先延ばし癖のある人間は、往々にして注意/集中力が無いというより、注意/集中力が強過ぎるあまり向き/対象のコントロールが出来ないので、悪い事が起きそうな時はそれに過剰に注意/集中が向かってしまい恐怖で動けなくなり、結果として「悪い事が予想通り起こるのを座して待つ」事態に陥りがちというな
半分俺の自己分析だけど、発達障害者が人前で明るく振る舞うのは「空気を読んだり距離感調整が苦手なので万人ウケする無難なフォーマットを身に着けている」からだと思うんだよな。その為、第1印象は良評価されるけど、「それしか出来ない」ので時間が経つにつれボロが出て、厳しい感じになるというな
実は陰キャは幼少期は明るく純粋な子だったケースが珍しくないんだよな。しかし成長する中で嘲笑やイジメによって「調子にのると傷付くぞ」と学習してしまい、段々と自分にセーブをかけるようになっていき、最終的にネガティブ思考で自分に自信がなく常に他怯えている陰の生物が誕生してしまうというな
陰キャは自分含めて人間が3人以上の場だと「自分が浮く」事を恐れて不安に襲われるし、2人きりだと浮く事は無いけど「沈黙に陥って気不味くなる」事を恐れて不安に襲われるし、1人だと色々と楽だけど「孤独☓上等!」「本当にこのままなのかな?」が交互にきて不安に襲われる難儀な生物だというな。
ADHDの人間、基本的にヤル気の波が大きいうえに衝動的で即断しやすいので、たまによく「ヤル気がある時の自分が決めた予定が、ヤル気の波が底な時に必須タスクと化して今の自分を苦しめる」という事態に陥る羽目になるというな。
自堕落になる人間の最大の特徴は「真面目」で、真面目だからこそ人生の躓きに対して「ズルしてでも這い上がる」「責任放棄する」といったアクションがとれず、どうにもならない現実に対して「無抵抗に受け入れる」以外の択が無い。真面目な人間は駄目になる時も潔く誠実に駄目人間になってくというな。
幼少期に毒親や虐めで人間の顔色を伺って先回りして機嫌を取るようになった人間は、コミュ力が身に着いたというより「精神が異様環境により凸凹化した」という方が正しいんだよな。確かに××人間とは噛み合うが、普通の人間相手には抱えた罪悪/恐怖感で常に過剰反応してしまい、色々空回りするというな
色々と意思決定や主張出来ない人間は「挫折や厳しさを知らない」というより、「成功や甘さを知らない」ケースの方が多いんだよな。自身が成功したり援助される経験無き故に「この先には希望がある」と信じれず、失敗や抑圧経験はあるが故に「この先には絶望がある」として何事にも消極的になるというな
「社会辛い」と嘆く社会不適合人間は、それなりにサバイブ出来てるように見えても、往々にして「この"それなり"がいつ破綻するか?」的な不安に苛まされてる事が多いんだよな。現状維持に精1杯で不測の事態に対応する余裕や、人生を良くする為の溜めがなく、常にギリギリを強いられ続けてるというな。
嫌な事から直ぐ逃げると逃げ癖がつくけど、☓☓な環境で「逃げる事で周囲から責められるのが嫌だから」と我慢してると我慢癖がついてしまい、周囲からは「良い人」と認識されると同時に「こいつは嫌われる事を恐れてNOと言えない人間だ」と判断され、何もしてないのに人生が段々と壊れていくというな。
コミュ障は往々にして「自分から相手に能動的に働きかけられない」ので会話では受け身気味になりやすいんだけど、これが更に進むとコミュ障にとって会話は「イントロやリズムに合わせて正しい答えを述べないと詰んでしまうゲームを休みなくノンストップで延々プレイする」という試練の場と化すというな
過干渉なママに育てられた人間、往々にして行動原理が「自分がしたい/したくない」ではなく「人間から何言われるか分からないからやる/やらない」になるので、如何に努力して成果を出しても達成感ではなく「これで悪く言われない」という安堵感が先に来るし、疲労感がひたすら蓄積されていくというな。
先延ばし癖のある人間、先延ばしてるタスクの事で頭がいっぱいになって焦燥感に追い立てられ、前向きな気持ちになれず、複雑な思考も出来なくなり、別のタスクに手を付けたりダラダラしてしまうけど、主観的には滅茶苦茶ストレスに苛まされてるので、結果は伴わなくても疲労感だけは人1倍あるというな
