発達障害人間、仕事では常に「少しでも失敗したら終わり」という強迫観念に駆られてドキドキしてるし、業務上必要な報告連絡相談でさえ他者に話掛ける事に罪悪感を覚えるしで心身の消耗が著しく、休日は何も考えられずに家でグッタリ&家事等の必須タスクに追われてる内に終わってしまいがちだというな
ADHDの遅刻要因、大体がギリギリに出ようとして忘れ物・失くし物に気付くのが原因なんだけど、だからといって余裕たっぷりに準備を終えると「まだ時間があるから」とタスクを始めて「あとちょっとだけだから…」と止められなくなってしまい、結局は遅刻しそうな時間になってしまう難しさがあるというな
不機嫌で人間を忖度させる事を覚えると、その「察して貰うことで自らの優位性を確認して気持良くなる」という圧倒的な成功体験故に不機嫌を振り撒くことが癖になってしまうんだよな。結果、コミュ力が衰退していき「怒り以外で他者とコミュニケーションとれない悲しい生物」が誕生してしまうというな。
他者に頼ったり助けを求められない人間は、往々にして「自分は相手に何も与えられない」事に悩みがちだけど、実は人間にとって「頼られる」「感謝される」のはそれだけで嬉しいものなんだよな。それ故に人間関係で重要になるのは実は「迷惑をかけない」ではなく「(良い)迷惑のかけ方」だというな。
陰キャは往々にして自虐的だし悪口等を言われても動じないから、鈍感もしくはメンタルが強いと思われがちだけど、むしろ繊細な場合も多いんだよな。繊細だからこそ傷付かないように感情を押し殺していたら、それが習慣化して無表情・無感動がデフォルト化し、自分を表に出せなくなってしまったというな
自己肯定感の低い人間、ある程度他者と親しくなると「嫌われる/嫌われてること前提に振舞う」をやってしまいがちなんだよ。様々な失敗体験から「調子に乗ると傷付く」が骨身に染みてしまっているので、相手に対する好意や期待にセーブをかけて、破滅に備えて1定の距離感を保とうとしてしまうというな。
ADHD、往々にしてワーキングメモリーが乏しく同時に複数の事を考えたり並列作業が苦手だったりするんだけど、これと先延ばし癖が合体すると「先延ばしたタスクが短期記憶領域に残り続けて只でさえ乏しい領域を占有する」状態になってしまい、先延ばしてるのにその間は何も出来なくなってしまうというな
陰キャの人間、往々にして友人が少ないのは「人間関係リセット癖がある」というより「他者と積極的に関われない」が本態なんだよな。他者に関わる事に対する罪悪感から「何か要件がないと連絡を入れられない」病を発症し、引越し/卒業/就職といったイベントの度に人間関係が自動リセットされるというな
かつてネットには「匿名だから皆変な事を言う。実名顔出しならマトモになるに違いない!」という幻想があったけど、Facebook等で「☓☓な人間は匿名でも実名顔出しでも暴れるし、皆が批判・否定的発言を控えるので匿名空間以上に歯止めが効かなくなる」という身も蓋もない事実が明らかになったというな
過干渉なママと無関心なパパに育てられた子供は、まず何をするにも相手の顔色を伺うようになるし、常に他者の視線に怯えてビクビクするし、自分の意思や主張をハッキリと言えなくなるので、男性はコミュ障型の非モテになり、女性はモラハラやDVされてる方が落ち着く型のメンヘラになりやすいというな。
毒親育ちの人間、往々にしてファーストインプレッションは良いんだけど、それは他者の顔色を伺って先回りして機嫌とったり自分の意思や感情を抑える事が上手いだけなので、何回会っても心を開けず距離が詰まらないし、緊張を維持出来ずボロを出してしまうで、最後には気まずくなってFOしがちというな。
空気を読むのが苦手な陰キャにとって敬語とは「TPOに依らず事故を防げる会話のテンプレ」であり、それで話すのが1番気楽で安心出来る処世術だから基本的に誰にでも敬語を使う傾向があるんだけど、陽キャは逆に気負ってるのかな?と思って「敬語使わなくてもいいよ」と言ってしまう悲劇があるというな。
