ADHD人間、基本的に物事の優先度は常に「今思い付いたタスク」を1番にしてしまうので、タスク遂行中や大事を控えていても思い付いてしまうと「今すぐやりたい!」「今は駄目!」と感情と理性が大激突を起こして集中力が霧散し、予定が崩壊したあげく全てが中途半端になる現象が割と見られる気がするな
「オタクに優しいギャルはいない」というか、渋谷109はそもそも「ギャルは絶滅した」という見解を出してるんだよな。今残ってるのは大凡「年季者」「ガチガチな人」「ギャルのコスプレして承認を集めようとするオタサーの姫変異体」だけであり、前2者は絶滅危惧種としてレッドリストに掲載されている。
発達障害人間の見落とされがちな生き辛さの1つに「手/気の抜き方が分からない」があるんだよな。発達障害人間は往々にして、限界まで気を張り完璧に仕事や人間関係やるから最初は好印象だけど、「ホドホド」が出来ないので日を追う毎に無理が祟りボロが出て、第1印象詐欺と言われる羽目になるというな
小さい頃に「逃げるな!逃げ癖つくぞ!」と言われ大人の言う通りに過ごしてきた生物、往々にして逃げ癖の代わりに「周囲に嫌な思いさせて感情ぶつけられるのが嫌過ぎて自分1人で黙って耐え続ける」という我慢癖がついてしまい、逃げるべき場面でも反射的に我慢を選択し、人生に支障きたしがちというな
「貧乏で辛い」という人間に対して「貧乏でも人生楽しんでる人はいるぞ?つまり辛いのは貧乏ではなくお前の問題!はい論破」というのは、少数の例外を盾にした滅茶苦茶な暴論(早まった1般化 )と分かるけど、貧乏が不細工/コミュ障/非モテ等に置き換わるだけで正論のように聞こえてしまうバグがあるな
インセルを懸念する日本人が、非モテに「非モテで辛いのは貴方が辛いと思い込んでいるからだ!」と説いてまわってる光景、そもそも当初穏やかなコミュニティであったインセルが過激化したのは、その「解脱言説」への反発がキッカケなので、歴史から何も学んでない&歴史は繰り返す感が半端ないんだよな
苦しんでる人間に対する「それは貴方が気にし過ぎなだけ」「それ実は大した事ないよ」という慰めの言葉は、それが事実であるか否かを別にして、言われた側は「やはり自分の苦しみは誰にも理解されないし救われない」事を再確認させられて孤立感や絶望感が増し、更に苦痛を加速させる事もあるというな。
ADHD人間、計画通りに作業が進まなければ普通は「1日の作業量を見直して計画修正する」ところを、「過集中/調子良い時は凄く作業出来たから今回も大丈夫!」と謎の楽観で突き進み、結果として締切ギリギリまで遅れを溜め込み「ここで過集中が発動しなければ☓ぬ」という状況に陥りがちな気がするな。
自己肯定感というのは元ネタのエリクソンによれば、幼少期に愛情を注がれる事で出来る「自分は世界にいてもいいんだ!」という基本的信頼感が基盤なので、「自分は誰かに愛されなくても大丈夫!」という自己肯定感は愛されてる人間ほど獲得出来て、必要な人間ほど獲得が難しいという地獄があるというな
ADHD人間、往々にしてタスク所有時間や予定を「調子良い時」の感覚で見積もりがちだし、そう分かっていても「まあ最悪1夜漬け/過集中で終わらせられるし」となりがちなので、基本的にタスク所有時間や完了予定日は「タスク着手前」ではなく「実際にタスクに着手してから」見積もるのがオススメというな
自己肯定感の低い人間、行動の軸が基本的に「自分がやりたいからヤル」ではなく「やらないと周囲から何を言われるか分からないからヤル」なので、如何に努力して成功して評価されても達成感は味わえず、ただ疲労感だけが残るんだよな。常に自分でない何かに行動を指示/強制されてるような感覚。
社会不適合を起こしがちな真面目人間に見られる特徴が「人を頼らない」ことなんだよな。頼れば何とかなりそうな場面でも、人を頼る事への罪悪感/面倒さ/気まずさ/拒否されたり怒られる恐怖etcが嫌過ぎて、ヤバいと分かっていても取り繕わず「手遅れになるまで黙って耐える」選択をとるしかないというな
