「嫌な人間はバンバン切断していこう」という風潮は、裏を返せば「自分もバンバン切断されてく」ことを意味するので、必然的に「魅力的な人間達に人間が集中し、魅力無き人間達は孤独☓する」構造があるんだよな。その結果、魅力無き人間達が互いを「嫌だ!」と切断しあって孤立する地獄が生まれてるな
ADHDの人間の「話は変わるけど」は本当に話変わるし、ADHDの人間の「今、思い付いたことだけど」は本当に今思い付いたことなので、この2つが合致した結果、ADHD同士の会話は無限に話題が生まれ不規則に飛ぶので、相手に気を遣い合わせるタイプの人間がその場では逆にオロオロと浮き気味になるというな
オタクにとって「休日は家で1人でゲーム/読書/調べ物する」は、それを楽しみに労働に耐えている側面まである大事な予定なのだけど、1般人にとってそれは「予定が特に無い時の時間潰し」みたいな感覚なので、ナチュラルに「つまり暇なんだな」と思ってしまい、色々悲しい齟齬が生じてしまうというな。
日本人、手取り15万円は(地域や実家暮らしや世帯事情による差はあれど)ワープア生活ギリギリな事が分かるけど、時給1000円は1000×8時間労働×週5出勤×4週=福利厚生なし月収16000円なのに、それなりにやっていけると認識してしまうバグがあるな。
Twitterのメンヘラや限界社畜人間達は、人生に疲れ果てた結果いつも「もうスマホをダラダラ見る事しか出来ない」「生きてるだけで報酬が欲しい」みたいな事を言ってるけど、それを見る度にソシャゲのログインボーナスが如何に現代病と噛み合ってるかを思い知らされるな。ソシャゲは民衆の阿片である。
人間、誰もが1度は子供であり、それを思い返せば子供という存在は決して純粋なものではなく、子供なりに計算したり媚びたり褒められようと嘘をついたり誤魔化したりする存在である事が分かるはずなのに、何故か大人になるとそれを忘れて「子供は穢れなき純粋無垢な存在!」と錯覚するバグがあるな。
陰キャは褒められたり尊敬されても、小さい頃からの学習で「調子にのると傷付くぞ」という事が骨身に染みているので、心身が硬直して保険かけようと卑屈に振る舞ってしまい、結果として周囲の人間から「面倒/嫌味/臆病な人間」と見られ、最終的には更に傷付く羽目に陥るという最悪の悪循環が存在するな
コミュ障がオフ/飲み会/接待で1番恐れるのが「敬語使わなくていいですよ」と言われる事で、言ってる側は「楽に構えて下さい」という100%の善意なんだけど、コミュ障は往々にして「言葉遣いや距離感を調整し続ける事が苦手な故に、敬語という無難な定型を選んでる」ので、敬語封じられると詰むというな
ADHDとASDの併存率は高いとされ、ADHDの3分の2はASD傾向ありとする研究もあるけど、その結果この手の人間達は「安定を好むのに衝動的」「拘りが強いのに気まぐれ」「整理整頓が苦手で周囲が汚くなりがちだが妙なとこで潔癖」という、傍からは完全に意味不明なパーソナリティに見られがちになるというな
@rei10830349 ADHDとASDの併存率に関する研究 研究レビューによればASDを持つ個人の30~50%がADHDの特徴を示し、ADHDの3分の2がASDの特徴を示すと推定される ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/22678458 米国クリニック調査においてASD児童の78%がDSM-IVにおけるADHDの診断基準を満たした ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/1720161…
幼少期は神童だったが段々と駄目になってくタイプの人間、往々にして小さい頃は「そうしてるのが1番楽だし期待を裏切ると面倒になるから」という理由で勉強などに励んでいたので、1旦躓くと「期待を挽回するのも期待されるのも面倒」な事を学習し、最初から期待されるのを避けて自堕落になるというな
何か報告・連絡・相談しなければならないのに、気まずさからそれが出来ない場合は「1瞬の気まずさと持続する気まずさ、どっちがマシか?」考えるのがオススメな。目先の気まずさ回避の為、持続する気まずさの負債を抱え込むのか?俺は勿論、目先の気まずさに耐えられないので限界まで先延ばし続けるな
