自己肯定感の低いメンヘラ、往々にして不安が強いうえに人間関係に乏しいので、少しでも可能性を感じた人間に本来複数の人間から少しづつ得られるものを求め、過剰な期待や異様な距離感で相手を疲弊させ、関係を芽吹かせては潰してしまう傾向にあるんだよな。人間関係をやる為の人間関係がないという。
コミュ障の人間は「気を遣う」だけではなく「気を遣われる」のも苦手な場合が多くて、コミュ障故に気を遣われてるのに嬉しそうにする等の反応を上手く返せなかったり、気を遣われること自体に罪悪感を覚えてしまうんだよな。気を遣われてる間、内心では相手に対して常に謝罪している状態だというな。
自己肯定感の低いメンヘラ、往々にして人間に優しくされると「私は無価値のはずなのに…何故優しくされるの?おかしい!」と認知不協和を起こして不安に陥りがちなんだよな。結果、試し行為で失望されたり☓☓な人間に引っ掛かって酷い目に合ったりし、現実の方を認知に合わせようとしてしまうというな
「税金をあまり納めてない癖に文句ばかり言うな!」みたいな言説、説得力があるように感じられても論理構造は「誰のおかげで飯が喰えると思ってるんだ!」と全く同じだし、事実としても日本は貧乏人ほど所得に占める税の割合が高く「(多数の)貧乏人が(少数の)金持ちを支えてる」構造だというな。
ADHDの「衝動的に行動する」と「ワーキングメモリーが乏しい」という特性が合わさると、「インターネットで必要な情報を探そうとしたら、つい気になるリンクをクリックして横道に逸れたまま戻ってこれなくなり、タブが膨大な数になって時間が経つにつれて目標がドンドン遠ざかる」という地獄が生まれる
ADHDのワーキングメモリーは改善するより解放する方が簡単で、「やる事多過ぎ!病む!」とメモリ不足になった場合は、課題を書き出す等の「思考のアウトプット」すれば、その過程で整理ついたり視覚情報で全体像が掴めたりで「思ってるほど大した事ではない」のが分かり、フリーズ解除されるというな。
ADHD人間の「ワーキングメモリが乏しく複数並列処理が苦手」というバグ特性、実は「ネガティブな感情に襲われた時は、身体を思い切り動かしたり本を音読したりすれば脳のメモリがオーバーフローを起こしてモヤモヤするだけの余力が無くなり、結果として気が晴れる」というバグ技に転用可能だというな。
ADHDの「先延ばし癖」と「努力の持続が必要な課題を嫌う」という特性が合わさると、「先延ばしていたタスクが手遅れ1歩手前の大変な事になってて滅茶苦茶努力しなきゃいけなくなる可能性が怖すぎて確認や着手を先延ばす」という自滅バグが出来上がるというな。
ADHDが風呂が好きなのに先延ばしたがるのは「風呂に入ってる間はそれ以外の行動が出来なくなる」のが、衝動的行動を好むADHDの特性とぶつかってるっぽいので、防水スマホケース/ブックカバーを買う等して風呂に入っても出来る事を増やしたら、とりあえず自分は例の独特の重力が完全に消失したというな
自己肯定感の低いメンヘラや幼少期に親に抑圧された人間、「自分は存在してもいい」という世界に対する信頼感が無い故に、人間と接したり関わるだけで「何か申し訳ない…」と後ろめたさを感じてしまうので、傍目には「誰も気にしてないのに1人で勝手にダメージを受けてる」謎の生物に映るというな。
「メンヘラ女性は理解あるパートナーを見つけて寛解するルートがあるが、メンヘラ男性にはない」という言説について、とりあえず実証的研究によれば「精神疾患は男女共に生殖を厳しくするが、男性は女性より大きく(障害によるがざっくり2倍程度)負の影響を受ける」とのこと jamanetwork.com/journals/jamap…
ADHDの人間、休日の1日は大体遊び/タスク/外出/家事等よりも「やらなきゃいけない/やりたいタスクを“そろそろやらないと…”と思いながら着手せずにダラダラする」時間が大半を占めている気がするな。
社会不適合を発症しやすい人間は大体「真面目」なんだけど、加えて「自己管理が苦手」という特徴もあるんだよな。これが合わさると「タスクを投げ出したり堂々とはサボらないが、楽/予定通りには遂行出来ず、結局は無理して達成してしまう」的な、「やれば出来る子」型の社会不適合人間になるというな
