ベルセルクは断罪編で「復讐と愛どちらをとるか?」「絶望を前に人間は何を糧とするのか?」「苦痛や不条理に満ちた人生にも意味はあるのか?」「人間が究極的に欲するものは何か?」的な作品の主要テーマはやり尽くしているんだけど、それはそれとして完結は見たかったな…。ご冥福をお祈りします
「足の早い男子はモテる」という話、「発達障害人間は身体感覚不全を抱えている事が多く、走るのが遅かったり歩き方が変だったりする」という話を合わせると、色々地獄の釜が開く気がするな。
先延ばし癖のある人間、往々にして「手を付けるまでは長いが手を付け始めると物凄く集中する」という集中力が0か100しかない極端なタイプなので、ときどきよく寝る前や出掛ける前に何気なく始めた微細タスクに集中力が暴発してヤバイ!と思いつつ止められなくなり、予定がドンドン崩壊してくというな。
ADHDの先延ばし癖解消方法として「思い切り身体を動かして衝動性を発散させる」というのがあるんだけど、これはドーパミン分泌させるだけじゃなく「リソースを敢えて削る事で余計な物に気を回せなくする」という側面もあるので、実は集中力UP&作業中に気を散らさなくする方法としても効果的というな。
社会不適合を就活で発症する人間が多い理由、端的に言えば「勉強の大会から社会性の大会に変わる」からなんだよな。特に親から「遊ぶより勉強しろ!」的に社会性を身に着ける機会を奪われてきた人間は、それまでの人生そのものに虚無感を抱き、祈られ続けて自己否定の波に飲み込まれがちになるというな
ADHDの時間感覚、労働の30分と労働が終わって家に帰って「あぁ食器片付けないと…風呂にも入らないと…明日の支度も…あと少しゆっくりしたら手をつけるか…」と思ってダラダラしてる3時間が、体感では同じくらいの長さに思えるところに色々と問題が集約している気がするな。
人間、人生が上手く行ってる固体は「自分の成功は努力の賜物である」と思いたがるし、努力は報われるという信念(成功体験)があるからこそ実際に努力出来たりするわけだけど、その信念を人生が上手く行かない固体に向けると「貴方は努力不足だから人生失敗してる」と断罪する傲慢さに変わるというな。
「陰謀論に嵌るのは勉強不足だからだ!正しい知識を身に着けてる人間は陰謀論に落ちない」的な言論を述べてる人間、高学歴者が幹部となって主導していたオウム真理教や、フランス帰り超インテリが起こしたクメール・ルージュや、インテリ揃いのナチス幹部等について勉強不足の気がしないでもないな。
インターネットは「暇で声の大きい人間が天下をとる」場なので、Twitterでは発達障害人間/無職/性風俗産業従事者/浪人生/専業主婦の言論が支配的になるわけだけど、それはあくまで「過度に強調された現実の1側面」でしかなく、当然に現実の全てではないので飲み込まれ過ぎないよう注意が必要というな。
インターネットで人生が上手く行ってる人間について「人生2週目だろ」とする揶揄があるけど、実際に子供をプレイヤーキャラとして「自分の思う通りに動きさえすれば人生全て上手く行くはず!」と人生2周目をやってしまうと、高確率でそもそも人生送れるか怪しい生物が誕生するので注意が必要というな。
イジメっ子は「これは虐めではなく悪い奴に罰を加えてるだけ」という認知だから平然と「虐めはよくない」と言えるわけだけど、SNSの誹謗中傷も発信側は往々にして「これは誹謗中傷ではなく正当な批判」と認知しているので、誹謗中傷する側ほど熱心に「誹謗中傷はよくない」と言う地獄がある気がするな
Twitter、基本的にやっていても益はないけど、それでも月が綺麗な日や☓☓の日みたいに何気ない日常を皆で寿くことが出来るのは、結構な救いになってる気がするな。
雨の日にメンタルが調子悪くなるメンヘラは多いけど、ラットの実験では「低気圧は鬱状態を悪化させる」ことが示唆されているんだよな。ラットを正常気圧と低気圧で泳がすと、正常気圧に比して低気圧ラットはうつ状態になりやすく、また既に鬱のラットは鬱症状が悪化したという pubmed.ncbi.nlm.nih.gov/21130811/
