ADHDがタスクが溜まり、どれから手を付けていいか分からなくなった場合、まずは「1番短い時間で終わるタスク」に着手するのがオススメな。大きなタスクは例え重要度が高くても焦燥メンヘラ状態だと着手に必要なMPを捻出出来ないので、まずは小さいタスクに着手して作業興奮でデバフ解除すべきというな
ADHD人間、往々にして締切が迫ると恐怖と絶望感で心身が竦んでタスク遂行出来なくなったり逃避で別の事をしてしまうんだけど、それでいながら常に焦燥と罪悪感に苛まされて多大なストレスを受け続けているので、傍目から見ると不真面目なのに、実は真面目にやるよりも遥かに疲弊してたりしがちというな
Twitterで定期的に流れてくる「ドッヂボールでは避ける専門」「大縄跳びで引っ掛かりやすい」「会話は上手くないけど国語は無勉でも比較的よく出来た」的な非モテないし陰キャの特徴あるある…研究が進むにつれて段々と全てが「発達障害の症状/特徴」に回収されていくの、非常に厳しいものがあるな…。
@rei10830349 発達障害者がスポーツ…特に道具を使う球技系が苦手なのは有名だけど、その理由が「皮膚兎錯覚」として近年明らかになりつつあるんだよな。研究によればASDは定型発達人間に比べて「道具を身体の1部のように感じる錯覚が生じにくい」とのこと。 koseisouhatsu.jp/activity/relea…
ADHDの眠気については「体内時計が定型と違う」可能性が指摘されてきたけど、研究の進展で「夕方の概日リズム(夜型)を好むADHDは睡眠時間の違いを考慮しても日中の眠気を感じやすい」まで明らかになってるんだよな。あの眠気はとりあえず「単なる睡眠不足」ではないらしい。 pubmed.ncbi.nlm.nih.gov/31651076/
コミュ障の人間、往々にして「自分は嫌われる」という思い込みがあり、常に「人間関係ではミスが許されない」とプレッシャーに苛まされているので、特に意味のない他人との会話でも感覚的には「正しい選択肢とリアクションをn秒以内にとり続けなければ詰む」的な接待や面接に近くなってしまうというな
完璧主義と怠惰が合わさると、「着手が遅いのに妙なところに拘ってしまい終わりが見えなくなってしまう」地獄が生まれるけど、更に症状が悪化すると「時間が無いなかで完璧に出来なくて散々苦しんだ末に結局は失敗する」自分の姿が思い浮かぶようになり、先延ばしが止められなくなってしまうというな。
発達障害者に限らず弱者同士の互助が難しい理由は「不足してるが故に同じく不足してる相手に過大な負担を求めざるを得ない」からなんだよな。例えばコミュ充はコミュ障のコミュ力を補う形で人間関係出来るけど、コミュ障は当然に相手のコミュ障のコミュ力を補えない。弱者ほど弱者に厳しくなるというな
発達障害の男女の置かれてる環境の違いについてザックリ言うと、どちらも社会的孤立や困窮に陥りやすいのは共通してるけど、男性は異性に何も与えられない「非モテ」になり、女性は性的価値以外に何も求められず「性被害者/嫌悪者/奔放者」になりやすい傾向があるというな。(どちらが辛いかは別の話)
「発達障害の男性は来店拒否」について、思うところが色々あって主催を責める気にはならないけど「実際に迷惑な存在だし色々と問題も起きてるから排外は正当!」みたいな論理は、まさに人生無理な障害者やマイノリティを社会から疎外する際に使われる「正論」や「合理性」なので、取扱いには要注意な…
実はコミュ障こそコミュニティはガチ勢を選ぶべきなんだよな。何故ならエンジョイ勢的な緩いコミュは「楽しくコミュニケーションする」事自体が目的なので、当然にコミュ障は役割が得られず浮いていく。逆に目標がある集団は、例えコミュ出来なくても目標にコミットしていれば仲間と認められるというな
弱者同士の互助の場が抱えるジレンマと、弱者男性と女性の違い、それでも上手くいく弱者同士の互助の場は存在するか?について書きました 弱者同士の互助の場が必ず崩壊する理由|rei @rei10830349 #note note.com/beatangel/n/nc…
