ADHDの先延ばし癖の対処法は「ドーパミンが出てる時を逃さないこと」がオススメで、やる気が出ない時は「少しだけ」と思って手をつける。手をつけられない時は手足をバタバタさせたり声をだす。それも出来ない場合は飲み物を取った後等の動ける/動いてる時に、そのままタスクに着手するのが吉というな
ASDの「完璧主義・拘り」とADHDの「不注意」が合わさると、些細なミスを起こしやすいのにミスが少しでも発生すると「もうこれで思った通りには出来ない!」と絶望して全てのヤル気を失くしてしまう悲しい生物が誕生してしまうというな。
ADHD人間は常に時間に追われてるとは限らなくて、普通に余裕を持って出掛ける準備を終わらせたり出来るんだけど、そこからなまじ時間に余裕があるからと別のタスクに着手したり極端に寛ぎ始めて気が付けば出掛ける気が削がれてしまい、結局は先延ばし癖&時間ギリギリに苦しむことになりがちというな。
発達障害人間は集団行動が苦手だけど、単独行動が得意なわけではないのが辛いところなんだよな。1人はたしかに気楽だけど無限にタスクを先延ばしたり、変なことにリソースを費やしたりしてしまい、留年の危機に陥ったり生活が荒れたりでQOLが「とりあえず生きてはいける」水準まで下がってくというな。
発達障害人間がQOLを保つ方法 ・定期的に家に人間を呼ぶ(自分1人では片付けや整理等出来ないのを認める) ・食器を片付け&洗えない場合は反エコだけど紙皿等を使う ・2次障害が起きる前に医師を探す(例えば鬱病発症したら探す労力すら辛くなる) ・食事は動ける時に作り置き ・Twitterをやめる
自己肯定感の低い人間、往々にして他者に対して迷惑をかけられないどころか「迷惑をかける可能性がある」こと自体に耐えられない面があるんだよな。結果、他者に対して特に失点がなくても接する度にメンタルが削られて罪悪感が膨らみ、特に明確な理由や転機もなく人間関係が出来ては消えてくというな。
「嫌われる勇気」を持つ為に大事なのは度胸ではなく「安全基地」なんだよな。人間は避難先があるからこそ大胆な選択や挑戦が出来るんだけど、「ここは自分を受け入れてくれる」という安心感を得るには素の自分を出す必要があり、「嫌われる勇気を持つ為の嫌われる勇気がない」ジレンマがあるというな。
陰キャのコミュ障は往々にして他者を気にしないどころか、他者をメッチャ気にしてるし迷惑をかけまいとしてるんだけど、だからこそ逆に心身が強張ってギクシャクしたり、空気を読み過ぎて頭がグチャグチャしてしまい、傍目には「なんか1人で勝手にダメージを受ける面倒人間」に映る悲劇があるというな
ADHDの先延ばし癖で「嫌/怖いから着手したくない」的なモノについては、例えば菓子を食べながら行えば「マルチタスクに集中出来ない」特性がバグッて恐怖心が乱れて着手出来たりするし、風呂が苦手な当事者もスマホの防水カバー買うだけでわりと抵抗なく入れるようになるケースもわりと多いというな。
毒親育ちの人間、良い悪いは別にして「他者の顔色を伺って先回りして機嫌をとる」が身に付いてるので、短期的には相手に好印象を与えやすいけど、長期的には疲弊したりビクビクしてる様子が相手に不快を与えたり空気読み過ぎて脳が誤作動起こしたりで、相手と日を追う毎に色々気まずくなってくというな
オタク文化が浸透して、もはやオタクコンテンツを愛好してる程度では何も言われなくなったけど、それは決して従来オタクと呼ばれていた人間の救いになったわけではなく、昔なら「オタク」等と呼ばれていた人間は、今は「陰キャ」「チー牛」等と称されるようになり地獄度は更に増してしまったというな。
陰キャの人間、往々にして様々な抑圧経験によって自尊心が摩耗してるので怒ったり悲しんだりが出来なくなるんだよな。「自分は誰にも尊重されない」と過去のアレコレで学習しているため、怒りや悲しみを覚えても「余計に馬鹿にされるだけ」と抑えられ半自動的に「曖昧に笑って誤魔化す」が出るというな
