2次元ではエロゲーで散々セックスしてきたけど、昨日やった初めての3次元セックスは2次元セックスとは全然違った!360度ビュー対応だし、なんかいい匂いするし、触ると温かくて柔らかいし、何より選択肢が無限にあった!エロゲーとは全然違う!よし、これからはセックスもエロゲーも両方やってくぞ!!
「努力しろ!」と詰められた人間がやるのは、往々にして努力そのものではなく「努力してるように見せる取繕い」なんだよな。努力するインセンティブなき環境で詰めても、人間が思うのは「怒られたくない」だけになる。極論、「努力しろ!」しか言わない人間は、努力させる努力を放棄しているというな。
気分がドン底だったり心身が疲れ果てると、もはやゲーム/アニメ/映画/読書/スポーツのような脳や体を使う娯楽すら出来なくなり、脳☓状態でも出来るTwitterぐらいしかやれる事が無くなるんだけど、この現象は「日本はTwitterのアクティビティが異様に高い」のと何か深い関係がある気がするな。
頭が回るコミュ障がやりがちなミスとして、「相手の話を遮って要旨や結論を先取りする」というのがあるんだよな。これは会議や議論などの「目的ありきの話」なら正解だけど、雑談などの「話すこと自体が目的」の場合、キャッチボールで相手が投げるのを妨害するようなものなので、最悪の印象を与えがち
発達障害者にとって大学が鬼門なのは、その独自のシステムにより生活習慣が壊れやすいからだと思うんだよな。カリキュラム自由に組めたり、欠席が容易だったりする事が逆に「平日のタイムスケジュールが不規則」という障壁になってしまい、混乱したまま、いつの間にかルーズが常態化してしまうというな
発達障害者の就労、往々にして最初は過緊張により「真面目で良い子」として好評だけど、段々と不注意/衝動/変な所が気になる特性が出てきてミスが頻発。それが自分でもマズイと分かるから焦って「更に緊張する→心身の疲れが加速→更にボロが出る」の悪循環にハマり、厳しい状況に陥りがちな気がするな
自己肯定感の低いメンヘラは好きな相手なら腹を割って話せるわけじゃなく、「良い面ばかり見せようとする」という形で本音を隠すんだよな。相手を大事に思うあまり、「悲しませたり失望させたくない」と相手が喜びそうな言動ばかりし、やがて疲弊し「好きだけど1緒にいるのが辛い」状態になるというな
真面目な人間は堕落しないわけではないけど「堕落しても楽しめない」という特徴があるんだよな。例えばタスクを放棄する遊ぶ選択をしたとしても、罪悪感を覚えて遊びを純粋に楽しめない。それ故に真面目人間は不真面目人間と同じ営為していても、常に「不真面目にしてるのに何かしんどそう」だというな
真面目と怠惰が合わさった人間は、真面目だからタスクはキッチリ手を抜かずにやるという規範意識が強いけど、怠惰だから「真面目にキッチリ手を抜かずにやらなければならない」恐怖で動けなくなってしまうんだよな。真面目だからこそ「手を抜いてやる」も「楽しんでサボる」も出来ない地獄というな。
メンヘラの恋愛、最初は好きな人間に惜しみない献身を注いで望むものを差し出し続けるけど、その内「相手にとっては自分は代替性ある都合の良い存在ではないか?」と不安になって、今度は相手を敢えて傷つける試し行為をしがちになり、最終的に破局を迎えて逆にホッとするのが黄金パターンな気がするな
ADHDは「物を失くした」というよりも、「見つからないんだけどn日前は使ってたから何処かにはあるはずだし、前もそんな事があったけど探せば出てきたし、今回も多分そう」みたいな状況に陥る事が多いんだよな。「ちょっと失念」が常態化してるので、経験知で探すべき場所の目途がついてしまうというな
ADHDの気が散る対策 ・ホワイトノイズ法 雑音を意図的に流す事で、周囲の気になる雑音を雑音に埋没させ打ち消す方法。専用機械もあるが、スマホで川/雨音を流すのも有効 ・ホワイトアウト法 作業場からタスクに必要な物以外の全てを放逐する ・動作法 思いっ切り身体を動かし衝動/多動を発散させる
童貞を卒業しました。
