真面目な人間、同時に勤勉を持ち合わせてると生き易いけど、怠惰を持ち合わせてると最悪で、怠惰だから物事を投げ出したりサボッたりしてしまうのに、真面目だから罪悪感を抱いてしまうんだよな。結果、罪悪感を覚えない怠惰な不真面目人間よりもダメージを受けてしまい、人生が辛くなりがちだというな
「インターネットで知り合った人間とリアルで会うのは危険です」というのは確かなんだけど、それ以上に「リアルで知り合った人間とインターネットで会う/知られてしまう」方が遥かに危険な気がするな。
ADHD、ドーパミン系に困難を抱えてるが故に小さな報酬よりも大きな報酬に魅力を感じてしまうんだけど、これと先延ばし癖が合わさると「何かを思いつくとそれが最高に上手くいった時の報酬を期待してしまい、他に何も考えられず何も手に付かなくなって予定が崩壊してしまう」地獄が生まれるというな。
マッチングアプリ「OkCupid 」によれば女性は「自分の年齢と1致〜やや上の男性を好む」傾向が確認された1方、男性は「自分の年齢に関係なく如何に加齢しても20前半ぐらいの女性を好む」という事が確認されたけど、年の差婚に対する反応は正に良い悪いは別にしてこの非対称性が浮き彫りになるというな。
Twitter、定期的に「こんな人間は切れ!」「こういう事する人間から離れろ!」的な言説がバズるけど、それをみんながやると「他者から容赦なく見定められ雑に扱われたり切られる」世界が誕生するので、今人間関係で生き辛さを感じてるようなコミュ障/不細工/メンヘラは更なる地獄の釜が開くというな
毒親育ちの人間、往々にして「他者の顔色を伺って機嫌をとる」を反射でやるから、短期的には好評価を得やすいんだけど、相手に対して心を開けないから幾ら会っても距離が縮まらないし、段々と疲れてボロが出て辛くなるしで、長期的には大変厳しい事になるし人間関係リセットに走りがちになるというな。
自分の事を話そうとすると泣きたくなってしまう人間、往々にして「何故こんなことした!」「言い訳するな!」と言われ続けてきた過去があるんだよな。それによって「自己開示=叱られる」がインプットされてしまい、何気ない事でも自己開示に多大なプレッシャーがかかり全てが怖くなってしまうというな
問題を起こした人間を強く叱り過ぎると、その人間は問題への対処法や反省ではなく「今目の前で叱ってる人間への対応」ばかり気にするようになるんだよな。結果、叱ってる人間の機嫌をとるべく虚偽の原因や決意を口にしたり、神経や集中力が叱る人間への恐怖で専有されたりで事態は逆に悪化するというな
対人関係が苦手なコミュ障、たまによくLINE/メール等のメッセージを無視してるのにSNSや趣味をやったりするけど、それは「色々いっぱいで負担の少ない/好きな事しか出来ない」状態に陥ってる場合も多いんだよな。嫌とか尊重してないとかでは決してないけど、それをやるだけのMPが枯渇してるというな。
コミュ障特有の会話した後の脳内反省会の根幹には「罪悪感」があるんだよな。他者と関わったり1緒の空間にいること自体に申し訳なさを感じてるが故に、会話時は「相手を楽しませなきゃ/ノーミスじゃないと」的な強迫観念を抱いてしまい、強迫観念通りに出来ないと後悔が止まらなくなってしまうというな
悲しかったり腹立たしかったりしても何も言わない人間は、良い悪いは別にして「自分の感情は尊重されない」と学習してしまってるんだよな。感情を出した結果、否定されたり嘲笑されたりで余計に傷付いた経験が多過ぎて、自分の感情を押し殺して口を噤むのが自己防衛術になってしまっているというな。
ポケットモンスター セックス出来るママ(弱くても情けなくても自分を性含めて受け入れてくれる女性)/ セックスを要求しないパパ(性を差し出さなくて自分を守り優しくしてくれる男性)
オタクの定義が難し過ぎる事から「オタクと発達障害の関連性」そのものズバリな研究はないんだけど、「ASD女性は男色に興味を示しやすい」「ASDは数学に強い」「集団行動が苦手で運動音痴」「3次元人間との会話ではなくフィクションから言葉を学ぶ」みたいな話から大体答えは出てる気がするんだよな…