発達障害人間は情報処理に問題を抱えていることが多く、自身が嫌悪感を覚える情報を上手く処理出来ず、意識し過ぎて気分が沈んだり過剰に共感して疲れたりしてしまうので、ニュースやTwitter等を見て「しんどい」と思ったら少し距離を置くのがオススメ。自分の日常を守るのは別に逃げではないというな
発達障害人間、往々にして叱責され過ぎた故に叱責や嫌われることがトラウマ化しており、常に「他者に不快感を与えず気を損ねない」が最大の関心事になるので、人間関係では相手と距離が縮まるほどに言動がギクシャクしてしまい、好きな或いは好きになってくれた相手とも段々と気不味くなってくというな
発達障害人間には矛盾してるようだけど「コミュ力がないからこそ空気に過剰適応するタイプ」がいるんだよな。何処から何処まで自己主張したりNO!と言ったり相手を拒否していいか分からないが故に、自分を押し殺して只々周囲に迎合し、気が付けば「心を許せる人間がいない8方美人」が誕生するというな。
陰キャの人間は「自分は嫌われる」という世界観があるので、人間から好かれると「本性を知られたら失望される」「何か裏がある」「誤解されてる」と不安になるんだよな。逆に人間から嫌われるのは自分にとっては「正常」なので、辛いんだけど「やっぱり」と何処かホッと胸を撫で下ろしてしまうというな
発達障害人間が「土壇場を過集中で乗り切った」経験を積み過ぎると、脳が「予定が遅れていても土壇場で過集中発動させれば大丈夫」と学習して先延ばし癖が悪化してしまい、気が付けば「土壇場に強い人間」から「土壇場の危機感に依拠してしか行動出来ない人間」が誕生してしまうので注意が必要というな
陰キャの人間、世界に対する信頼感が薄い故にマズイ事態になっても他者に頼る事が出来ないし、学習性無力感から「抵抗すると苦しみが増えるため」と諦観しがちなんだよな。それ故に危機に陥っても即「まあ悪いのは自分だし…」と受容体勢に入るので、傍目には無気力で世を舐めてる生物に見えるというな
陰キャの人間、基本的に人間と関わると消耗してしまうけど、人間である以上は寂しや人恋しさを感じる事はあるので、たまによく「人間と関わると病んでしまうけど人間と関わらなさ過ぎて病みそう」的なジレンマに陥りがちになるというな
自己肯定感の低い人間、「自分は嫌われる/大事にされない」という強い世界観を持ってるから、好きに/大事にしてくれる人間が現れても嫌われる事を恐れて過剰に取り繕って演技したり、世界観と現実の不1致で認知不協和を起こしてしまい、嬉しいけど同時に何処かしんどさを覚えてしまいがちだというな。
陰キャな故に「素の自分だと嫌われる!相手に合わせなければ!」と逆に社交的になるタイプもいて、1見すると明るく楽しく人間関係出来てるように映るけど、内心は「変に思われないようにしなきゃ!」と神経擦り減らしてるので、終わった後はグッタリしてるし人間関係が広がるほど色々病んでくというな
モラハラやパワハラや虐待加害者は往々にして自分の事は「被害者」だと思っているんだよな。自分が怒鳴ったり殴ったりしてる自覚自体はあるけど、本人的には「私にこんな事をさせるほど貴方は酷いことをした。本当は私だってこんな事はしたくない」であり、それすらも相手の責任と認識してるというな。
コミュ障の人間は往々にして心の扉が「重たくてデカい1枚扉」なんだよな。普通は何枚もの扉を柔軟に開け閉めしてるけど、コミュ障は1枚扉なので対人スタンスが「本心を全く見せない」と「全て曝け出す」しかなく、極端から極端に走って盛大な事故と孤立を反復横跳びする羽目に陥りがちになるというな。
雑談が苦手なコミュ障は議論するのがオススメ。雑談でコミュ障が躓くのは「目的が定まってない」「話題がポンポン変わる」的な自由度の高さが原因なので、同期との会話は苦手だが目上の人間には敬語キッチリで気に入られやすい=フォーマットがあれば適応出来るタイプのコミュ障は議論の方が上手くいく
例えば「海で水に顔を30秒つけて」と言えば、大体の人間は余裕で出来るけど、溺れて窒息しかかってる人間は当然に「そんなこと出来るわけない!☓ぬ!」となる。貧乏や毒親や不遇な人間が努力出来ないのは、つまりそういう限界状況だからであり、目先の恐怖に対応するだけで限界になってしまうというな