怠惰で衝動性強いタイプのADHDが整理整頓でやってはいけないのが「キッチリ分類」で、これは最初は上手くやれても段々と分類の手間が面倒になって中途半端になり、逆に混乱の元と化すんだよな。分類はとりあえず「使う頻度の高い物は1纏めにして、そこになければないですね」にすれば紛失を防げるな。
子供の頃は「神童」と呼ばれた社会不適合者は、往々にして「興味の幅が狭く他に気が回らない故に1つに没頭出来る」タイプでもあるんだよな。しかし、突き抜けないと単なる「自分の気が向く事にしかリソース注げない人間」なので、歳を重ねて行動範囲や出来る事が増える度に、粗が目立っていくというな
面倒臭がりの人間は物を散らかしたままにしたり、ゴミを放置してしまうけど、そういうタイプは「1瞬の楽とずっと楽のどっちを取るか?」を考えるべきな。1瞬楽する為だけに面倒を増やすのか、ずっと楽する為に1瞬だけ面倒を我慢するか。これに気付いてから俺は、迷わず1瞬の楽を取れるようになったな。
半分俺の自己分析だけど、コミュ障が早口になってしまう理由の1つに「話してる最中に遮られたりして、最後まで言えなくなる恐怖」というのがある気がするんだよな。それ故に「絶対話したい」話題になると「絶対言い切るぞ!」と周囲が見えなくなって早口でまくし立ててしまい、色々と事故るというな。
コミュ障は「会話で相手に常にコンテンツを提供しなければ」と思ってるから、会話で「上手い言い回し」や「トリビア」を言って相手を関心させようとするけど、それは「相手がボールをキャッチ出来るかより、上手く投げるのに注力してる」状態なので、気が付けば会話を自分の講演会にしてしまうというな
陰キャは人間から叩かれ続けた結果、人間の何気ない言動にも敏感に反応するようになるのだけど、これが進むと更に「自分の何気ない言動も人間の気に触ってしまってるはず!」と思うようになり、最終的に「誰も気にしてない/何も失敗してないのに謎に1人で勝手にダメージを受ける」生物が誕生するとうな
ADHDはタスクの優先度が分からないわけではないけど、脳の中の優先度が「今思い付いたタスク」>>「今やるべきタスク」の為、今やるべきタスクに着手していても常に頭に「今思い付いたタスク」が引っ掛かり続けて上の空になってしまい、結果どちらのタスクも台無しになってしまう悲劇が多い気がするな。
「タスク着手を先延ばしするのに、いざ着手すると妙に凝り出して終われない」人間は、完璧主義ではなく「何が肝要か分からない故に完璧でないと不安」人間なので、予め「タスクの最低ライン」を見定めておくのがお勧めな。着手出来ないのも、終われないのも根は「見通しの立たない不安」にあるというな
自己肯定感の低い人間は様々な経験から「自分は助けられず同情もされない」と学習してるので、困難な時でも諦観や拒絶の恐怖から1人で抱え込んでしまうんだよな。それ故に「なんで言わないの?」「助け求めるの下手過ぎ」と詰められると、「やはり自分は救われないんだ」と更に学習してしまうというな
完全な他人なら上手く話せるコミュ障は、要するに「予め決められた役」を1時的に演じきる事は出来るんだよな。それ故に、この手のタイプは逆にプライベートな関係/長期的付き合い/肩の力を抜いた場だと、素の自分は駄目!以外にどのように振舞えばいいか分からず、陸に打ち上げられた魚になるというな
コミュ障は話したくないわけではない時/相手でも、頭の中で無限に「こう言ったら失礼?」「これは馴れ馴れし過ぎ?」「これはよそよそし過ぎ?」「自分黙り過ぎじゃない?」と逡巡してしまい、結果として俯向いて黙り込んでしまうので、相手に「話したくないのかな?」と誤解されてしまいがちというな
発達/精神障害者のエッセイにおける「そんな自分にも支えてくれるパートナーが」問題は、既に医学的研究で明らかになってる「精神/発達障害は人間の繁殖を低下させるが、男性は女性より大幅に低下する」「パートナーの存在は鬱病に対する重要な保護因子である」という事実で完全に説明可能なんだよな。
節約本を読んでたら唐突に「家族からの仕送り」が出てきたり、生き辛い本を読んでたら唐突に「支えてくれるパートナー」が出てきたり、底辺から這い上がる本を読んでたら唐突に「太い実家!文化資本!才能!」が出てくるの、全部まとめて「料理本の唐突な"あらかじめ××しておいた"問題」と呼んでるな。
