親ガチャに反論する為に出てくる「私は底辺から努力で這い上がりました」物語、途中まで共感しながら読んでたら唐突に「理解のある親族・縁者が援助してくれました!」というフレーズが入ってきて逆に親ガチャの存在を補強してしまうの、完全に生き辛い漫画の「理解のある彼くん」と同じ構造なんだよな
☓努力は必ず報われる。従って報われない人間は努力不足 △努力出来ること自体が恵まれてる証であり、不遇な人間は常に限界ギリギリなので現状維持で手1杯。努力する余裕もないしストレスで認知能力も落ちてしまう ○成功した努力だけが努力と認められ、失敗した努力は自己責任として切り捨てられる
コミュ障、TwitterやLINE等のsnsではリプライ貰っても「こんなこと言うのは失礼?」「相手に変と思われないかな?」「力み過ぎではないかな?」等と色々考えてしまってる間に、「自然の内に入る返信のタイムリミット」を逃してしまい、結局は不自然かつ作為的なコメントを返す羽目に陥りがちだというな
体調が悪いと普段は何気ない動作がしんどく感じてしまうけど、これは精神においても同じ事で、Twitterのタイムラインやリプライに急にイライラするようになったら、まず疑うべきは他人より自分のメンタル状態なんだよな。メンタルの疲労は、まず最初に人間の余裕や優しさを削っていくというな。
「分からないんなら聞けよ」と怒る人間が、そもそも普段から××な態度だったり聞いたら聞いたで怒る場合は、「聞かなくて失敗したら××だけど、聞いても前者より少しマシな××なら、聞かなくて成功する確率に賭けるしかない」という合理性が働き、分からなくても聞かない事が最適解になってしまうというな
コミュ障の中には「ガチで話せない」タイプ以外にも、「社交的な人間を演じられるが疲れる」タイプがいて、後者は1見コミュ障には見えないけど、話す事や表情作りに凄くエネルギーを使って苦しんでるので、どんなに会話が盛り上がっても「2次会」的な話しになると急にノリが悪くなる特徴があるというな
コミュ障は文章では割と話せる印象があるけど、根底にある人間への恐れや自信の無さから解釈の余地を増やしたり曖昧にしたりして保険をかける傾向があるので、「まあ」という自分の見解に留保をかける文頭や、「ー」という自分の見解を曖昧にする文末や、黙点(…)を封じられたら完全に詰むというな…
メンヘラが人間関係壊す理由、大体「相手に友達兼恋人兼カウンセラーなどのマルチタスクを求める」からなんだけど、何でそうなるか?というと人間関係が希薄な故に、それを補うべく1人の人間に全てを求めざるを得ないからなんだよな。健全な人間関係を築く為の健全な人間関係がない…というジレンマな
よく喋るタイプのコミュ障は必ずしも「空気が読めず自身の失敗が分からない」とは限らないんだよな。この手のコミュ障は空気は読めるが故に沈黙/気まずさに耐えられず口を開き、失敗に敏感な故に取り繕う為に喋り過ぎてしまうタイプもいて、帰宅後は自分の失敗を脳内で思い返して悶絶してるというな。
「やれば出来る子」というのは、換言すれば「自発的に何か行動出来ず、モチベーションが外発的動機付けや危機感に依存してる」という事なので、大人になるにつれて周囲からあれこれ言われなくなる&「やれば出来た経験」の積み重ねで危機感が薄れていき、最終的には「やっても出来ない」状態に陥りがち
車を買ったJK炎上事件、結局は炎上した!ということ自体がデマだったみたいだけど、この件といいTwitterで度々発生する「☓☓と言ってる人間はいない/少ないのに、☓☓と言った人間に対して批判する人間達は大量にいる」みたいな集団ヒステリー現象、21世紀の魔女狩り感があるな。
自己肯定感の低いメンヘラ、往々にして人間関係では「嫌われてる/これから嫌われる」事を前提として振る舞いがちになるんだよな。その為、傍目には凄く丁寧で明るく社交的なのに、何かにつけて遠慮したり、どんな時も羽目を外したがらない「控え目でノリの悪い陽キャ」という謎の生物に見えるというな
繊細な人間が「他人に迷惑をかけてはいけない」を忠実に実行すると、人生が上手くいってる時は「優しい」と称されるけど、転落すると「他人がこんな自分と関わるのは迷惑では?」と周囲を拒絶するしかなくなってしまい、結果として「無気力でセルフネグレクト気味な厄介人間」と称され易くなるというな