コミュ障の落とし穴に「分かってなくても、分かったと言ってしまう」というのがあるんだよな。過去のアレコレで「相手に悪く思われたら終り」が骨身に染みてるあまり、「この程度の事を聞いたら迷惑かもだし、自分の××がバレたら…」と硬直し、危機感に苛まされながらも進み続けるしかなくなるというな
社会で「変更が困難な生まれや身体的特徴の攻撃はNG」というルールが出来たら、「なら本人の努力で変えられる要素は叩いてOK」という事になり、生まれや身体的特徴を「低学歴!無教養!」「身体的特徴は嫌ではないが、それを気にする本人のコンプが嫌」と努力不足のように表現し叩くようになったという
ADHDのタスク管理として「タスクを書き出して優先度を整理して最適化しよう」というのがあるけど、衝動性の強いADHDはそれやっても「急に思い付いたタスクが心情的には優先度MAXになってしまう」ので、理性と心情の板挟みで気が散じ続け、折角最適化したタスクが瞬く間に崩壊するというバグがあるな。
「本当はこんな事したくないんだけど、あまりに貴方が☓☓だから仕方なく/自身の行き過ぎに気付かずやってしまう。こんな事する自分も苦しいんだ」という論理、人間を攻撃する正当性と被害者ポジションが同時にとれる優れ物なので、過干渉でヒステリックなママや妻にDVする夫などに多大な人気があるな
小さい頃から「周囲に怒られないこと」を第1目標に生きてきた人間、もう「自分の意思や欲望を全部抑えて他者に合わせる」が習慣として身に付いてしまってるので、「自分はどうしたいの?」「将来の夢や目標は?」等と聞かれても「とにかく楽でいたい」以外の回答が思い浮かばなくなってしまうというな
人間、自発的に動くには「自身の裁量権の範囲が分かる」「失敗してもリカバリー出来る」という安心感が必要なので、幼少期に「とにかく周囲に従わされる」「失敗したら終わり」と抑圧されてきた人間は、他人の顔色を伺ってるにも関わらず「甘やかされてきた」と詰められがちな難儀な生物になるというな
コミュ障が人間関係で病む最大の理由は「確認が出来ない」からで、コミュ障は違和感や嫌な事があっても「自分の方が変かもしれないし、ここで疑問を呈したり拒否すると…」と悩み続けるしかないんだよな。だから限界な時に取れる手が「関係全絶ち」しかなく、定期的に人間関係リセットを起こすというな
魅力的な人間は様々な人間から求められるから、自然と人脈やコミュ力が身についていって更に魅力的になるけど、非魅力的な人間は人間から忌避されるから、人脈もコミュ力も身につかず更に非魅力的になるんだよな。魅力も資本同様「持てる者が更に富み、持たぬ者は持つ物も奪われる」構造にあるというな
人間は疲労すると、どうしても他人に配慮する余裕がなくなっていくんだけど、所謂「第1印象が良い」人間はそれにより、周囲から逆に「慢心から本性を現してきた」と捉えられたりするんだよな。優しさ故に色々溜め込む人間が、本人的には疲弊しながらも尽くしてるのに、周囲が色々厳しく理由の1つな
親に抑圧されたりクラスで虐められたりした人間が負いがちな後遺症が、「不機嫌な人間を見ると罪悪感を抱いてしまう」で、負の念に対して反射的に「自分は何か悪い事したのかな?」と内省してしまう。その為、1般人には何気無い場面でも深読みでダメージを受けてしまい、通常の3倍速で病んでくというな
実は「私はコミュ障だ」と嘆くコミュ障は、コミュ障の中でもコミュ力のある方なんだよな。真のコミュ障は自身がコミュ障と自覚すらしないので「普通は」「常識的に」「人として」等のワードを使い、相手にコミュ力をひたすら要求する。無知の知ならぬ、コミュ障を自覚するだけのコミュ力もないというな
@rei10830349 1例をあげると、片方が有利になるメカニズムが働いてるカードゲームを参加者にやらせた研究によれば、負け組はゲームのメカニズムに気付いてゲーム自体が不公平だと認識したが、勝ち組はゲームは公平であり自分が勝てたのは技量に依ると信じる傾向が見られたと… advances.sciencemag.org/content/5/7/ea…