コミュ障の根幹にあるのは「世界に対する不信感」で、嫌われる事を過剰に恐れ「相手を不快にしたら駄目!完璧に振舞わないと!」を意識し過ぎて逆にギクシャクしてしまう。しかし世界に対する信頼感を取り戻すには、心を開ける人間関係が必要であり…服を買いに行く為の服がないジレンマがあるというな
陰キャの人間、幼少期は明るくコミュ充であったケースも多いんだけど、からかいやイジメ等で1度「自分はキモい」と自覚してしまうと、言動はギクシャクするし自分でもそれが分かるから余計にギクシャク&人付き合いが怖くなり、結果として常に悲観的で表情筋に乏しいチー牛が誕生してしまうというな。
毒親に育てられたりイジメられたりした人間、往々にして行動原理が「周囲から怒られたくない/嫌われたくない」になるので、大事・小事に関わらず常に他者との衝突を回避すべく謙って譲る癖がついてしまい、大人になる頃には「とにかく面倒は嫌だ」以外の自分の希望や意思が消滅してしまうというな。
ADHDの人間、往々にして追い詰められると過集中等の超人的な能力を発揮して土壇場でタスクを終わらせるんだけど、そのせいで「予定が遅れてるけど最悪また1気にやれば間に合うだろ」精神で先延ばし癖が悪化するし、加齢等で体力がなくなると頼みの能力も減衰するしで、完全に負の成功体験なんだよな。
社会不適合人間の休日、往々にして「何もせずに1日が終わった」になるんだけど、もっと解像度を上げると起床や風呂や食事や仕事の準備や勉強等の「やらなきゃいけないタスクをやろうとしてダラダラしてる」内に1日が終わってしまう感じなので、ダラダラしていたにも関わらず全く休めた感がないんだよな
人間は「試験前に部屋の掃除や読書をやるとメッチャ捗る」的に、本来やらなきゃいけない事から逃げているからこそ、やらなくてもいいタスクが捗ってしまう現象があるんだけど、その最たるモノとしてTwitterの「Twitterしてる場合じゃないような人間ほど色々面白くなってしまう」現象があるというな。
ギリキリまで追い詰められると1夜漬けや突貫作業でタスクを終わらせられる人間は、「やれば出来る」というよりも「強烈な焦燥感や危機感によってしか手を動かせない」側面が強いんだよな。この手の人間の特徴は「締切のないタスクは着手出来ない」事で、部屋がいつまでも汚いままだったりするというな
発達障害人間、とにかく「定型のように振舞う」事に必死過ぎて「適度に休む・手を抜く」が出来なくなってしまいがちなんだよな。それ故に最初こそ真面目でキッチリしてると好印象得られるけど、疲労や緊張の緩みで徐々にボロが出てくるようになり、気付けば周囲からの印象が最悪になってしまうというな
自己肯定感はありのままの自分を受け入れられる事なので、実は「自己肯定感が低いから高めなきゃ!」と思うと逆に自己肯定感が下がっていく循環構造があるんだよな。それ故に自己肯定感なるものは1度自分がそれを持ち合わせてない事に気付いてしまうと、更に自己肯定感が失われてく地獄があるというな
陰キャでも寡黙とは限らなくて、なかには「沈黙に耐えられず話し過ぎほど話してしまう」タイプがいて、この手の人間は1見我が強いように思えるけど、実際はメッチャ他者を気にしているので、帰宅したら頭の中では「またやってしまった!絶対変に思われたしウザがられた!」と大反省会してるというな。
「NO」と言わないコミュ障は、往々にして「引き受けるより断る方が面倒になりそう」だからNOと言わないだけなので、その面倒がキャパシティを超えたら「断るのも引き受けもしたくない」と人間関係リセットするし、詰められたら「もう何もかもが面倒!」となって全てを終わらす勢いで怒りまくるというな
ADHDの「衝動性」とASDの「拘り」が合わさると、何かを思いつくとその事で頭がいっぱいになってしまい、「今やるべき事をやらないと!」と思ってもタスクが手につかなくなったり、「ちょっとだけだから…」と思いついたことに着手したら止まらなくなったりし、スケジュールが崩壊してしまうというな。