コミュ障が会話で脳内反省会する理由、「相手と対面中はとにかく会話を繋げる/空気を乱さぬ事にリソースを集中して自身の感情処理は後回しにしてる」からだと思うんだよな。それ故に家に帰ると感情の遅延読み込みが始まり、「恥ずかしい」「本当はああ言いたかった」とゴロゴロする羽目になるというな
自分もその傾向あるんだけど、会話でやたらトリビアを披露する人間って「知識マウントをとりたい」わけではなく、単純に「説明/ 解説以外で人間との会話に入れない」パターンが多いんだよな。会話に入らなきゃ!という焦燥のあまり、知ってる話題が出てきたら思わず早口でトリビアやってしまうというな
のび太のママ、のび太がテストで悪い点とってきた事に怒りはするものの、ただヒステリックに怒鳴り「勉強しなさい」とだけ言って具体的指示や改善策を提示しないの、今見ると典型的な「低学歴教育ママ=自身があまり勉強してこなかったので学力向上ノウハウが分からない」事案で色々厳しいものがあるな
「何故☓☓したの?」というのは、「☓☓してはならないという規範があるのに、それを破って罪悪感はないの?情状酌量の余地はある?」という意味なので、実は“理由”よりも“反省”の方が求められているんだよな。なので淡々と理由を話したら、再び「だから何故☓☓した?」と怒られる羽目になるというな
☓辛い経験は人間を強くする △人間を強くする為に必要なのは辛い経験ではなく「楽しい経験」で、それによって人生への希望と安心感を持てるからこそ、今の苦しみにも克つことが出来る ○辛い経験で弱い人間は振い落され不可視の存在となり、結果的に辛い経験に耐えられた強い人間のみが可視化される
小中高では頻繁に観測される虐めが、大学では観測されなくなり、社会人になるとパワハラとして再観測されるようになるのは、「イジメは閉じられた空間の問題」である証と思うんだよな。動物は狭いところに閉じ込められると、ストレスで弱い個体を攻撃するようになるけど、人間も例外では無いんだろうな
ADHDにとって「やる気さえ出せば10分で終わる予定」は、「やらなきゃ!」と思いながらゴロゴロしたりダラダラしたりとn時間かけてヤル気を錬成しなきゃならないので、1般人にとっては「すぐ終わる軽い予定」が1つあるだけで半日が潰れる事も珍しくはないというな。
幼少期に「真面目な良い子」と呼ばれた人間は、大体「我慢強い」とも言われがちだけど、あれは「怠惰」とも言い換え可能なんだよな。不満や不服があったとしても、異議を唱えたり反抗する事で発生するであろう周囲との軋轢が面倒で、とりあえず耐えるという形で限界まで問題先送りにしてしまうというな
人間を怒鳴ったり強い言葉を使う事の何が悪いって、「恫喝して言う事を聞かせた」という成功体験を得てしまう事なんだよな。その成功体験に引きずられると恫喝が癖になるし、周囲は離れていくしで☓☓化に歯止めが効かなくなり、最終的には「誰からも相手にされず1人でキレ続ける生物」と化すというな
陰キャがメタ視点で語りたがるのは、人間に叩かれて叩きこまれた「調子のると痛い目見るから常に第3者視線でストッパーかける」習性と、「辛過ぎて他人事としてしか自分を見れない」からなんだよな。そして、この態度は「当事者意識がない!甘え!」として叩かれやすいので、更に拍車がかかるというな
「みんなで仲良く思い遣りを!」という集団の中では、当然に集団に馴染めず空気の読めない陰キャは「みんなに不快感を与えてる」として制裁対象や「あの生物は"みんな"じゃない」として駆除対象になるんだよな。「みんなで仲良く思い遣りを」という規範は、裏を返せば虐めを行う正当性になるというな。
科学的な事実としてメンヘラ男性にとってパートナーの存在は「鬱病早期回復可能性を2.4倍にする」「独身は鬱病の危険因子」「陰茎と膣の性交は心身健康を回復させる」とメンヘラを良くする事が判明してるけど、メンヘラ男性が恋人を得るには、まずメンヘラを治す必要があるというジレンマが存在するな