SNSで誹謗中傷が話題になる度に「思い遣りやハートを持て」みたいな話が湧くけど、人間は思い遣りやハートがあるからこそ「人間を不快にする生物は許せない!」とコミュ障や陰キャに制裁を加えようとしてしまう側面があるんだよな。論より証拠で元虐めっ子ほどFacebookで「虐め許さない!」と言う法則
コミュ障は努力すれば「円滑なコミュニケーション」自体は出来るようになるけど、それは往々にして「1般人の会話や感情変化のパターンを覚えてトレースしてる」状態なので、根本問題である「人間と関わる事に気が乗らず色々消耗する」に関しては解決しておらず、むしろ更に疲れるようになるというな。
助けを求められない人間は、往々にして「誠実」な場合が多いんだよな。誠実故に、自分が間違っても取り繕ったり必死に誤魔化したりする事もなく、結果として窮地に陥っても「まあ自分が悪いから」とあっさり抵抗をやめてしまう。諦めるのが早いというよりかは、絶望に対する異様な潔さがあるというな。
「容姿で人間を選好するのは良くない」という価値観が浸透した結果、不細工は「不細工自体はいいけど不細工に伴う卑屈さが無理」「不細工はいいが身の丈に合わない高望みが嫌だ」「キモいのは加害」と容姿だけでなく内面も「不細工はNG」という結論から逆算して殴られるようになった地獄があるな。
不細工人間独自の感覚として「電車等で女性等に隣に座られると謎の安心感に包まれる」というのがあるんだよな。過去や日常で「人間に滅茶苦茶物理的距離をとられる」機会が多過ぎて、「自分の机に女子が座る」「お釣りを落とされない」程度で自分に人権がある気になってしまうというな。
Twitterでは延命治療に関して「高齢者が延命したがる」こと前提に語りがちだけど、実際は延命を望む高齢者は5.1%に対して家族は14.7%であり「家族が延命を望まない高齢者を生かし続けてる」パターンが相当数あるんだよな。延命治療は高齢者だけでなく、中高年若者の意識&経済問題でもあるというな。
安楽死はそれ自体の是非より、「安楽死」という選択肢がある事によって☓☓な人間の排除手段として「何故貴方は☓なないの?」という同調圧力が生じる気がして賛成出来ないんだよな。イジメやパワハラが典型だけど、劣位に置かれた人間から人権を剥奪する理由なんて、いくらでも作る事が可能なわけでな
隠れコミュ障の特徴は「自分から話し掛けない」ことで、この手の生物は話しかけられたら応じるし、そこそこ盛り上げる事も出来るけど、根本に「時間を消費させる(奪う)罪悪感」があるんだよな。それ故に、人間と楽しそうに話してる時でも内心は「相手に価値を与えないと!」と重圧を感じてるというな
「優生思想」というと、1部の異常者の過激な思想のように思われるけど、「こんな男性/女性は異性に近付かないで欲しい!」「年収☓☓万円以下の人間とは結婚出来ない!」もマイルドな優生思想であり、個人個人の選好もマクロでは「誰にも選ばれないという形の排除」として機能しうる側面があるというな
スケジュール管理が苦手な人間は往々にして「自分の好調時の感覚で日数を見積もって失敗する」わけだけど、ここに「1夜漬けでタスクを終わらせた」成功体験が加わると、スケジュール組み立ての失敗に気付いても「まあ最後に頑張ればいいし」と危機感が湧かず、色々と窮地に陥りがちになるというな。
連休、いつも「連休だからあれやこれが出来るな!」「今度こそあれをやろう!」と思いつつ「まだ休みはあるしゴロゴロしよう」「あと1日あるし今日はゴロゴロでいいや」「もう出掛けたりしなくていいや」と結局は何もしないで終わるんだけど、これまんま自分の人生の縮図っぽい気がするな。。。
ADHDの「衝動的で思い付いた事に夢中になる」と「先延ばし癖や慢性疲労」が合わさった結果、傍目には「遊びの誘いとか企画とかにめっちゃ乗り気で断らないし、やってる最中もノリはいいのに、何故か直前は凄く面倒そうにしているし遅刻しがち」と映る不思議な生物が誕生するというな