メンヘラが人間関係を壊す原因は大体「依存」なんだけど、その裏には「人間関係が乏しい/心を開ける人間がいないが故に1人に過剰な期待してしまう」構造があるんだよな。他に信頼出来る人間がいないが故に信頼出来る人間が出来ると心のダムが決壊し、あれもこれもと1人に全てを要求してしまうというな
虐められたり毒親育ちの人間、往々にして「自分が我慢すれば丸く収まる」という事を骨の髄まで叩き込まれてるので、明らかに相手が変/危険な場合でも「自分が悪いのかも?」「公平公正に対応しないと」と反射的に思ってしまい、結果ますます我慢を要求される立場に陥りがちになる悪循環があるというな
人間関係リセット癖のある人間、往々にして最初は印象良いんだけど、それは「自分は嫌われる」という恐怖故に必死に取り繕ってる面があるんだよな。それ故に1見社交的かつ明るく見えても会話が終わった後は疲労でグッタリだし、それを表に出せないしで、ある日キャパを超えて全てから逃亡するというな
よく喋るタイプのコミュ障は「滑ってる事に気付けない」のと「沈黙に耐えられない」のがいて、後者は常に「相手にプラスを与えないと」と強迫観念に駆られてるので、自分が滑ってるからこそ「リカバリーしないと!」と話し過ぎてしまい、会話が終わったら羞恥と後悔に苛まされ消えたくなってるというな
「他人に迷惑をかけてはいけない」を自己肯定感の低い人間が強く内面化すると、他者に関わろうとすること自体に「自分なんかと1緒にいても…」と罪悪感を覚えてしまい、他者の気に1切触らないように過剰な努力して潰れたり、他者に自分から距離を縮められなかったりで孤独が保証されてしまうというな。
リクルート、80年代に「フリーターこそ新時代の生き方!」と持て囃してご覧の有様なわけだけど、本当に酷いのは「40代の再チャレンジはこちら!」「無職も転職支援エージェントを!」とワープア2毛作やってるところなんだよな。武器を売り付ける為に戦場を作ってるという点でアナハイムを超えてるな。
【書籍発売のお知らせ】 色々と事情があってKADOKAWA様より本を出させて頂く事になりました 陰キャ・オタク・元非モテ・発達障害会社員の私の半生や、そのような社会不適合人間の生き辛さの緩和や展望について書きました 『生きてるだけで、疲労困憊。』(7/21発売) Amazon→amazon.co.jp/dp/4040646029/…
発達障害人間の労働、往々にして段々とボロが目立つようになるから周囲は「真面目だと思ってたが実は適当/サボり人間だった」と解釈するけど、本人的には手を抜くどころか「ヤル事や要求水準が増えて頭がパンクしてきたし緊張と焦燥感で冷静になれない」と必死で頑張ってる悲劇が生じがちな気がするな
自己肯定感の低い人間、往々にして信頼出来る人間が皆無で寂しを抱えているんだけど、いざ人間と仲良くなれそうになっても「本当の自分を知られたら失望されるし嫌われる」と心を開けず必死に自分を隠してしまい、結果「嫌じゃないしむしろ好きだけど1緒にいると辛い」的な状態に陥ってしまうというな
発達障害人間、割と人前では明るく振舞うし会話もそれなりに盛り上げられるケースが少なくないんだけど、往々にしてその手のタイプは無理にテンション上げたり、必死でそれっぽい人間に擬態してるだけなので、家に着いた瞬間に電池が切れて動かなくなり、そのままn時間はグッタリしてるというな。
「最近のオタクは考察しない。ただコンテンツを皆に流されるままに消費してるだけだ!」みたいな言論、実は40年以上前からずっと言われ続けているんだよな。要はこの手の言論は単純に人類普遍の「最近の若者は…」現象に、オタク独自の同族嫌悪が合わさっただけのアレというな。
イジメを経験すると、相手の敵意や悪感情を察して先回りして機嫌をとる/逃げる癖がつくけど、常に怯えてるが故に普通人間の意図や感情については分からなくなるんだよな。それ故に普通人間からは「いつもビクビクして無用な気を回す生物」と疎まれ、アレな人間に狙われやすくなる悪循環があるというな