陰キャと陽キャの1番の違いは「没頭感」で、陰キャは人間と楽しんでいる時も「自分は楽しいとされる事をしてる」「今の内は正解を続けてる」と、何処か自分を俯瞰し客観性を担保して没頭にセーブかけようとするんだよな。良く言えば冷静だけど、悪く言えば自分に対して常に不信の目を向けてるというな
心身が弱ってガチで何も出来ない時は「自分は快復に必要な“何もしないをしてる”」と、メンタルを切り換えるのがお勧めな。「早く治さなきゃ!」「あれをやらなきゃ!」というのは歩き出す為の杖になるけど、ガチで☓☓な時は逆に重荷になってしまう。「何もしない」という事の意義を認めてみるというな
自己肯定感は「私は凄い!」と思うことではなく、「私は凄くないかもだが別にそれでいい」と思えることなので、「貴方みたいな人間より私は優れてるからw」的にマウントする人間は「優れてないと価値ないし他者に笑われる」という価値観に囚われてる時点で、むしろ自己肯定感は滅茶苦茶低い方というな
小田急のサラダ油で放火しようとした件で、Twitterは「サラダ油の着火温度知らないとか低学歴かよw」的なムーブが盛り上がったけど、蓋を開ければ犯人は中央大学理工学部中退。Twitter、高学歴社会不適合人間が多いからなんだろうけど、あまりに学歴/知性差別ないしインテリ信仰が行き過ぎな気がするな
発達障害人間の「感覚過敏」と「不器用さ」が組み合わさった結果、「メッチャ神経質なのにミスが多く、ミスによって気分が最悪になるほど落ち込んでしまうのに同じミスを繰り返す」という人間社会に参加するだけで致命傷を負う難儀な生物が誕生するというな
コミュ障は「この後☓☓行こうよ」みたいな誘いを断りがちだけど、それは嫌いとか苦手とかじゃなく「心に余裕がないと人間モードで接する事が出来ない」みたいなケースも多いんだよな。LINE等のSNSのチェック/返信が遅いのも同じ理由で、コミュ障は人間やるには、ある種の「準備期間」が必要だというな
社会不適合人間はTwitterで「人生終わった!」と嘆きがちだけど、より正確には「人生始められなかった」だと思うんだよな。人生の初期をチュートリアルだと思って漠然と生きてたら、周囲から色々と遅れていき、「えっいつ人生始まってたの?」とフリーズしたまま、時間だけが進んでしまってる感覚な。
自己肯定感の低い人間、往々にして褒められても薄いリアクションしか返せないんだよな。褒められ慣れてないのに加え、脳内で「調子に乗ると傷付くぞ!調子に乗ってると思われたり、これから先幻滅されるかもだぞ!」と警告音が鳴り響き、本当は嬉しくても味気ない反応で変な保険をかけてしまうというな
幼少期に「真面目で良い子」と呼ばれた人間、往々にして責任感が強く1人でコツコツ頑張る性格と評価されがちだが、実態は「人間を信用出来ず弱みを見せられないし任せられないし助けてくれるとも思えない」なので、自分の手だけでは負えない事態が降りかかると、それだけで完全に詰んでしまうというな
自己肯定感の低いメンヘラ、人生の艱難辛苦を「鈍感」になる事で乗り越えようとする傾向があるんだよな。それは痛みに晒され過ぎた事による精神の摩耗であり、学習性無気力だけど、××な人間達は「色々と甘えてる」と解釈し「人生経験が足りない」みたいに詰めるので、更に摩耗してく構造があるというな
オタクが社会人になり、労働等で疲弊してオタク活動が出来なくなり、コンテンツに触れる事すら億劫になってくると、段々と「趣味に生きるタイプなのに趣味といえるものがない」というわけの分からない生物になるというな。
Twitterユーザー「インスタやフェイスブックの真似なんかしなくててもいい!いや、むしろそういった光のSNSと違うからこそ陰キャやオタクや負け組が集まってるのに…私達はこんな新機能や仕様変更なんか求めてない!」 Twitter社「私達はそんなユーザーなんか求めてない!」
陰キャの最大の特徴は「自分の事を断言出来ない」事で、過去の様々なトラウマで「調子に乗ると痛い目を見る」が骨身に染みてるが故に、常に自意識にセーブをかけてしまうんだよな。それ故に「××とは友達?」「〇〇は自信ある?」等と言われると、そう自認してるにも関わらず口籠らざるを得ないというな