「それぞれの地獄がある」「苦しいのは自分だけじゃない」的な言葉は、相手へぶつけるものではなく自分への戒めや信念とすべき言葉なんだよな。それを相手に対して向けてしまったら「お客様は神様」と同じく、「だから文句言うな!我慢しろ!」という劣位に置かれた人間への単なる抑圧と化すというな。
ADHD、お風呂に入るのは好きだけど入るまでが長く、人間と遊びに行くのは好きだが準備や家を出るのはダルく、趣味やタスクには妥協なく全力を注ぐが着手する気力は出ず…と往々にして「ワクワクする事が好きだし直ぐワクワクするけど、そこに行くまでを極端に嫌がる」という矛盾した性質があるというな
社会不適合人間に「遅刻したら罰を与える」というルールを導入すると、「罰が嫌だから気をつける」とはならず「罰を受ければ遅刻しても大丈夫!」というトレードオフ意識が芽生えるし、社会適合人間も「罰を受けた方が得な場合は遅刻する」的な合理性を持ち始めるので、遅刻は更に増加していくというな
社会不適合人間、往々にして幼少期から怒られる経験が多かった為、相手に非があっても相手に感情出されると「謝らなきゃ!」的な強迫観念に襲われるし、心身に叩き込まれた無力感で曖昧に笑ってやり過ごす癖がついてるしで、怒るべき場でも怒れずに、後で何度も悔しさを反芻する羽目に陥りがちというな
ADHD人間、やらなきゃいけないタスクが2つ以上あると、「早くやらなきゃ!早くどっち先やるか決めないと!」などと思いつつ、優先順位や時間配分を決めなきゃいけない=自由を奪われるストレスのあまり、精神衛生の為にスマホを弄ったり本を読んだりして寛ぎだすという自滅バグ持ちが多い気がするな。
ADHD人間、先延ばし癖が酷くなると「タスクが取り返しのつかない事になっていたら…」という不安と向き合うのが嫌過ぎて、焦燥感に駆られるほどに別タスクやダラダラで時間を消費し、取り返しがつかない事を確定させる…「石橋を渡るのが怖過ぎて石橋を叩き壊して安心する」営為に陥りがちな気がするな
小さい頃に「怒ってはいけない」「偏見や差別はいけない」「まず自分が悪くないか考える」と育てられた人間、その教育方針の是非はともかくとして、社会に出ると☓☓な人間にまで公正に接しようとしたり☓☓されても「自分に非が?」と考え込んでしまうので、色々と損な役回りに陥りがちになるというな
コミュ障の人間、往々にして失敗経験は多いから「気まずい空気」は読める…というより非常に敏感なんだけど、「気まずい空気になる前の空気」は読めない事が多いので、結果として傍目には「人の顔色に敏感なのに空気を悪くするし、その空気に誰よりもダメージを受ける」という謎の生物が映るというな。
自己肯定感の低い人間、往々にして初対面の人間には好印象与えられるけど、人間関係で何か違和感抱いても「自分が悪いだけかも」と思うし、確認する事にも「相手に失礼かも」と罪悪感を抱くので、モヤモヤ解決手段が「人間関係リセット」だけになってしまい、関係が出来ては消えてく傾向にあるというな
ADHDの「小さな報酬には反応しないが大きな報酬には反応する」性質の最も分かりやすい例が「掃除」で、普段は日常のちょっとした不便を解消する掃除や整理をやりたがらない癖に、いざ着手すると「やるからには大きな報酬を求めるぜ!」となり、完璧を目指して手間暇時間を忘れて没頭してしまうというな
小さい頃に「将来の為だ!」と親に抑圧を受けてきた人間、当然ながら自分の意思や願望とかが希薄になるんだけど、いざ社会に出始めると「さあ君は自由だ!やりたい事をやれ!」と放り出されるので、「あれっ人生いつ始まったの?」と戸惑ってる内に色々遅れ、社会不適合を発症する傾向にあるというな。
若い頃は「ずっとオタクでいいしw」なテンションだった人間が、段々と老いによって何かを楽しんだり興味を持てるだけの体力・精神力が摩耗していき、次第に毎日が過去の縮小再生産と化して、遂には「趣味に生きる人間なのにコレ!という趣味がない」矛盾生物と成り果てる光景、本当に辛いものがあるな
人間は疲れている時は好きなコンテンツを見ても楽しめないし、何を食べても美味しく感じないし、何かに興味を持つ事も出来なくなるステータス異常になるんだけど、恐ろしい事に社会に出て労働で磨り減ったり、変な歳のとり方をすると、段々とその「ステータス異常」がデフォルト化していくというな。