コミュ障で真にヤバいのは「会話を盛り上げられない」点ではなく、「他人が不快になりそうな事が言えない」点なんだよな。これによりNOと言えなくなるのは勿論、助けを求める事も相談や確認も出来なくなるし、最悪「自分に話し掛けられたら相手は迷惑かも」と自分から何も言えなくなってしまうというな
何故かメンヘラ女性からDMで整形についてよく相談されるけど、美容整形のレビュー研究によれば「醜形恐怖症には効果ない」「美容整形を人生の問題の万能薬とみなす人間ほど予後が悪くなる可能性が高い」との事なので、整形したい人間ほど整形では幸せになれない気がしてるな… ncbi.nlm.nih.gov/pmc/articles/P…
自己肯定感の低いメンヘラ、「自分はここにいてもいい」という世界に対する信頼感がないから、常に他人の顔色を伺って親切/低姿勢に接して「OK」を貰いたがるけど、悪意のある人間には「こいつは反撃出来ない」と目をつけれるし、SNSでは「貴方の優しさは単なる弱さ」と説教される羽目になるというな。
自己肯定感の低いメンヘラ、根底に「自分は存在してはいけない」という不安があるから、他者に何らかの価値を提供する事で「貴方はここにいてもいい」という承認を集めて安心しようとするけど、それは同時に「価値を提供出来ない自分は☓☓」的な認知強化に繋がり、ますます不安が増す罠があるというな
「発達障害者の精神年齢は概ねN掛け」という説は欧米でも割と活発に唱えられてる言説なんだよな。例えば米国最大のADHDクリニック所長であるKathleen Nadeauは、30年間の観察結果を通じて「ADHD人間は30代後半でようやく21歳の感情的成熟度に匹敵する」と6掛け説を唱えている additudemag.com/grow-up-alread…
私見だけど発達障害人間の精神年齢は「幼い」のではなく「凸凹が激しい」のが実際と思ってるんだよな。社会から疎外されてきたが故に常識や情緒の習熟に乏しい反面、自己の内面と向き合う時間は長く、客観視や内省は異様発達しており、子供じみた無邪気さと老人じみた打算性が奇妙に同居してしまってる
発達障害人間に限らず、社会不適合人間全般が「幼い」と言われがちなのは、偏見とは別に「☓☓な経験により時が止まってしまってる」的な事情も大きい気がするんだよな。人間は☓☓な経験で精神が躓くと、再び歩き出せるようになるまで時間がかかるけど、ある種の人間には常時それが起こってるというな
発達障害人間の人生、往々にして普通人間より常識や情緒等の習熟が遅れるので、当時は自分がやらかしていても特に辛さを感じる事が無いけど、年月を追う毎に段々と輪郭が浮かび上がきて、ある日唐突に全てを理解出来るようになってしまい、定期的に羞恥や屈辱や悔恨で叫びたくなってしまいがちというな
傷付いてきた人間は他者の苦しみにも敏感とは限らなくて、自身の傷が痛むあまり他者を思いやる余裕が奪われてる場合も珍しくないんだよな。しかしケアを要求だけして他者に与えない人間は当然に何も貰えなくなるので、いつまでも癒えない傷を抱えて泣き叫び続けるという悪循環に陥りがちになるというな
「コミュ力/協調性がない!」と相手を責める人間ほど、それがないパターンが多いんだよな。何故ならコミュ力や協調性というのは「相手に歩み寄る力」であり、それを持たぬ人間ほど「貴方が歩み寄れ!」と要求せざるを得ないし要求しか出来ない。(自覚なき)コミュ障ほどコミュ障に厳しくなるというな
矛盾してるようだけど弱者が弱者と認められるには強者になる必要があるんだよな。良い悪いは別として「可哀想!救わないと!」となる人間は、その時点で何らかの魅力≒パワーを有しており、ガチで何も持たぬ者は持たぬが故に誰の気もひけず視界に入れないし、入っても自己責任等で切捨てられるというな
発達障害人間の人生、往々にして愛嬌が必要になるんだけど、他人に愛を振りまくには「自分は愛される人間であり自分に愛されたら相手も嬉しいはず」的な信頼感が必要なんだよな。これがないと自分が愛される事が信じられないし、愛する事に罪悪感を抱いてしまう。愛される為の愛され経験がないというな