インターネットで誹謗中傷してる側の人間達が「誹謗中傷は許せない!」と吹き上がるのは当然で、彼等は正義感が強いからこそ「悪者」に制裁を加えようとしてしまうんだよな。イジメっ子が往々にして虐めた事実を忘れ/認識せず、Facebook等で心の底から「虐め絶対に許さない!」と表明するのと同じ現象
完璧主義者は往々にして「完璧に成功したい」ではなく、「完璧ではないと安心出来ない」を動機にしてるので、タスクに着手しようにも「不完全さに苛まされる自分」を予見して先延ばしたり、着手しても「完結からの逃避として妙な所に凝り出す」ので、第3者からは「気分屋の自己中」に見られるというな
「容姿格差のもたらす社会的影響」についてDaniel S. Hamermeshの調査では、美人は平均的女性と比較して8%収入が多かったという。尚、同調査によればイケメンは平均的男性と比較して14%も収入が多かったという。男性の不細工、Twitter見れば分かる通り社会的厳しさが半端ない www3.nhk.or.jp/news/special/n…
自己肯定感の低いコミュ障は、往々にして人間から虐げられてきたが故に、それが始まる気配の読み取りは凄く上手なんだよな。しかし、それに全神経を持っていかれて通常の人間関係のアレコレは全く頭に入らなくなり、結果的に「他人の気持ちに鈍感」だが「他人の悪意には敏感」な生物が誕生するというな
コミュ障は会話において文頭に「まぁ」「ん〜」等、常に断言や言い切りを避けて留保を残す傾向があるので、テキスト上のやり取りでは文末に「…」「〜」「ー」等をつける頻度がメッチャ高く、チャット等でそれらを封じられると途端に陸に打ち上げられた魚の如く、何も言えなくなってしまうというな…。
メタ認知だけ発達したコミュ障、親しい人間が出来ても「自分は相手の事をオンリーワンとして好意を抱いてるが、相手にとって自分はワンオブゼムでしかない」という温度感の差に怯えて、ビクビクと相手に接する内に微妙な距離感になって気まずくなってしまい、終いには疎遠となってしまいがちというな
人間はヒューマンエラーをする度に対策として、「手順を間違えない」「集中力を切らさない」「物事を忘れない」「疲労しない」「眠くならない」「常に神経/注意を張り巡らせる」みたいな事を要求されるので、段々とヒューマンエラーを防ぐ為にヒューマンではなくなっていくというな。
社会不適合を起こしがちな真面目人間に見られる特徴が「人を頼らない」ことなんだよな。頼れば何とかなりそうな場面でも、人を頼る事への罪悪感/面倒さ/気まずさ/拒否されたり怒られる恐怖etcが嫌過ぎて、ヤバいと分かっていても取り繕わず「手遅れになるまで黙って耐える」選択をとるしかないというな
「環境のせいばかりにして努力しない人間」は、往々にして「努力から逃げてる」というより「努力しない方が合理的」な状態なんだよな。努力が報われた経験が乏し過ぎる&失敗=即死な環境下で、安心して努力出来ず報われる気もしないと「どうせ駄目なら何もしない方がマシ」が合理的判断になるというな
ADHDの出掛ける直前の「あれは何処やったっけ?」対策 ・野口悠紀雄法 玄関の近くに鍵や財布等の忘れやすい物置き場を作り、帰宅後は即効そこに戻す  ・前提法 もう物を探す事は前提で「不測のタイムロス」込みで時間管理する ・いれっぱ法 外出に必要な物は鞄に全入れし、帰宅後も戻さないでおく
コミュ障はコミュ障だから人間関係において必要な報告連絡相談を先延ばしてしまうけど、先延ばしてる事が頭に引っ掛かり続けて病んでしまい、しかもタイミング逃して有耶無耶になり何の成果も得られないのに、しっかり疲労感だけは残るという、真面目と不真面目の悪いとこどりな事態に陥りがちというな
ADHDの「長期的な報酬より短期的な刺激や報酬に飛びつく」という性質と、Twitterの「常に新鮮な刺激(情報)が流れてきて報酬(RTやイイネ)が即得られる」という性質の異常な噛み合わせの良さにより、ADHDは「やるべきタスクを先延ばしてTwitterを開いてしまい止まらなくなる」地獄に陥りがちというな