「メンヘラは筋肉トレーニングすればなんとかなる」という言説を覆す、「筋トレマンはメンヘラになりやすい」という研究。米国で18〜32歳の男性2,460人を対象にした調査によれば、筋肉増加への希望/関心が高いほど抑うつ症状や暴飲の確率が高くなる事が確認されたとのこと…。 onlinelibrary.wiley.com/doi/abs/10.100…
真面目である事と衝動性が強い事は単独では人生に支障でないけど、これが合わさると、やるべき事をやってる時は「でも本当はあれをやれたい!気が散る!めっちゃ病む!」となってしまい、やりたい事をやってる時は「でも本当はあれをやらなきゃ!罪悪感!めっちゃ病む!」となる地獄が現出するというな
@rei10830349 発達障害者がスポーツ…特に道具を使う球技系が苦手なのは有名だけど、その理由が「皮膚兎錯覚」として近年明らかになりつつあるんだよな。研究によればASDは定型発達人間に比べて「道具を身体の1部のように感じる錯覚が生じにくい」とのこと。 koseisouhatsu.jp/activity/relea…
ADHD人間の「ワーキングメモリが乏しく複数並列処理が苦手」というバグ特性、実は「ネガティブな感情に襲われた時は、身体を思い切り動かしたり本を音読したりすれば脳のメモリがオーバーフローを起こしてモヤモヤするだけの余力が無くなり、結果として気が晴れる」というバグ技に転用可能だというな。
自己肯定感の低い人間が言う「友達がいない」は、往々にして正確には「自信を持って友達と断言出来る人間がいない」を指しているんだよな。自分が友達だと思いたい人間はいるものの、相手は自分を友達と思っているか確信が持てず、「友達はいる?」と聞かれたら言葉を濁すしかなくなってしまうというな
「自分は親ガチャや実家の太さ云々ではなく努力したから成功した」という人間は、往々にして「努力出来るそれ自体が恵まれてる証」というのを見落としてるんだよな。不遇な環境だと人間は「今をどう凌ぐか?」的なストレスで頭がイッパイになり、何かを積上げるという発想自体を奪われてしまうというな
「配偶者の精神の安定具合」よりも、更にクリティカルに人生に影響を与えるのが「親の精神の安定具合」で、この手のヒステリック/心配性/気分屋の親に愛情たっぷり注がれた生物は、往々にして幼少期は良くても思春~青年期辺りに社会不適合を発症し、Twitterで日々生き辛さを訴える羽目になるというな
コミュ障は人間に話しかけられた時、早く何かリアクションしようと焦ると「あっ…あっ…」となってしまうので、そういう場合は「あ~!」と嬉しそう/楽しそうに声をあげ、その間に心を鎮めるのがオススメな。大袈裟なリアクションになってしまうけど、とりあえず挙動不審orカオナシよりはマシというな
@rei10830349 英国の研究デハー、7〜11歳の間に虐められた経験を持つ人間を7771人を1958年から50年間追跡調査したところ、非イジメられ勢と比べ自殺傾向のオッズ比2.21。また社会的関係の欠如や経済的困難などにも関連していた。虐めは40年間以上、後遺症的なものが残るっぽい ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/24743774
毒親とかパワハラ上司の「指示を明確に出さないのに相手がやらないと怒る」ムーブは、往々にして「やって欲しい事をやらなかった」ではなく「気を利かせなかった」事に対して怒ってるので、謝れば謝るほど「気を遣って当然の人間が気を遣わなかった」と被害者意識が加速して激昂する傾向にあるというな
半分俺の自己分析だけど、青春を必死にやる人間達を斜に構えて見てた人間ほど、いざ成人してもちょっとした瞬間に、あの頃のコンプレックスや後悔に襲われたり、憧れに苛まされたりして、青春の残照に囚われてしまうんだよな。結局のところ、燃える事が出来ない人間は燃え尽きる事も出来ないというな。
「オタクは30代になると脱落者が増える」という話は、「30代になると体力が下り坂じゃなくて崖から落ちるように減っていく」という話とリンクしてて、要は「コンテンツを楽しむにも体力が必要」という話なんだよな。疲れてる時は感性が鈍麻するけど、30超えるにつれてそれがdefault化してくというな。
