科学的な事実としてメンヘラ男性にとってパートナーの存在は「鬱病早期回復可能性を2.4倍にする」「独身は鬱病の危険因子」「陰茎と膣の性交は心身健康を回復させる」とメンヘラを良くする事が判明してるけど、メンヘラ男性が恋人を得るには、まずメンヘラを治す必要があるというジレンマが存在するな
陰キャやコミュ障の心配事の大半は「単なる考え過ぎ」なんだけど、自尊心低いタイプに指摘すると「この苦痛の原因は自分が面倒なだけなんだ」と殻に籠もらせてしまう危険性があるんだよな。相手の抱えてる杞憂を只否定するだけだと、相手を自責と孤立感で更に不安に追い込んでしまう事もあるというな。
「精神疾患・発達障害者のエッセイには必ず特別な才能や『そんな私にも支えてくれるパートナー』が出てくる」理由は、多分「靴下は必ず片方だけ無くなる」のと同じ理由なんだよな。つまり「靴下が両方なくなった場合は紛失に気付かない」のと同じく、そういう要素を持ちえぬメンヘラは救われないので…
ADHDは何故本命タスクを先延ばしして別のタスクに取り掛かってしまうのか?私はその謎に迫るべくインターネットを始めたところ、たまたま目にした/ふと思い付いた別の情報が気になり始めてしまい、気が付けば謎を解明出来ぬまま3時間が経過し、ブラウザのタブ数は2桁に達しようとしていた。
ADHDの先延ばしはADHD症状の内「不注意」のみ相関が見られる事を顧みるに、恐らく核は「集中力が強いのに集中の方向/対象をコントロール出来ない」だと思うんだよな。集中力の強さが暴走し、雑事にまで集中が向いて脳内メモリが喰い荒らされ、メインタスクが起動不可になると ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/24992694
ADHDの気が散る対策 ・ホワイトノイズ法 雑音を意図的に流す事で、周囲の気になる雑音を雑音に埋没させ打ち消す方法。専用機械もあるが、スマホで川/雨音を流すのも有効 ・ホワイトアウト法 作業場からタスクに必要な物以外の全てを放逐する ・動作法 思いっ切り身体を動かし衝動/多動を発散させる
「本当はこんな事したくないんだけど、あまりに貴方が☓☓だから仕方なく/自身の行き過ぎに気付かずやってしまう。こんな事する自分も苦しいんだ」という論理、人間を攻撃する正当性と被害者ポジションが同時にとれる優れ物なので、過干渉でヒステリックなママや妻にDVする夫などに多大な人気があるな
社会不適合界隈でよく話題になる「過干渉なママ」、自分の観測範囲だと小さい頃は何でも口を出してくるけど、大学受験/就活辺りから急に「そこまで責任とれない!」と怖気づき今度は自立を求める傾向ある気がするんだよな。尚、子供は突然主体性を求められて「人生いつから始まってたの?」と混乱する
陰キャは「自分を出すと痛い目に合う」という思いから、「まあ」「割と」「結構」等と会話に保険をかけてしまうんだよな。しかし、そういったコンプレックス無き人間には「ハッキリしない」「皮肉言ってる?」みたいに受け取られるので、実は保険をかける度にキッチリ掛け金を取り立てられてるというな
フロイトは「生きる意味や価値を考え始めると、我々は不幸になってしまう」と述べ、トロント大学の研究でも「人間は幸せを追い求めると色々不自由を感じて不幸になる」事が示唆されたけど、これはTwitterで人生や哲学を語ってる人間達によって完全に証明されてる気がするな。 link.springer.com/article/10.375…
「真面目な良い子」として親に可愛がられる人間は、大体は「それが1番面倒がないから」を理由に規範や論理を内面化しているだけので、受験/就活辺りで「本当にやりたい事は?」と詰められても「楽をしたい」以外の気持ちが起きず、1度レールから外れると、そのまま際限無く低きに流れていくというな。
コミュ障は「空気が読めない」というよりも、「空気は読めるけどギクシャクしてしまう」人間も多いんだよな。この手のタイプは空気が読めるが故に、必死で言動の「正解」を見付けようと力んでしまう。結果、言動が何処か不自然になってしまい、それが自分でも分かるので、更にギクシャクしてくというな