「助けて」と言えない人間、往々にして「プライドが高く頑固」というよりも環境が「助けを求めるリスクがデカ過ぎて1人で抱え込む方が合理的」になってしまってるんだよな。助けを求めて救われる確率よりも、拒否/無視されたり迷惑がられたりする確率が高過ぎてSOS発信がハイリスクになってしまってる
遊ぶ約束をした時は楽しみだけど当日になると面倒になったり、風呂は好きなのに入る前は面倒になったりするの、恐らく「やらなきゃいけない!という義務/拘束/焦燥感で萎えてしまう」のが原因と思うんだよな。勉強やる気になってる時に「勉強しなさい」と言われると、やる気が消失するのと同じ原理な。
幼少期に周囲から抑圧されてきた人間は、怒らなくなるというより「怒りを感じた瞬間に心のシャッターが降りてきて、ある種の無感になる」事が多いんだよな。怒りの念が即「もうどうでもいい」みたいな諦観や呆れに塗り潰されていき、「面倒だから早く終わらせたい」という感情しか抱かなくなるというな
何らかのキッカケで嫌な記憶を思い出してしまい、それを掻き消すべく発作的に奇声をあげてしまったり変な動作をしてしまうの、個人的には「心のアレルギー反応」と呼んでるな。心の傷付いた敏感な部分に、その原因と類似する抗原が近づくとアナフィラキシーショックで精神の免疫系が過剰に働くというな
先延ばし癖のある人間は、往々にして完璧主義者も兼ねてる事が多くて、「やり始めるとトコトンやり過ぎてしまう」事が自分でも分かるが故に、ヤル気の無い時は「面倒臭い」という感情に支配されてしまうんだよな。結果、着手は遅いが着手したら変な所に拘りが出て終わりが見えないという地獄が現出する
若者の時にロックに嵌まった人間が中高年になってもロックを好む事から分かる通り、人間は加齢により趣味嗜好が老人寄りになるわけではなく「加齢により自ジャンルが老人向けとして扱われるようになる」だけなんだよな。例えば当時斬新だったエヴァもハルヒも今やネット老人会ホイホイになったというな
自己肯定感の低いコミュ障、友達っぽい人間が出来ても「自分は相手に好意を抱いてるが、相手には自分より仲良そうな人間が沢山いるし、もしかしたら凄い温度差があったり迷惑かけてるかも!」と怯えてしまい、変な留保や遠慮を重ねて段々と微妙な距離感になり、終いには疎遠になってしまいがちというな
陰キャには友達が全くいないわけではなくても、だからこそ「自分は友達が少数しかいないし、相手を超大事に思ってるけど、相手は友達が沢山いるし、自分は相手にとってはワンオブゼム」という形で病む事があるんだよな。陰キャの苦しみは誰かのナンバーワンにもオンリーワンにもなれない事だというな。
陰キャが物事を「あの人間は実は自分を嫌ってる」みたいに悪く考えるのは、認知の歪みだけではなく、合理性の側面もあるんだよな。小さい頃から散々「良く考えて痛い目を見た」結果、最初から「世界は敵地」として、それ前提に動く方が得という判断基準が出来てしまう。ある種の学習性無力感というな。
「真面目で良い子」と呼ばれた人間は、往々にして幼少期自我を見せる事を批判され過ぎ、自発的行動に恐怖を抱くようになった生物なんだよな。それ故に人生の転機に「貴方の人生だから自分で決めろ」と言われるのは暗闇の中に突き放されるに等しく、1度躓くとそのまま起き上がれず色々詰んでくというな
「大体の虐めっ子は人気者である」というのは周知の通りだけど、種々の研究で最近は「イジメ行為自体が人間の社会的地位と尊敬を高める」事も明らかになっているんだよな。「イジメは社会的に許されない!」というメッセージが無力な理由は、単純に現実に反してるからというな psychcentral.com/news/2013/01/2…
成人式で派手派手しい格好をしたり遊び回る人間は、実は着物を都合出来る経済力&計画性に加えて、小中高や地元の同級生とも人間関係を構築&継続出来るソーシャルスキルを持ち、それを馬鹿にしてるネット民より遥かに社会適合してるというの、Twitterで可視化された真実の中でも最も残酷なモノの1つだな