☓中高生の時に制服/イオンデートしないと人生に深刻な支障をきたし1生引き摺ることになる ○発達障害人間の精神年齢は実年齢×0.6なので20後半ぐらいで定型中高生と同じぐらい精神年齢になってしまい、そういった青春をやる為の興味や熱意が湧いてくるが、実年齢が実年齢なので大変厳しいものになる
過去/現在誹謗中傷してる人間が同じ口で「誹謗中傷はよくない!」というのは矛盾とかダブスタとかではなく、逆に「その時の1番正しいっぽい流れにのる」という1貫性の証なんだよな。過去に正しいっぽい流れに乗って悪っぽい人間を叩いてた人間が、今度は別の正しいっぽい流れに乗っているだけというな
発達障害人間の「マルチタスクが苦手」と「対人関係が苦手」が合わさると、ある人間に好意を抱いたらそれで頭いっぱいになって他の人間関係が疎かになるも、好きな人間には色々注力し過ぎて変な感じになって気不味くなり、結果として好きな人間とも周囲の人間とも距離が出来る地獄が生まれるというな。
Twitter、「三角関数は社会で役に立たない」というと炎上するけど、「体育は廃止した方がよい」というと絶賛されるという非対称性があるんだよな。「使う人間は使ってる」で三角関数を擁護するなら、同じ理屈で体育や文系知識/技能全般も肯定されるべきだけど、そうはならない不思議があるというな。
Twitter民、大凡体育が嫌い/苦手で国語が無勉でも良くできて数学に強くて高学歴な印象があるんだけど、これは発達障害人間の「運動ニューロンに困難があり、言葉は発話ではなく読書で覚えるので会話は不得意なのに国語はよく出来て、数学に強い傾向がある」的な特徴に完全1致してしまってるんだよな…
発達障害人間は会話が苦手なのに、国語や文章読解がよく出来るのは「ASDは現実の人間とのやり取りではなくフィクションから言語を学んでいる」的な話。つまり発達障害人間にとってはフィクションこそネイティブ言語であり、現実の会話は非ネイティブ言語っぽい… president.jp/articles/amp/3…
ASDの「想定通りに物事が進まないと混乱する」とADHDの「衝動的に動いてしまいヤル気の波が激しい」が合体すると、計画通り動きたいのに変な/後でもいい事が分かってるのに気になり過ぎて計画が壊れ、最終的に「どうせ完璧に出来ないなら最初からやらない」という最悪のデッドロックが生まれるというな
☓努力は必ず報われる。報われてない人間は努力不足 △成功者は努力してるかもだが、そもそも努力出来ない境遇に置かれてる人間も多く、努力出来るという事自体が環境や運に大きくバインドされる ○人間は公正世界信念で成功者は努力したから報われて、失敗者は努力不足だから敗北したと思ってしまう
自己肯定感の低いメンヘラ、往々にして愛や優しさを求めてるんだけど、既に自分の中に「自分は疎まれる」という確固たる認知が出来上がってるので、愛や優しさを与えられても認知不協和で嬉しさよりも不安や罪悪感が先行してプレッシャー/ストレスが蓄積され、最終的に人間関係リセットしがちというな
☓メンヘラには美人が多い ○良い悪いは別にして美人は「自分が泣けば周囲は助けてくれる」と学習してる為、実際に助けが与えらる事もあって色々な意味で露出が激しくなる。1方で不細工なメンヘラは自分が泣きごとを言っても叩かれるだけと学習しているので何があっても沈黙し、結果不可視化される
「鬱は金があれば治る」「鬱はスポーツや筋トレで治る!」「鬱は他人から承認されまくれば治る」的な言説、全米オープンテニス優勝60億円プレイヤーの大阪なおみさんのうつ病公表で全て吹き飛んでる気がしなくもないな
ただ「金でメンヘラは軽くなる」に関してはワンチャンありそうな研究もあるんだよな。例えばスウェーデンで重い精神疾患を抱えた100人に7ヶ月間金を渡し続けたら、機能レベルの違いは生じなかったが、それでも憂鬱や不安感や自己感覚に大きな改善が見られたとのこと…。 pubmed.ncbi.nlm.nih.gov/26433374/