コミュ障は人間と会話した後に「あの時はこう言えばよかった」「あれは変だった?」みたいに脳内反省会を開催するけど、あれは「何か失敗した!?」という不安に耐えられずにやってるんだよな。それ故に奇妙な話だが、あの反省会でホッとするのは安心材料ではなく自身の過失を発見した時になるというな
人間には「悪い事になる」よりも「悪い事になるかもしれない」という不安に耐えられないタイプがいて、この手の人間は例えば締切が近くなると、「まだ間に合うか?」という緊張と向き合えず「手遅れだったら怖いから」と逃避し、そのまま手遅れなのを確定させる事で、ある種の安心を得てしまうというな
自己肯定感の低いコミュ障は、好きな人間と接して凄く仲良くコミュニケーションやれてテンションが上がっても、冷静になってくると「自分のあれは馴れ馴れし過ぎ?」「実は自分って迷惑かけてる?」と妙な不安に襲われて変に意識し過ぎてしまい、結果よく分からん距離感になってしまいがちな気がするな
ADHDのPDCA ・Passion 計画を建てるも強烈な衝動/思い付きが身を襲う ・Delay それに注意力/集中力を奪われタスク/予定が遅れだす ・Chaos 当初の計画がメチャクチャになる ・Apocalypse 過集中を発動させて最終戦争へ
初対面の人間とは話せるタイプのコミュ障は、「素の自分を出さず、その場に迎合したロールを演じる」能力特化の存在なので、日を追う毎に相手とは気まずくなるし、心を開けないので友達と思える人間が少ないし、「××さんと仲良い?」と聞かれたら「相手はどう思ってるのかな?」とフリーズするというな
ADHD人間は精神障害併存しやすく、それ(2次障害)により自☓率が高いとされてきたが、どうもそれだけではないらしいという研究。デンマークのコホートではADHD精神障害併存勢は定型と比して10倍自☓行動が多かったが、非精神障害併存ADHD勢も自☓行動は定型の4倍多いとのこと ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/31172893
貧困人間は今が苦しいが故に「目先の苦痛を緩和する為に散財しまくるので、長期的な資産形成や設備投資が出来ず更に困窮する」わけだけど、これはメンタルにも当て嵌まる問題なんだよな。例えばメンヘラの試し行為なんかは正に「目先の為に長期的展望を犠牲にする」営為であり、心の貧困問題だというな
コミュ障が対人関係タスクを放置すると、それが頭にひっかかり続けて、早く着手した時よりも大きな苦痛を味わうのは勿論として、「正解の言い方は?」と無限に考え続けてしまうので「ハードル」が無限に上がってしまい、最終的には「自分1人で負担する」「人間関係リセット」みたいな事になりがちだな
「自分が何をしたいか分からない」人間は、往々にして挫折/抑圧経験によって「調子のると痛い目を見る」事が骨身に染みてるので、何がやりたいか考えると「何かをやる事による軋轢に苦しむ自分の姿」が同時に思い浮かぶんだよな。結果、望むこと自体がストレスになり「楽したい」以外無くなるというな
自己肯定感の低い人間が自分を粗末にしてる時に「自分を大事にして!自信をもて!」みたいな事を言っても、まず通用しないので、そういう時は「貴方の大切な人間が××だったら貴方はどうするか?」と言うのがオススメな。☓☓の他人に対しては発揮される気遣い/優しさを自分にも向けさせてやるというな
年上人間から「真面目で優しい良い子」と評されやすい人間は、往々にして「他人から嫌われないように自制する」能力が発達しただけなので、他人と距離が縮まるほどにボロが目立つようになるし、本人も色々溜め込むので、1度駄目になると反動で人間関係をリセットしたり、めっちゃ自堕落になるというな
自己肯定感の低い人間は、他人と遊んだりすると当然に友情を感じるわけだけど、世界に対する不信感から「相手は自分より親しい人間が沢山いるし、自分のそれは温度差激しい独りよがりでは?」と考えてしまい、結果的に友達と思ってる人間がいても「友達はいない」と答えるしかなくなってしまうというな