小さい頃に「いい子」と呼ばれた人間は、往々にして「大人の言う事を聞いて決まりを破らないのが1番面倒じゃなかった」タイプなので、やりたい事や嫌な事があっても「面倒だからいいや」が先立つし、人の目がないところだと「面倒だからいいや」精神でサボッたり手を抜いたりが止まらなくなるというな
発達障害人間、幼少期はわりと明るく天真爛漫なケースが多いんだよな。しかし思春期頃にイジメや嘲笑によって「自分は嫌われる」事を自覚してしまうと、途端に今までの失敗の点と点が繋がって自己肯定感がドン底になり、結果として常に他者に怯えて陰気なオーラを漂わせる生物が誕生してしまうというな
自己肯定感が低い人間、往々にして自身が搾取される事で逆に安心感を得てしまいがちなんだよな。誰からも肯定されず役割を与えられなかったが故に「被害者の役割を全うしたい」と、そこにアイデンティティを見出してしまう。イジメっ子を庇う虐められっ子や、虐待親を守る子供が生まれる理由というな。
発達障害人間、往々にして過去のアレコレからトラウマが沢山あるので叱責等に敏感になり、尚且学習性無力感から「文句等があっても曖昧に笑って誤魔化す」が処世術になっているんだけど、他者の目には「怒られた経験が少なく言われてもヘラヘラしてる」と映ってしまい、更にキツく当たられがちというな
発達障害人間は、往々にして過去のアレコレから叱責される事に怯えており、また叱責の気配に敏感になってるから人間関係や仕事は常に「他者を不快にさせないようにしないと!」で頭がいっぱいなんだよな。それ故に何かをやり遂げても達成感や充実感を覚える事はなく、ただ疲労感だけが後に残るというな
色々限界に達して人間関係をリセットすると、その鮮烈な解放感からある種の成功体験として脳に刻まれ、以降も人間関係やる度に「リセット」が選択肢に入るようになってしまうんだよな。それ故に段々と何かあると関係リセットすることが癖になってしまい、人間関係が出来ては消えてくようになるというな
幼少期にある分野にだけ詳しくて「神童」と呼ばれた人間は、往々にして「興味の幅が狭く特定分野にしか関心が持てない」タイプなので、突き抜けられないと「変な分野に詳しいが専門家ほどではない社交や世間知に疎く自分の気が向いたものにしか熱心になれない」社会不適合人間が誕生してしまうというな
☓貴方は芸術家に向いています △貴方は協調性や忍耐に乏しく集団で何かをやるのは難しそうですが、ワンチャン才能があれば1人で好きな事やって稼げる芸術家として生きていけるかもしれません ○今クリエイターは飽和しており、才能と社会性を併せ持った芸術家も沢山いるので貴方の席はありません
インターネットで「逃げてもいいんだよ」という人間は逃げた結果の責任は取らないし、「逃げたら駄目だ」という人間も責任は取らないし、極論あの手の言論は「自分の生き方/選択を肯定したくて1般論として語ってる」側面が強いので、言論自体より言ってる人間に注目すれば有益な知見を得られるというな
ADHD人間、部屋の散らかり方がヤバイんだけど、本当にヤバイのは「片付けようと思っても手を付けられず、後ろ髪を引かれ続けながらもゴロゴロしてしまい、もはや着手出来ない時間になって逆にホッとする」現象で、タスクを先延ばしするのに、そのタスク完了するまで何も出来なくなってしまうというな。
「何もしないのにパソコンが壊れた!」と言ってる人間は本当は何かしてるけど、「何もしないのに休日が終わった!」と言ってる人間は本当にゴロゴロしてるだけで終わってしまってるし、「何もしないのに1年が終わった!」と言ってる人間は本当に何もしない虚無の日々を1年間積み重ねているというな。
Twitter、流石に年末年始は静かになると思いきや、Twitterのヘビーユーザー達は親族仲が微妙なケースが多いので、実際は帰省先で暇を持て余したり針のむしろに耐えられない人間達が普段よりツイートしまくるので、むしろ1年間の中で1番瘴気が濃くなったりするというな
発達障害人間、往々にしてマルチタスクが苦手なうえに短期記憶が弱いので、コミュニケーションや仕事では度々フリーズしたり「?」となってしまう事が多いけど、理解出来てないわけではないので時間差で気付いてしまい、「あの時のあれはこういう意味だったのか!?」と後悔や羞恥に襲われがちというな