怠惰な人間は、怒られるのが嫌だから規則を破らないし、リスクを抱え込みたくないから冒険しないし、人間関係で面倒な思いをしたくないから感じ良く振る舞うので、レールに乗ってる分には順調だけど、レールから外れると逸脱出来ず、リスクをとれず、人間に甘えられないが故に詰み1直線になるというな
普段Twitterで「☓にたい」言ってるメンヘラが、台風による危機に晒されると1斉に沈黙するのは「ファッションだから」ではなく、「☓ぬ以外に苦しみから解放される方法/未来がない絶望を“☓にたい”と表現してる」からと思うんだよな。本当に☓にたいわけではないが、それ以外に言語化しようがないと。
小さい頃のあれこれで「すみません」が口癖になった人間、往々にして自身の言動全てに罪悪感を抱いてるので、対人関係のちょっとした/誰も気にしないようなミスでも猛烈な羞恥や失敗意識を抱き、逆に変だと思われるのに過剰な謝罪をしてしまうの、個人的には「やからしのアレルギー反応」と呼んでるな
「今が楽しければ良い!」みたいな価値観は、歳をとるにつれて「1時的に苦しみから逃避出来ればいい!」に変わってくるんだよな。若さという最強資産で見ない振り出来た諸問題が、段々と誤魔化しが効かなくなって苦痛が増える共に楽しみも減り、最終的には苦しいのがデフォルト化してしまうというな。
ADHDの人間には、往々にして「今思いついた事を最優先と感じてしまい、さっきまでやっていた事に集中出来なくなる」傾向が見受けられるけど、それを端的に表すのが「インターネットで次々とタブを開いていくが、前のタブを見返す事は滅多にない」現象なんだよな。
精神が安定してる人間は精神が安定してるから、人間がどんどん寄ってきて自然と更に精神安定するけど、精神が不安定な人間は精神が不安定だから、人間がどんどん去っていき更に精神不安定になっていく。つまりメンタルも資本同様に「持つ者は更に富み、持たざる者は持つ物まで失う」地獄があるというな
インターネットで馬鹿にされがちな「成人式に派手な格好して騒ぐ人間達」は、実のところ派手な格好を用意するだけの経済力/仕事や計画性や1緒に馬鹿やってくれる友人を有している健全な社会適合人間であり、1方でそれを嘲笑してる方は…というの、Twitterで知りたくなかった残酷な真実の1つだというな
矛盾してるようだけど「貧困の原因は貧困」で、人間は余裕がない状態だと目先の心配事ばかりに気をとられて、「長期的な展望を立てる」「何かを積み上げる」という発想を奪われてしまうんだよな。結果その場を凌ぐ事ばかりに必死になり、傍目には行き当たりばったりな怠惰な人間に映ってしまうというな
発達障害者、しばしば人生を「上の言う事を素直に聞いて規範を厳守する」という処世術1本槍で攻略しようとするので、就活や恋愛などで「空気の裏を読んで適度に逸脱する」事を要求されると完全に詰んでしまうんだよな。平泳ぎのレースだと思って型を守っていたら、実は最初から自由形の競争だというな
初対面なら話せるタイプのコミュ障は、往々にして「踏み込んではいけないラインが掴めず、絶対安全圏に居続けた結果、その範囲内でのコミュニケーション能力が奇形発達した」タイプなので、よく話を聞くと失礼/大丈夫などの遠慮の言葉が多く、自分の事をあまり語らないみたいな特徴が見受けられるな。
「初対面の相手とも話せる陰キャ」と「初対面の相手とは話せない陰キャ」は、実は前者の方が深刻なコミュ障なんだよな。後者は単なる人見知りなので逢瀬を重ねれば徐々に打ち解けられるけど、前者は「心を開けないが故に表面的振舞いは上手くなった」タイプなので何回会っても距離が縮まらないというな
自己肯定感の低い人間は手を差し伸べられても不安に襲われるし、自身が幸せになっても居心地の悪さを感じるので、しばしば救済よりも共感を求める傾向が見られるんだよな。人間との繋がりや自身の幸福を思い描けない/希望出来ないので、共に同じような苦痛に身を置いてくれる人間を求めるというな。
陰キャが体育を嫌う理由は「禄に身体の動かし方を教えて貰えず出来ないと叱られクラスから冷視された」経験にあるのは間違いないけど、これ実は学校教育全般の問題なんだよな。学校で禄に勉強教えて貰えず出来ないと叱られクラスから冷視され、算数英語等が嫌いになった人間も決して少なくないというな
