☓辛い経験は人間を強くする △人間を強くする為に必要なのは辛い経験ではなく「楽しい経験」で、それによって人生への希望と安心感を持てるからこそ、今の苦しみにも克つことが出来る ○辛い経験で弱い人間は振い落され不可視の存在となり、結果的に辛い経験に耐えられた強い人間のみが可視化される
女性の言う「優しい人が好き」は実際にはどういう意味か?書きました。「その優しさは優しさではない」的な言説に悩んでる方に読んで欲しい記事です。 女性は「優しい人が好き」というのに、何故優しい貴方はモテないのか?|rei @rei10830349 #note note.com/beatangel/n/nd…
自己肯定感の低い人間、常に「他者を不快にさせてはいけない」という強迫観念に駆られているので、他者にNOと言えないし、不快に思う事があっても「もしかして自分が悪い?」と抱え込んでしまうんだよな。結果、人間関係のコマンドが「我慢」と「逃亡」しかなくなり、関係が出来ては消えてくというな。
自己肯定感の低いメンヘラ、往々にして「自分が無/低価値である事を確認したい」的な欲求を持っている為、人間関係では無自覚に悪い情報ばかりに注目してしまいがちなんだよな。「他者に嫌われないか?」が不安過ぎて、「自分は既に嫌われてる」という結論を出すことで安心しようとしてしまうというな
最近Twitterで養命酒を飲むようになったオタクを多く見掛けるようになったけど、これは間違いなくオタク中核層が「加齢に伴い健康への関心が高まった」ということなので、次は絶対「介護便利グッズ」「死去した親の感動話」「葬式関連tips」等がオタク界隈でバズるようになると確信しているな。
会社にいる時は「早くゲームしたい!本読みたい!アニメ見たい!」のに、いざ家に帰ると「なんか心身が重い」となって結局何もせずに終わる人間は、もはや「家にいる時はひたすらゴロゴロする」が習慣化してるので、連休も「やりたい事が沢山あったのに結局寝てるだけで…」と後悔しがちになるというな
教養とは詩人ロバート・フロストに言わせれば「気分を害さず、また自信も失わず、あらゆることに耳を傾ける能力」ということなんだけど、この定義に従えばTwitterで「教養がない人間とは話が出来ない!」みたいに言ってる人間は、その時点で「私は教養がありません」と言ってるようなものだというな。
「弱者に優しく」という価値観が広まったものの、人間は基本的に不快な人間=弱者には関わりたくないので、不快な人間には「☓☓だから弱者ではない」的な論理が適用されるようになり、「弱者と認められるには助けたいと思われるような魅力のある強者でなくてはならない」という地獄が生まれたというな
毒親やイジメやパワハラ等の「忖度を強要される環境」で身に付くのは「コミュ力」ではなく「恐縮」や「自己卑下」なんだよな。しかもその恐縮や自己卑下は異常な環境下の正解なので、普通環境では「常に周囲の顔色を伺い少しの失敗や叱責にビクビクする甘やかされ人間」と見做される呪いになるというな
自己肯定感の低い人間に「自分を大事に」と言っても、往々にして「自分を大事にした結果、他者から否定や嘲笑された」経験で身の程を弁え過ぎてしまってるので、まず通用しないんだよな。自分を大事にしようとしても、頭の中で☓☓な過去と共に「調子のると傷付くぞ」的な警報が鳴り響いてしまうとうな
自己肯定感の低いメンヘラが褒められると「このぐらい…」と言い出すのは出来て当たり前とか思ってるわけではなく、「期待値をあげられるのが怖い」からなんだよな。褒められると嬉しいけど同時に「次も高評価とらないと失望され…」と重圧を感じてしまい、反射的に自己卑下が口から出てしまうというな
コロナ禍でTwitter民が「我慢が終わったらまた我慢。我慢はいつまで続くの?」と嘆いてる光景、どこか既視感があると思ったら「受験に受かるまで我慢→必須単位とるまで我慢→就職するまで我慢→新人の間は我慢→仕事慣れるようになるまで我慢→出世するまでは…」という人生の縮小そのものだったな。
