたり虐められを経験した人間は別に怒られたり詰られる場面でなくても「呼びかけられる」「説明を求められる」だけで条件反射でビクッとし、不必要に色々緊張してしまうというな