陰キャ人間は往々にしてイジメや毒親等の抑圧経験により、自尊心が擦り減って「自分は尊重されない」という学習性無力感に陥っているので、他者から雑な扱いを受けても「曖昧に笑って誤魔化す」が癖になってしまうんだよな。結果、後で思い返しては悔しさを反芻して自尊心が更に磨り潰されてくというな
なろう系作品が「不遇な人間の願望充足ポルノ」だったり、Twitterが「陰キャの傷の舐め合い」という側面は確かにあると思うけど、だからと言ってそれを理由に馬鹿にしたり叩いたりするのは、虐められて不登校になった人間の家に土足で上がり込んで更に追い詰めるような最悪の営為に他ならないというな
ADHD人間、基本的に衝動性が強く好奇心も旺盛なのでテンション上がってる時は誰のどんな誘いも断らず心底楽しみにするけど、テンションが落ち着いてくると謎の重力が戻ってきて心身が重くなってしまい、当日はしんどくなって準備等を先延ばしたり時間ギリギリまで出発を先延ばしたりしてしまうというな
ADHDが「思い立ったが吉日」精神で行動力あるのに「先延ばし癖が酷い」のは、「即時報酬を好み遅延報酬を嫌がる」という特性の裏表なんだよな。つまりADHD人間は「直ぐに手に入りそう」に対しては報酬系が敏感に反応して心身が軽くなるが、「直ぐには手に入らない」には報酬系の反応が鈍くなるというな
陰キャの人間は往々にして「空気を読み過ぎてしまう」というより、「他者を不快にさせてしまう事に凄い恐怖を持っている」という方が正しくて、それ故に他者に対して強く出る事が出来ず人間関係では「空気を必死に読み取り過剰に合わせて自分を犠牲にする」的な処世術以外とれなくなってしまうというな
コミュ障の人間は往々にして「自分から誘う」が出来なくて、例え相手が親しい友人であっても「迷惑じゃないかな?」「無理させてない?」「気を遣わせない?」等と不安と罪悪感に苛まされてしまうんだよな。結果、人間関係を能動的に維持出来ず、環境が変わる度に親しい人間が出来ては消えてくというな
自己肯定感の低いコミュ障、人間関係のKPIが「他者から嫌われないこと」しかないので、逆説的に全ての会話がミスの許されない試験になってしまうんだよな。結果、人間関係やること自体に怯えを覚えたり疲れたりしてしまい、「表面上は取り繕って極力他者との接触を避ける」が習慣化してしまうというな
人間関係苦手なADHD人間が報告連絡相談を苦手過ぎて先延ばしにするも、先延ばした事が頭に引っ掛かり続けて気が休まらず、結果として直ぐ報告連絡相談するより多大なダメージを受けてしまうの、自分でもそうなる未来や「だから直ぐやった方がいい」と分かってるのに心身が動かない地獄があるというな。
ADHDの先延ばし癖は「面倒臭がり」というより、「欲求に忠実」という方が正しいんだよな。それ故にヤりたい事が出来たらパッと行動に移すし面倒にも耐えるけど、「動きたくない」「他の事やりたい」という欲求が支配的な時は、「早くやらなければ」と分かっていても欲求の方を優先してしまうというな。
自己肯定感低い人間が失敗や嫌われを恐れるのは、自己評価が高いからではなく「自分は世界に存在してはいけない」という罪悪感を抱えているからなんだよな。それ故に少しでもミスしたり疎んじられると「やはり自分はいてはいけない人間なんだ!」と、自己否定感で気分がドン底まで落ちやすいというな。
自己肯定感の低い人間、自分が他者と同じ空間にいること自体に「こんな自分と1緒にいるなんて相手は迷惑だろうな…」的な罪悪感を抱いてるので、相手の些細な不機嫌や何気ない戸惑いにも「自分が悪いんだ!ヤバイ!」と敏感に反応してしまい、傍目には「何もしてないのに相手が壊れた」と映るというな
陰キャと陽キャの最大の違いは「世界に対する信頼感の有無」で、陽キャは世界に対して「世界は味方で自分を尊重してくれる」という安心感を持っているんだよな。1方陰キャは「世界は敵地」という不信感を抱いており、他者の視線にビクビクしたり物事を悲観したりと常に何かに怯えるようになるというな
陰キャの中には「人間から嫌われる事が怖過ぎるが故に社交が異様に発達した」個体もいて、この手の人間は誰とでも話せるし明るく振舞うけど、実は本人的にはかなり力を入れて意識してそういうキャラを演じているので、家に着いて1人になったら色々と疲れやモヤモヤで圧倒的な陰になっているというな。