人生が無理な人間、往々にして「何がなんだか分からない内に失敗した」経験が多過ぎて、常に「自分は実はやらかしてないか?」的な不安に苛まされているんだよな。それ故に客観的に見たら自分は悪くなくても、人間と軋轢が生じた瞬間に頭が真っ白になり、口から自動的に「すみません」が出るというな。
ADHDの「ToDoリスト」を管理するコツは「楽しみや息抜きの予定もしっかり書き込む」事なんだよな。これは「休憩も予定として大事」という側面もあるけど、それ以上に「必須タスクばかり書いてるとリストの確認管理自体が苦痛になる」事が問題。無理な事に対処する為の対策が無理になってしまうというな
Twitterで嫌いボタンが導入されたら、恐らく自分のツィートが他者を不快にさせてないか気になるタイプの人間は「嫌いがついた!もうTwitterやめよう!」となる1方、☓☓な人間は「嫌いがついた!なら自分を嫌う人間をもっと不愉快にしてやるぞ!」となり、逆に嫌いが蔓延する蠱毒が誕生する気がするな
Twitterで個人的に追加して欲しいボタンは「お大事に」。Twitterでは不幸な出来事や困難を抱えて苦しんでる人間の嘆きも流れてくるんだけど、それに「いいね!」するって微妙に抵抗があるんだよな。「かける言葉が見つからないけど私は貴方を気にかけてます」を「いいね!」以外で表明する手段が欲しい
弱者の苦しみって「誰からも手を差し伸べられない」以外にも、実は「誰からも手を求められない」側面もあるんだよな。役割が得られず誰からも求められないというのは、何より雄弁な「貴方は不要な存在です」というメタメッセージになるので、特に何もなくても/ないからこそ色々病んでしまうというな。
自己肯定感の低いコミュ障、友達っぽい人間が出来ても「自分は相手に好意を抱いてるが、相手には自分より仲良そうな人間が沢山いるし、もしかしたら凄い温度差があったり迷惑かけてるかも!」と怯えてしまい、変な留保や遠慮を重ねて段々と微妙な距離感になり、終いには疎遠になってしまいがちというな
自己肯定感が低い人間はコミュ障になりやすくて、人間と1緒の空間に存在すること自体に罪悪感を覚えるから、頼み事や拒否が出来ないのは勿論、誘ったり話し掛けたり沈黙するのも感情面では「相手の時間を奪う犯罪」だと認知してしまい、罪悪感と人恋しさの板挟みで言動がバグッて自爆しがちというな。
「助けて」と言えない人間、往々にして「プライドが高く頑固」というよりも環境が「助けを求めるリスクがデカ過ぎて1人で抱え込む方が合理的」になってしまってるんだよな。助けを求めて救われる確率よりも、拒否/無視されたり迷惑がられたりする確率が高過ぎてSOS発信がハイリスクになってしまってる
発達障害人間の「興味が極端で没頭しやすい」的な特性は、幼少期は「少し変わってる子」「博士型」として個性の範囲に収まるけど、大きくなるにつれ「他の同年代の人間が当たり前に経験してる事や暗黙知に疎い」的な遅れになっていき、就活辺りで「社会不適合」という烙印を刻まれがちになるというな。
ADHD人間、往々にして衝動性が強いのでイベント/旅行/遊び/趣味の誘いは基本的には断らないけど、いざ準備の段になると先延ばし癖や注意散漫が出て色々しんどくなってしまうので、傍目には「誘った時はめっちゃノリノリだったのに直前になると何か面倒そうにしてる」という謎の生物に映るというな。
メンヘラの人間関係が破綻する最大の理由は「人間関係が乏しいが故にコミット出来た1人に全てを求めてしまう」事で、友達カウンセラー恋人…と自身に足りない関係性を1人から得ようと依存する。しかし1人に依存しない為には他の依存先=豊かな人間関係が必要で…人間関係やる為の人間関係がないというな
メンヘラのよく言う「心が穴の空いたバケツなので如何に承認されても満たされない」の穴の正体は、「不安」だと思うんだよな。「承認されて嬉しい」的な欲望ではなく「承認されないといけない」的な強迫観念が根底なので、如何に承認されても達成/満足感はなく、不安の穴が広がり続けてしまうというな
コミュ障が練習で治るのは本当だけど、正確には「健常者的な会話を観測・蓄積・分析してパターンを覚え自身の言動をそれに沿わせる」事が出来るようになるだけなので、コミュニケーションが楽になるわけではなく、親密になる=非テンプレートなやり取りが増えるにつれて逆に話し辛くなってくというな。