陰キャと陽キャの1番の違いは「没頭感」で、陰キャは人間と楽しんでいる時も「自分は楽しいとされる事をしてる」「今の内は正解を続けてる」と、何処か自分を俯瞰し客観性を担保して没頭にセーブかけようとするんだよな。良く言えば冷静だけど、悪く言えば自分に対して常に不信の目を向けてるというな
「大人になってから時間が過ぎるのが早い」というのは、正確には「子供と違って記憶に残るようなイベントが自然発生しない」なんだよな。労働の時間が如何に長く感じても、それ自体は毎日の繰り返しに過ぎないので、記憶に残る事なく消えていき、そして記憶に残った面白きアニメで年月の経過を実感する
陰キャが物事を「あの人間は実は自分を嫌ってる」みたいに悪く考えるのは、認知の歪みだけではなく、合理性の側面もあるんだよな。小さい頃から散々「良く考えて痛い目を見た」結果、最初から「世界は敵地」として、それ前提に動く方が得という判断基準が出来てしまう。ある種の学習性無力感というな。
助けを求められない人間は、往々にして今の苦しみよりも「助けを求めることで発生する諸々の面倒や心理的負担」の方を忌避したがっているんだよな。良いも悪いも現状維持は最も面倒や変化の少ない営為なので、本当に××な状態の人間は「余裕ないけど、助けを求めるだけの余裕もない」ジレンマに陥りがち
発達障害の人間達、自分の観測範囲だと慢性的に不調を抱えてるケースが多いんだけど、当人達もそれを自覚してるからこそ常に焦燥や劣等に苛まされているので、少し復調すると「今までの遅れを取り戻すんだ!」と無理を重ねてしまい、結局また元の不調に戻ってしまうケースがあまりに多い気がするな。
米国でADHDと慢性疲労症候群と定型健常グループを比較したところ、ADHDの62%が疲労度の基準を満たしており、慢性疲労症候群と同じぐらい気分や自己効力感の低下がみられたという研究。ADHDが興味が薄い/優先度低い事に気を向けられないのは、単純に疲れてる面もあるっぽい? onlinelibrary.wiley.com/doi/abs/10.111…
話したら普通に話せるタイプのコミュ障は、往々にして「空気を読んでる」というより「空気を解読してる」んだよな。スムーズに会話出来てるように見えても、その裏では必死に情報収集・分析し、過去記録と照らし合わせて解読作業してるので、時々フリーズ/バグ挙動するし終わった後は疲労困憊というな
人間は老人になって「感性が衰え若者向けコンテンツを受け付けなくなる」というより、正しくは「生涯に渡って当時の思春期頃の感性を持ち続ける」だと思うんだよな。初老のロックも、中年オタクのエヴァも当時は間違いなく「若者向け」だったし、単に嗜好し続ける人間が老いて「老人向け」になるだけと
空気"は"読めるコミュ障、相手からは「地雷の少ない人」と思われるけど、実は「コミュ障を隠す為に自分を押し殺して空気に合わせてる」だけなので、地雷判定は常人並にあるんだよな。結果、人間関係が無理になっても「消える」以外の解決手段がなく、相手からは「突然全てを投げ出した」と見られがち。
霊長類学者ダンバーは「猿は毛繕いで群れを維持するが、人間の群れは大きくなったので代替手段として言語を発達させた」と唱えたが、この理論において「意味のない言語交換=群れ維持に必要な毛繕い」であり、挨拶/雑談/飲み会を嫌がる人間が「何もしてないのに」排除される理由を説明出来ると思われる
@rei10830349 意味や目的のない会話は、意味や目的がないからこそ「仲間である事の確認になり、不信を減らしたり親しみを生んだりする」という集団を円滑にする役割を果たすので、これを嫌がる人間は「群れ維持コストの支払いを拒む個体」として排除される。要は挨拶/雑談/飲み会は人間関係の税金だな
労働の飲み会、上司や陽キャは「労働の慰安」「肩の力を抜ける場」と捉えているけど、部下や陰キャにとっては「労働の延長」「肩の力を抜いてるという振る舞いを肩に力を入れて演じる場」なので、どうやってもこの悲しいすれ違いは埋まらないんだよな。
「Twitterやめたら人生良くなる!」というけど、Twitterにハマッて駄目になるような人間は、大体は実生活に何らかの問題を抱えてるからこそ駄目になるほどハマっているので、Twitterやめても問題が解決されない限り、別の依存先を探すだけなんだよな。その意味でTwitter依存は原因というより結果に近い