「やる気を出す方法は、とりあえず着手する事です」的な言説に対して「その"とりあえず着手する"やる気もないよ!」となってしまう人間がいるけど、肝心なのは「タスクに着手する事」ではなく「心身を動かす事」なので、実はその場で手足をバタバタしたり「っし」と声を出すだけでも効果はあるというな
ADHDの先延ばしや謎の重力を軽減する方法として「運動すればヤル気だけでなく認知能力も上がり、ネガティブな感情が減る」というのは種々の研究で確かめられつつあるんだよな。尚、1過性の運動であれ実行機能は向上するので、その場で思い切り身体を動かすだけで有効っぽいな ncbi.nlm.nih.gov/pmc/articles/P…
先延ばし癖のある人間の生活、「やらなきゃいけないタスク」自体は少ない/軽微でも、慢性的に「あれをやらないと…焦りながらも謎の重力に襲われて動けない」状態にあるので、客観的には「楽そうにしてる/暇」に見えても、主観的には「息苦しいし余裕もない」という厳しい状況下にあるというな。
矛盾してるようだけど、社会不適合人間は「自覚がない方が幸せ」な面があるんだよな。1旦自覚してしまうと自信が消失して素直な自己主張が出来なくなり、「羽目を外すと傷付くぞ」という思いから何事も1歩引いた姿勢になり、終いには楽しんだり愛したりする事に後ろめたさを抱くようになるというな。
後悔しないようにと「本当は別の選択をしたい気持ちもあるが、周囲は反対するだろうし、この選択の方が無難だから」と、とりあえずは後悔する事のないような選択ばかりしていると、結果として「大きな失敗は少ないがやりたい事が全くやれなかった」と人生そのものに後悔するようになるというな。
普通でいいのに!、読んでみたら主人公は「普通の人間をナチュラルに見下しつつも普通以下で、本人も自覚はあるので自虐もするが、それでも自己評価は高く、曖昧に本当の自分は今より上の存在だと思っている」というキャラなので、Twitter民に刺さらないわけがないんだよな。 comic-days.com/episode/139336…
「本当の自分を受け入れて欲しい」と求める人間は、往々にして「自分自身が本当の自分を受け入れられない状態」なので、どんなに外部から承認を得ても「本当の自分を知ったら…」と不安と認知不協和が増していくし、嫌われたくないが嫌われると「やっぱり…」と何処か胸を撫で下ろすようになるというな
「凡庸な人間は狂い方も凡庸」というのは間違いで、凡庸ではない狂気は存在しない。狂人は狂気故に自身の思想や発見を成熟させる事が出来ないので短絡的思考しか持ち得ず、1見突拍子ないものに思えても必ず幾つかの精神疾患の類型に収束する。つまり狂ってるからこそオリジナリティが失われるというな
社会不適合人間がやりがちな営為が「手遅れになっていたら怖いから確認しない」ことで、早目に確認した方が良い事が分かっていても出来ず、また開き直る事も出来ず、無為に時間だけが過ぎていく。結果、手遅れが確定したら絶望すると同時に不安や焦燥から解放され、何処かホッと胸を撫で下ろすというな
障害者に「自分の出来ない事を書け」というのは「自分は劣っていますと書け」という事に他ならず、それだけでもしんどいのに、更に他の住民にも書面を見せるとなれば…。 mainichi.jp/articles/20200…
オタク、自分含めて「コロナでも家でオタクコンテンツ楽しめばいいし」と思っていたら、アニメ制作が出来ないのは勿論、イベントが開催出来なくなった事でオタク市場自体が縮小し、実店舗や施設等の不採算部門が容赦なく切り捨てられて家以外の「居場所」が失われつつあるの、本当に厳しいものがあるな
ADHDにとって「やる気さえ出せば10分で終わる予定」は、「やらなきゃ!」と思いながらゴロゴロしたりダラダラしたりとn時間かけてヤル気を錬成しなきゃならないので、1般人にとっては「すぐ終わる軽い予定」が1つあるだけで半日が潰れる事も珍しくはないというな。
コミュ障には「沈黙が耐えられない」タイプもいて、1見すると陽気でフレンドリーで多弁な生物だけど、無理してテンション上げてるので何処かギクシャクしてるし、勢いで余計な事まで喋ってしまうしで結局は微妙な感じになりやすく、本人も自覚があるから家に帰ればメッチャ恥ずかしくなってるというな