陰キャにかけられてる呪いが「人間に対する怯え癖」で、過去に人間から嘲笑/虐め/叱責された経験から、人間の悪意に対し過剰反応してしまうようになるんだよな。しかし、その怯えは悪意人間にとっては「安心の実績があるカモ」というシグナルになるので、人生経験を重ねる毎に呪いは強まってくというな
コミュ障で1番困るのは「交渉」が出来ない事で、相手から嫌な事をされても「それを指摘する事による人間関係の軋轢が面倒過ぎる」と、何も言わずに我慢してしまうんだよな。結果、限界まで溜まってブチ切れたり、周囲や相手に何も言わずに距離を置くといった人間関係リセットが定期発生するというな。
「やれば出来る子」というのは、小さい頃は周囲が強制的にやらせるので人生にあまり支障をきたさないけど、大人になるにつれてやらなければ黙って置いていかれるようになるのに、「追い詰められてもやれば出来た」という成功体験が足枷となってやれなくなり、ズルズルと人生が駄目になってくというな。
小さい頃のあれこれで「すみません」が口癖になった人間、往々にして自身の言動全てに罪悪感を抱いてるので、対人関係のちょっとした/誰も気にしないようなミスでも猛烈な羞恥や失敗意識を抱き、逆に変だと思われるのに過剰な謝罪をしてしまうの、個人的には「やからしのアレルギー反応」と呼んでるな
陰キャにとって自宅待機/外出自粛は何も辛くないどころか、むしろ快適なんだけど、この快適さに慣れきった状態で「じゃあ明日から通常通り通勤通学して」と言われた結果、急な厳しい変化に心身が戸惑って5月病や夏休み明けのオタク大学生の如く、ドロップアウトする人間が沢山出そうな気がするんだよな
陰キャには友達が全くいないわけではなくても、だからこそ「自分は友達が少数しかいないし、相手を超大事に思ってるけど、相手は友達が沢山いるし、自分は相手にとってはワンオブゼム」という形で病む事があるんだよな。陰キャの苦しみは誰かのナンバーワンにもオンリーワンにもなれない事だというな。
コミュ障にとって会話は「楽しみとして行う営為」ではなく、「変に思われないように自身を取り繕う試練」であり、実質「面接」なんだよな。それ故に必死で「何が1番無難or好印象か?」を考え続けてしまうし、終わった後は「やっぱこう言っとけば…」と正解探しの脳内反省会が止まらなくなるというな
遊ぶ約束をした時は楽しみだけど当日になると面倒になったり、風呂は好きなのに入る前は面倒になったりするの、恐らく「やらなきゃいけない!という義務/拘束/焦燥感で萎えてしまう」のが原因と思うんだよな。勉強やる気になってる時に「勉強しなさい」と言われると、やる気が消失するのと同じ原理な。
自己肯定感の低いメンヘラ、約束前に気が変わってもキャンセルしたり事情を説明したりする営為が苦手過ぎて先延ばしてしまい、それが心に引っ掛かり猛烈にメンタルが削られ続けるあげく、結局は直前まで報告連絡相談出来ず、ドタキャンや変な言い訳をして相手の心証を最悪にする羽目に陥りがちというな
先延ばし癖がある人間、往々にして余裕がある時は「早く着手しなければならない!」という罪悪感と焦燥感に苛まされて圧☓状態でスマホを弄るのに、余裕が無くなると「もう手遅れだから」と絶望しながらも心身が軽くなって何処かリラックスした状態でスマホを弄るという不思議な生態がある気がするな。
デマに騙される人間、Twitter見てると左派右派学歴社会的地位ネット慣れに関わらず、みんな騙される時は騙される事が分かるし、恐らくコアは「自身の願望やバイアスに沿ってるか?」だと思うんだよな。人間は自身の求めてる情報が流れてくると「やはり!」と納得してしまい、真偽検証が雑になるっぽい
「苦労してなさそう」と言われる人間、大体は「苦労し過ぎた事によって尊厳や感情が摩耗した」パターンな気がするんだよな。幼少期から抑圧や虐めを受け過ぎた結果、「自分の意思は尊重されないし努力は報われない」を過学習し、傍目には「意思が弱く怠惰な甘やかされ人間」と映るようになったというな