ADHDの人間、1見暇そうだったり手持ち無沙汰だったりしても、高確率で「必須タスクに着手しようと思って出来ずにダラダラしてしまってる状態」なので、実はメッチャ焦燥感に焼かれているし、下手に他の事すれば折角溜まってきたヤル気が飛散するかもで、本人的にはメッチャ忙しかったりするというな。
陰キャがコミュ障になる原因は「世界への不信感」なので、幼い頃は普通に明るく友人がいたケースも多いんだよな。しかし成長するにつれ、様々な失敗・虐め・否定体験により「自分は嫌われる」と自覚し、段々と人間に接する事が出来なくなっていき、最終的に正しい接し方が完全に分からなくなるというな
他人に気を遣うタイプのコミュ障は「自分は踏み込んではいけない線を測れない」事を自覚して、その大分手前で距離を取るからえ控え目で礼儀正しいことが多いんだよな。それ故に目上の人間には「弁えてる」と好評だが、同輩/目下には「4角4面で付き合い辛い」みたいな戸惑いを与えてしまいがちというな
ADHD、普段は上手く人間と会話出来なかったり話題が合わなかったりするから、たまたま会話が上手く行ったり話題が合ったりすると、1気に脳が「自分が話していいんだ!」「上手く話せてる!」という報酬に湧き立って衝動性が全開になり、会話をいつの間にか「自分の独演会」にしてしまいがちというな。
陰キャは人間から叩かれ続けた結果、人間の何気ない言動にも敏感に反応するようになるのだけど、これが進むと更に「自分の何気ない言動も人間の気に触ってしまってるはず!」と思うようになり、最終的に「誰も気にしてない/何も失敗してないのに謎に1人で勝手にダメージを受ける」生物が誕生するとうな
ADHD人間にありがちな「手遅れになってる可能性が怖過ぎて確認が出来なくなる」現象、焦燥感や罪悪感はあるんだけど、だからこそ心身が重く動けけなくなってしまうので、実際に「もう間に合わないことが確定/締切を過ぎる」と悲嘆すると同時に心身が1気に軽くなり、何処かホッとしてしまうというな。
【書籍発売のお知らせ】 色々と事情があってKADOKAWA様より本を出させて頂く事になりました 発達障害含む陰キャやコミュ障や非モテの生き辛さと、その緩和や展望について色々書いてます 発達障害、生きてるだけで疲労困憊(6月10日発売) Amazon→amazon.co.jp/dp/4040646029/… #生きてるだけで疲労困憊
ADHDの先延ばし癖が厄介なのは、それによって「タスクや予定が崩壊する」からではなく「ギリギリなんとかなってしまう」からなんだよな。特に過集中などが発動して間に合ってしまうと、それが成功体験となりギリギリを狙うインセンティブになる。先延ばし癖は先延ばしするほど、強化されてくというな。
幼少期から真面目を強制されてきた人間は、自分が納得できない物事があっても、異を唱えたとこで「最終的には責めれれる」事が骨身に染みているので、ならば面倒は避けようと何も言わずに我慢してしまうんだよな。結果、大人になると「理解してないのに分かりました人間」として色々厳しくなるというな
Twitterで殴ってもいいとされてる人間/属性に対し、苛烈な言葉を吐きながら「事実だから仕方ない」「嫌なら努力で変えられる」「こちらが不快な思いしてる」と主張する人間達を見てると、「虐めっ子は自分がイジメた事を覚えてない」理由は「そもそも虐めだと思ってないから」だという事がよく分かるな
陰キャにかけられてる呪いが「人間に対する怯え癖」で、過去に人間から嘲笑/虐め/叱責された経験から、人間の悪意に対し過剰反応してしまうようになるんだよな。しかし、その怯えは悪意人間にとっては「安心の実績があるカモ」というシグナルになるので、人生経験を重ねる毎に呪いは強まってくというな
半分俺の自己分析だけど、コミュ障は1般人との会話が上手くいかない理由を「話題共通性や話し方」に求めがちだけど、それよりも「相手が何に興味を持っていて今何について会話したがってるか察せない」方が大きいと思うんだよな。謂わばコミュ障は人間相手というよりも話題を相手に会話しがちというな