陰キャの人間、往々にして他者から叱責や嘲笑を受け過ぎてきたが故に「他者から話し掛けられる=責められる」の図式が脳に叩き込まれているんだよな。それ故に他者から話し掛けられただけで反射的に恐怖やプレッシャーを覚えて心身が強張り、本当に何気ない会話でも言動がギクシャクしてしまうというな
発達障害人間の生き辛さの1つに「後で自分でも分かってしまう」というのがあるんだよな。当時は何も分からず失敗したけど、徐々に発達していく中である日突然「あれはそういう事だったのか!?」と気付いてしまい、何度も思い返しては羞恥と悔しさで叫びたい気持ちを必死で押し殺す羽目に陥るというな
発達障害人間の人生、「甘える/頼る」が出来るか否か?で難易度が大きく変わるんだけど、人間に甘える為には「受容経験の累積による基本的信頼感」が必要であり、それがないと「どうせ拒絶される」となるので、誰からも見向きされず助けが必要な当事者ほど助けを求められない循環構造があるというな。
発達障害人間、往々にして「自身は健常者ではない」と自覚するまでは陰キャではない事が多いんだよな。小さい頃は多少の症状は「少し変わった子」で済んだので、明るく楽しく過ごせたけど、思春期前後でそれはイジメ/叱責/羞恥に繋がっていき、次第に自信が喪失して常にオドオドするようになるというな
発達障害人間、往々にして自己肯定感が最悪かつ「他者に迷惑をかけてはいけない」という強い規範意識を抱いているので、人間関係では嫌なことでも我慢し続けて限界が来たり、1人では解決出来ない問題を抱えてしまったら、誰にも相談出来ず人間関係リセットボタンを押すしかなくなってしまうというな。
ADHDが風呂を面倒に感じるのは「習慣化されてない」という面もあるんだよな。子供の頃は普通に入れていたけど、大人になるにつれて「入る時間を自分で決める」「入らない」的な選択が出来るようになると、風呂が流れ作業からMPを消費して行うタスクと化してしまい、先延ばし癖が発動してしまうというな
ADHD人間が往々にして大学で留年・退学の危機に襲われるのも、「自由に時間を使えるが故に生活規則や習慣が破壊される」のが原因なんだよな。1旦「この時間はこれをやる」が崩れると、その生活習慣は「やる判断を下す」が要求されるタスクと化し、小さな報酬を嫌がるADHDにとって鬼門となるというな。
メンヘラがやりがちな失敗として、「調子が良くて張り切り過ぎてしまう」があるんだよな。調子悪かった時の焦りから、調子が良くなると今までの遅れを取り戻そうと色々1気にやってしまい心身を崩して元の木阿弥になってしまう。メンタルが病み上がりの時は急に激しい活動するのは控えた方が吉というな
「周囲から怒られない」だけを行動原理にして生きると、周囲と軋轢を起こしそうな欲望や意思が自身にあること自体がストレス源になるので、それらを封じ込めることが習慣化してしまい、「将来どうしたいの?」等と聞かれても、「とにかく楽になりたい」以外の何も思い浮かばなくなってしまうというな。
「無能は死ね」というけど、無能は相対評価なので無能がいなくなって有能だけになっても、その内の下位n割は必ず無能認定されるんだよな。現に「高卒は低学歴」を実行して大学進学率が50%になった日本社会では、「Fラン」という新たな低学歴被差別階級が誕生した。
「被虐待児は自身を虐待したように他者を虐待するようになるのか?」について書きました。上述のように思ってる虐待された人間の呪いが解ければ幸いです。 「タコピーの原罪」が明らかにするネット民の差別と偏見|rei @rei10830349 #note note.com/beatangel/n/nf…
ADHDの先延ばし癖や眠気に関しては「ドーパミン系の困難」と考えられており、実際にADHDはタスク前に手足をバタつかせる等のドーパミンが出る運動をして身体を興奮状態にすれば、作業パフォーマンスや認知機能が向上することが最近は研究レビューでも確認され始めてるというな pubmed.ncbi.nlm.nih.gov/31212854/