人間が努力するのは、当然「努力の成果を得たいから」であり、従って努力するには「努力が報われる予感/成功体験」が必要なんだよな。換言すれば、努力する為に1番重要なのは本人の意思よりも「努力が報われる環境」であり、努力出来る・出来ないは本人の資質というよりかは環境の格差問題なんだよな。
「幼少期に苦労しないと大人になってから苦労する」というのは嘘で、幼少期に苦労すると人間に対する恐怖心を植え付けられ、人間関係に消極的になってしまうんだよな。その結果、対人経験値不足に陥ったり、人間に適切に頼ったり弱味を見せる事が出来なくなり、大人になると人生が苦役化してくというな
コミュ障はコミュ障だから人間関係において必要な報告連絡相談を先延ばしてしまうけど、先延ばしてる事が頭に引っ掛かり続けて病んでしまい、しかもタイミング逃して有耶無耶になり何の成果も得られないのに、しっかり疲労感だけは残るという、真面目と不真面目の悪いとこどりな事態に陥りがちというな
自己肯定感の低いメンヘラ、往々にして人間関係では「嫌われてる/これから嫌われる」事を前提として振る舞いがちになるんだよな。その為、傍目には凄く丁寧で明るく社交的なのに、何かにつけて遠慮したり、どんな時も羽目を外したがらない「控え目でノリの悪い陽キャ」という謎の生物に見えるというな
自己肯定感の低いコミュ障、人間関係で失敗する事だけでなく「人間関係で失敗するかもしれない」という不安が大き過ぎて、可能性を感じるだけでストレスになるので、距離が縮まるほど「心を開く」どころか「ボロが出ないよう固く閉ざす」方向に向かい、疎遠や関係リセットを繰り返してしまうというな。
コミュ障には2種類いて「極度の人見知り&口下手なので少しずつ打ち解けていくタイプ」と、「それを取り繕う為に初対面でも適当に明るく楽しく話せるようになったタイプ」がいるんだよな。表面上は後者の方が社会適応してるけど、表面上の取り繕いしか出来ないので、段々と人間関係が詰んでいくというな
マナー講師がマナーを教える為には「誰にも知られてないマナー」が必要であり、従ってマナー講師は常にマナーを作り出して(捏造して)いかなきゃいけないわけだけど、コロナの影響でそろそろ「リモートワークで貴方は☓☓していませんか?実はそれマナー違反なんです」が大量発生する気がしているな。
コミュ障が人間関係で1度躓くと、それを即リカバリー出来るだけのコミュ力がないから、気に病み続けて神経を擦り減らし、他者への気遣いや自制心働かせるだけの余裕がなくなり、更に失敗を重ねやすくなるんだよな。コミュ障にとって人間関係は、実質1回ミスしたら挽回不可になって詰むゲームだというな
過干渉なママと無関心なパパに育てられた人間、往々にして同世代の人間よりもママを優先するので、小さい頃は「優等生」として生きれるんだよな。しかし中高大学辺りで、同世代と断絶してた故の経験&情報格差で「えっなんで皆出来るの?知ってるの?」が頻発し、取り残され、落ち溢れと化するというな
社会適合人間がイキイキと人間関係出来る秘訣に「愛され慣れ」がある気がするんだよな。社会不適合人間が「自分なんかが関わっていいのか?迷惑では?」と悩んでウジウジしてる間に、当然のように輪に入って馴染んでいく。社会不適合人間と違い、人間から愛される事に罪悪感や恐怖を抱かないというな。
陰キャは往々にして人間不信気味だけど、より正確に言えば「善意や賞賛は信じないが悪意や罵倒は容易に信じてしまう」状態なんだよな。人間から叩かれたり抑圧された結果、「調子にのると痛い目を見る」を過学習してしまい、常に「油断すると傷付けられる」事を前提にして人間関係してしまうというな。
限界まで不満や困り事を抱え込む人間に対して、「もっと早く言え。逆に迷惑だから」と叱責すると、その手のタイプは「やはり人間に迷惑をかけたら怒られる」と学習し、より1人で溜め込むようになるんだよな。安心感がないから相談出来ないのに、怒られると相談の心理的ハードルが更に上昇するというな
先延ばし癖の酷いADHD、往々にして締め切り直前の焦燥感に依ってしかタスクに着手出来ないので、掃除片付け断捨離等の「明確な締め切りのないタスク」は無限に先延ばしがちなんだけど、この特性にリモートワーク/自宅待機が合わさると、生活空間の「やりっぱなし崩壊」が通常の3倍の速さで進むというな