「ふとした拍子に過去の嫌な/恥ずかしい記憶が蘇ってきて思わず叫びたくなる」的な現象は、要するに「フラッシュバックからくるストレスを掻き消そうとしてる」という事なので、我慢して平常心を保つよりも、深呼吸したり身体を軽く動かしたりして衝動を発散させてやる方が色々抑えられるというな。
自己肯定感が低くて人間から褒められた時に「そんな事ないです」的に否定してしまう人間は、代わりに「恐縮です」と言うのがオススメな。相手の言葉/感性否定や嫌味にならないのは勿論、恐縮とは「身に余る賞賛を貰って嬉しいけど思わず縮こまってしまう」的な意味なので心情的にもピッタリだというな
☓オタクは風呂に入らない △オタクの多くは風呂に入るが、少数の風呂に入らないオタクがクローズアップされたり目立ったりする。またオタクに限らず人間が集まる場所は大体臭ってしまうが、Twitterはオタクが多く陽キャに比して話題に上がりやすい ○風呂に入ってなさそうな人間をオタク認定してる
「何もしてないのにパソコンが壊れた!」という人間は必ず何かやってるけど、GW最終日等に「何もしてないのに連休が終わった!」という人間はガチのマジで本当に何もやっていないというな。
「そこそこ裕福な家に生まれた私立中高1貫生が東大等の難関大学を目指すよう圧をかけられ、沢山の塾に通わせられて親に怒鳴られたり泣かれながら猛勉強し、見事合格を果たすも就活や労働で社会不適合発症して見下してたFラン大学生より低収入な人生を送る人間のドラマ」、今ならTwitterで無料見放題!
Twitter民は超高学歴の方々が多いから「MARCHも日東駒専も世間的には高学歴」と言うと「Fランじゃんw」みたいに反応されるけど、そもそも日本の大学進学率は50%前後で中退率は10%前後だから、実は大卒の時点で学歴上位45%に入るんだよな。Twitter、良い悪いは別にして超高学歴社会不適合人間が多過ぎる
発達障害人間同士の結婚、調べてみたら割りと上手く行くケースが多いみたいでオッと思ったけど、詳しく調べていくうちに「発達障害持ちでも結婚出来る人間(特に男性)は大体ハイスペであるし、そうでなければ結婚出来ない」的な事情が浮かび上がってきて、なんとも言えない気持ちになってしまったな。
自己肯定感の低い人間が陥りがちなのが「自分なんかが相手を大切に思っていいの?」病で、好きな/親しい人間が出来ても「相手には自分より仲良さそうな人間が沢山いるし…自分の気持ちは重過ぎない?」と不安になって変に遠慮して余所余所しくしてしまい、人間関係が出来ては壁を作ってしまうというな
TwitterみたいなSNSで投げ銭機能を追加するとどうなるか?は、既にWeChatで答えが出てて端的に言えば最初は「女性の半裸」「転載コンテンツの更なる転載」が溢れ返り、やがて「コスプレやサブカルをエクスキューズにした女性の半裸」「コンテンツのキュレーション」みたいな形に落ち着いていくというな
SNSの投げ銭機能の本当の恐ろしさは「露出や転載が増える」ことではなく、「お金を貰った/出した」意識が発生することなんだよな。今でもYouTube等で色々トラブルは起きてるけど、SNSの場合は「日常が換金対象」になるわけであり、☓いやすさは単純なコンテンツ配信の比じゃないので注意が必要というな
「非モテは身なりを整えろ」に対して賛否が別れるの、完全に「身なりを整えてアドを得られる者と純粋な負債になる者」の断絶なんだよな。正否は別にして前者は「ちょっとした事で生き易くなるから」と認知し、後者は「身なりを多少整えても自分の外見的ハンディキャップには焼け石に水」と認知してる。
「非モテは身なりを整えたら、それだけである程度は社会に受け容れられる」という言説が必ずしもそうとは限らないのは、学生時代を思い返せば1目瞭然なんだよな。中高はみんな同じ服(制服)を着ていたわけだけど、我々はそれでも尚パッと見で分かるほど負のオーラを放ち、クラスから浮いてたというな
こう言うと着こなし/洗濯/髪型等の問題では?という疑問が湧くと思うけど、これは種々の発達障害研究で「服装云々ではなく姿勢や動作や表情の問題」という事が明らかになっているんだよな。要するに陰キャの印象改善は体幹を鍛えつつ人間と交流する中で「自然な動作」をコピーする必要があるっぽい