☓小さい頃に親などにアニメ/漫画/ゲームなどのコンテンツ摂取を封じられると、大きくなったら反動でオタクになる △そういう人間は小さい頃にコンテンツ与えらていたら、それはそれでオタクになるし、現にそういうオタクは沢山いる ○オタクは業であり、どう生きようともそれから逃れる事は出来ない
ADHDの「手遅れ/間違いだったら?という恐怖感から先延ばしして全てを破綻させる」現象は、ちゃんとやらなきゃ!と思うほど恐怖感が増して逆に動けなくなるんだよな。なので、その場合は身体を動かしたりアニメを見ながらなど、まずは「不真面目」に取り組むのがお勧めな。とりあえず着手するのが大事
小さい頃は「叱責は期待の裏返し!怒ってる人間は貴方を大事に思ってるからこそ、結構なエネルギーを消費して怒ってる!」みたいな言論に1定の正しさを感じてたけど、Twitterで「人間は純粋に怒りたい生物であるし、怒るのは純粋に娯楽たり得る」事が完全に可視化された結果、何だか微妙になってきたな
節約術全般の構造的欠点として「金銭が抑えられる代わりに時間や手間を要求される」というのがあるんだよな。勿論、金かけずにやり繰りする術は有用だけど、往々にして貧困層は工夫するだけの時間/MPがないからこそ、即金での解決に走るというな。つまり「節約したいけど、節約する為の豊かさがない」
インターネットでQOLを1番下げる行為は、間違いなく「嫌いな人間/集団/コンテンツを自分から見に行って、嫌なものを見つけて、嫌なのを確認する」事なんだけど、これはある意味で「期待通りの報酬を得られる」行為なので、常習化を招きやすいんだよな。人生には得てはいけない成功体験があるというな。
ADHDが得たら××になる成功体験1覧 ・家からの出発予定時間が遅れたものの遅刻ギリギリセーフ ・過集中により短時間で放置してたタスクを片づけた ・1夜漬けで試験突破 これらの成功体験を得てしまうと、上手くいった時の報酬の凄まじさから積極的に「ギリギリ」を狙うようになってしまい。。。
オタクにとってアニメ/漫画/ゲーム/現場参戦は、「それがなければ生きていけない」という意味では生活必需品だし、「生きてるだけで致命傷な辛い現実で負う傷を治療してる」という意味では医療費なので、軽減税率の対象にしてくれなくてもいいから、せめて保険適用の非課税取引にして欲しいな。
半分俺の自己分析だけど、コミュ障は1般人との会話が上手くいかない理由を「話題共通性や話し方」に求めがちだけど、それよりも「相手が何に興味を持っていて今何について会話したがってるか察せない」方が大きいと思うんだよな。謂わばコミュ障は人間相手というよりも話題を相手に会話しがちというな
コミュ障、相手を凄く思い遣るあまり、相手が気になる事を言ってきても拒否/不快の表明/異議を唱える事が出来ず、しかし受け入れる事も出来ないので、どうしよう?と迷って引き伸し続けて「無視」という形になってしまい、結果として相手を1番困らせる態度になってしまうみたいな事態に陥りがちだな。
コミュ障の自覚があるコミュ障は、実はコミュ障のなかでも上位であり、下位のコミュ障は上手くいかない原因や自身の失敗すら分からないので「自分は普通!相手が悪い!」と結論付けるんだよな。結果コミュ障ほど相手に「察してよ!ちゃんと言ってよ!」と不満を抱え、コミュ障を叩く地獄があるというな
帰国子女「日本は同調圧力が酷い!欧米は皆ハッキリ意見を言う!」 S. E. Asch「米国人は正しい解答でも周囲が間違ってると言えば25%の割合で撤回する。因みに日本人は23%」 Melanie Killen「日米の虐めを比較したところ、どちらも同程度に陰キャ/コミュ障は違いを許容されず虐められる事が判明」
@rei10830349 日米の子供を比較したところ、虐められっ子はどちらも陰キャ・運動音痴etcとタイプが決まっており、また違いの寛容度や虐め発生率などに有意な差異は見られなかった academia.edu/33264834/Japan… 『ウチ』への同調,日本人もアメリカ人と変わらず(アッシュの研究) u-tokyo.ac.jp/focus/ja/press…
「話してくるコミュ障」は自分の話したい事を1方的に喋りたいタイプ以外に、「相手に気を遣うあまり喋り過ぎてしまう」タイプのコミュ障もいるんだよな。この手の人間は沈黙に耐えられず、相手を楽しませようと力み過ぎて××になってしまうパターンなので、普段は無口でむしろ喋るのを避け気味というな