発達障害人間、「みんなが普通にやってる事」に対して当時は理解が追いつかずキョトンと見守っていたけど、後から徐々に意味/意義が浮かび上がってきて唐突に全て分かってしまい、記憶を反芻しては後悔に苛まされるという「恥の多い生涯を送ってきました」を不可抗力的に体現してしまいがちというな。
ADHDの人間にとって「気の進まないタスクに着手する」のは、精神統1や呪文詠唱を必要とする儀式魔術なので、タスクを中断されてしまうと終了後即再スタートとはいかず、再び「焦燥感に苛まされながらダラダラTwitter見たり不要不急な別タスクに手を付ける」儀式からやり直す羽目になりがちだというな。
私見だけど発達障害人間の精神年齢は「幼い」のではなく「凸凹が激しい」のが実際と思ってるんだよな。社会から疎外されてきたが故に常識や情緒の習熟に乏しい反面、自己の内面と向き合う時間は長く、客観視や内省は異様発達しており、子供じみた無邪気さと老人じみた打算性が奇妙に同居してしまってる
「学力は実家の太さで決まる」と言うと、たまによく「実家が☓☓でも本人の努力次第で学力は向上出来る」的な反論が来るけど、残酷な事に「自分を信じ努力は報われると思えるか?」的な自己肯定感も実家の太さに影響される事が確認されているんだよな。努力出来るというのも1種の「特権」だというな。
コミュ障の陰キャの「気心を知れた人間とは物凄く盛り上がる」「1対1だと1応は話せる」「あまり親しくない人間多数と話すと詰む」的な特徴、全て「心理的安全性が保たれてるか」で説明可能なんだよな。陰キャの陰は怯え/羞恥に由来するので、それらの心配が少ない場では陽になる事も珍しくないというな
ADHDの「思いついた事を即やりたがる」習性と、ASDの「自分の考える手法・手順に執着する/不測の事態に混乱をきたしやすい」習性が合わさると、傍目には「次から次に新しい事に手を出しては少し自分の思い通りにいかなかっただけで投げ出す」と映る我儘生物が誕生するというな。
陰キャの陰は後天的に作られる面もあって、人間は誰しも話し方を笑われたり外見を揶揄されたりすると、自分に自信がなくなって表情も暗くなってハキハキ喋れなくなるし、お洒落等の陽キャ的営為に「傷付き」を抱えて遠ざかるようになるんだよな。陰キャ、幼い頃は明るく天真爛漫だった個体も少なくない
明らかに困ってるのに「困ってる事とかない?」と聞いても、「大丈夫です」と応える人間には、「どうすれば☓☓はもっと良くなると思う?」と聞くのがお勧めな。この手のタイプは「心配かけたくないし、自分の我儘だったら…」と遠慮してしまう人間なので、第3者目線という緩衝材を作ってあげるのが吉
ADHDのライフハックとしては「忘れ物を防ぐ為にチェックリストを出発前に確認する」「先延ばしを防ぐ為にリマインダーをセットする」etcがあるけど、それら全般「忘れ物を防ぐ為の動作自体を忘れてしまう」「タスクを最適化するタスクを先延ばしてしまう」みたいなパラドックスを孕みがちなんだよな。
人間が努力するのは、当然「努力の成果を得たいから」であり、従って努力するには「努力が報われる予感/成功体験」が必要なんだよな。換言すれば、努力する為に1番重要なのは本人の意思よりも「努力が報われる環境」であり、努力出来る・出来ないは本人の資質というよりかは環境の格差問題なんだよな。
「助けを求めてもいいんだよ」みたいな言葉が、助けを求めるべき人間ほど届かないのは、それで助けを求められるような人間は既に助けを求めてるからなんだよな。それ故にこの手の言葉は例え善意でも、時には「助けを求められない事情/心情を誰にも理解されない」と相手を更に追い込む事もあるというな
部屋が汚い人間は公共スペースも汚く使うとは限らなくて、むしろ凄く綺麗に使う場合も多いんだよな。その手の人間は実は潔癖症で、だからこそ「完璧でないなら汚い→汚いなら汚いでもういいや」的な感覚を持ってしまい、1定以上汚くなると清潔に保つモチベが消滅し、無関心や自暴自棄になるというな。
不機嫌で人間を忖度させる事を覚えると、その「察して貰うことで自らの優位性を確認して気持良くなる」という圧倒的な成功体験故に不機嫌を振り撒くことが癖になってしまうんだよな。結果、コミュ力が衰退していき「怒り以外で他者とコミュニケーションとれない悲しい生物」が誕生してしまうというな。