陰キャの人間関係リセット癖、周囲から見れば「そんな些細な事で…」と思いがちだけど、往々にして陰キャは心のアウトプット性能が低く「嫌な事でも曖昧に笑って限界まで我慢する」が癖になってしまってるので、普通人間から見れば些細な事でも当人的には最後の1押しなケースも珍しくはないというな。
人間が努力するには「努力が報われた成功体験の積み重ね」と「自分は世界に祝福されてると思える安心感」が必要であり、その2つがあるからこそ人間は「努力は報われる/楽しい」と思う事が出来るんだけど、それを得られるか自体が「幼少期の愛情…親ガチャ」に大きく左右される残酷な構造があるというな
努力不足と言われる人間は、往々にして過去の被虐体験により「努力は報われない」が骨身にしみているんだよな。良いも悪いも「期待しなければ傷付かない」という処世術が身に付いているので、困難や理不尽を前にすると「抵抗してもより苦しむだけ」と心身の力を抜いて痛みを受け入れてしまうというな。
Twitterでは「嫌なら嫌と言っていい」「嫌な事はやらなくていい」「他者に合わせる必要はない」的な言説がバズりがちだけど、あくまで程度問題であって極端から極端に走ると、自分が「他者への歩寄りを拒否し1方的に忖度を要求する嫌な人間」として同じ論理で孤立に追いやられるので注意が必要というな
「理解のある彼くん」の類似概念として「ホストを努める息子くん」というのもあるんだよな。この息子くんは不安定/過干渉/すぐ泣くママから(パパの無関心等で)逃れられない家庭で発生し、息子くんは生存の為に必死でママの顔色を伺って先回りして機嫌をとる「ママの小さな王子様」を演じるというな。
陰キャの人間でも明るく社交的に振舞うタイプはいるんだけど、その手のタイプは「嫌われるのが怖過ぎて必死で陽キャの言動パターンを分析してエミュレートしてる」だけなので、内心は常に「間違えてないか?」という不安でいっぱいだし、交流終わった後は完全にMPが尽きて何も考えられなくなるというな
発達障害人間が仕事等をやるうえで重要なのは「パニックになったら時間をおく」ことなんだよな。発達障害人間は過去の失敗体験からミスると強烈な罪悪感と焦燥感に襲われてしまうけど、それは完全な混乱状態なので下手に取り繕うよりも「落ち着くまで何もしない」が最良の選択肢だったりするというな。
失敗に弱い人間って「失敗経験がない」と思われがちだけど、逆に失敗経験あり過ぎるが故に過敏になってる場合もあるんだよな。傍目には「失敗を過度に恐れる甘えた人間」に見えても、当人的には過去の豊富な失敗経験からの叱責/罪悪感等を想起してトラウマと学習性無力感に苛まされてたりするというな
ADHD人間、やる気になりさえすれば直ぐ終わるタスクであれ感情次元では「滅茶苦茶面倒臭い大ミッション」と捉えてしまうので、ダラダラしていても頭の中は義務感や焦燥感でいっぱいであり、結果として先延ばして好きな事やってたにも関わらず「何も出来なかったし色々と疲れた」的な感想が残るというな
弱音を吐かない人間は往々にして「メンタルが強い」というよりも、「弱音を吐く事による人間関係の軋轢や煩雑さに耐えられないほどメンタルが弱い」場合が多いうえに、1人で解決出来ない問題を抱え込んでも「無理する」以外の選択肢がないので、周囲が異変に気付く頃には既に手遅れになってるというな
ADHDのマルチタスクが苦手で複数同時に集中出来ない性質は「嫌な/怖い/面倒で気が乗らないタスク」にも適用されるので、例えば勉強が嫌いで先延ばしてしまう場合、音楽やTVを流すことで「嫌な気持ち」への集中が分散されて、普通にやるより着手しやすくなったり作業が滞りなくなることもあるというな。
陰キャが「自分はキモい」という事を自覚してしまうと、他者と接するだけで「本当は迷惑じゃないか?」と罪悪感と不安が湧くし、自信が無くなるから常にビクビクするようになるし、親しい人間でも誘ったり話したりを遠慮するようになるので、結果として陰がドンドン加速していく悪循環があるというな。
陰キャの人間、往々にして他者に嘲笑や虐められてきたが故に「自己主張すると傷付くぞ」と学習してしまってるんだよな。結果、自分の意思を考えると自動的に「それを周囲に否定される自分の姿」が頭に浮かぶようになり、意思を持つ事自体がストレス源と化すので、意思を捨てる事が日常化するというな。