自己肯定感の低いコミュ障は「誘う」が出来なくて、自分を無価値と思うあまり誘う事を「相手の時間やリソースを奪う行為」のように感じてしまうんだよな。それ故に相手へ好意が強まるほど「自分が相手に何らかのプラスを与えられない」事に罪悪感を覚えて誘えなくなり、関係が疎遠になってくというな。
自己肯定感の低いコミュ障は、往々にして人間から虐げられてきたが故に、それが始まる気配の読み取りは凄く上手なんだよな。しかし、それに全神経を持っていかれて通常の人間関係のアレコレは全く頭に入らなくなり、結果的に「他人の気持ちに鈍感」だが「他人の悪意には敏感」な生物が誕生するというな
自己肯定感の低いメンヘラや陰キャ、人間関係が「相手を信頼しようとして依存する」か「自立を目指して孤立する」の2択に陥りがちなんだよな。「素の自分は嫌われる」的な強迫観念から、心の扉を適切に開く事が出来ず極端から極端に走ってしまい、人生で何度も激しい期待と絶望を味わい続けるというな
TwitterやLineの返信が出来なくなる時って、忙し過ぎて時間がないというより「何か他の事をやれるだけの余剰エネルギーがない」状態なんだよな。時間や体力的には確認するだけの空きはあるけど、精神のスペースは空きがなく埋まっていて、再起動かけない限りメモリ不足が解消されなくなってるというな
自己肯定感の低いメンヘラは「自分は駄目」と思ってるが故に、褒められたり丁寧に扱われると「私を理解してない…それとも裏が?」と認知不協和起こし不安になる傾向あるんだよな。それ故に貶されたり酷く扱われると、自己認識と現実が合致して苦しいにも関わらず、ある種の安心感を得てしまうというな
コミュ障がメッセージを返信しようとすると、「即既読つくとか気持ち悪いか?」「ずっとSNSに張り付いてると思われる?」と変に時間調整かけたあげく、「これは馴れ馴れし過ぎない?」と文章にも変な調整かけてしまい、結果として中途半端な時間に事務的なメッセージを返す羽目に陥りがちだというな
小さい頃に「真面目で優しい子」と言われた人間、往々にして「他人から嫌われないように自分を取り繕う」生物なので、誰かと距離が縮まるほどにボロが出て自他共に辛くなるし、人間関係自体が面倒になるので、最終的には「親しい人間が少なく周囲から浮き気味の8方美人」という矛盾生物になるというな
コミュ障が陥りやすいのが「有意義な事を言わなきゃ病」で、自身の劣等感から「会話では相手を笑わせたり関心させたりしないと」的な強迫観念を抱いてしまう。結果、唯でさえ会話苦手なのに更に「機を伺い過ぎて話せなくなる」「力み過ぎて滑る」事態に陥り、コミュ障に磨きがかかかってしまうというな
社会不適合人間の休日は、往々にして1日中ダラダラしてる事が多いんだけど、これは「ダラダラしよう」と思ってダラダラしてるというよりは、「何かやろう/しなきゃと思いながら先延ばしてる」状態なんだよな。その為あまり気が休まらないし、休日明けの「また無駄にしてしまった」感が半端ないというな
社会不適合人間が「×にたい」と言うと、「どうせ×ぬなら〇〇しろ」「×にたいと言ってたのにウィルスは怖がるのかw」的な事を言われがちだけど、個人的観測だとあれは「生きる気がなくなった」状態なんだよな。×ぬ気というより全てが面倒になった状態なので、追加の負担を抱え込む余力はないというな。
矛盾してるようだけど「貧困の原因は貧困」で、人間は余裕がない状態だと目先の心配事ばかりに気をとられて、「長期的な展望を立てる」「何かを積み上げる」という発想を奪われてしまうんだよな。結果その場を凌ぐ事ばかりに必死になり、傍目には行き当たりばったりな怠惰な人間に映ってしまうというな
オタクが早口かつ情報詰込みで話すのは、マウンティング欲というよりも「早く話さないと口挟まれたり話題が移ったりしてしまう」という恐怖感の方が大きい気がするんだよな。恐らく「自身の話を聞いて貰える」という体験や安心感が欠如してるので、機会が来たら反射的に1気に畳み掛けてしまうというな
ADHDの「長期的な報酬より短期的な刺激や報酬に飛びつく」という性質と、Twitterの「常に新鮮な刺激(情報)が流れてきて報酬(RTやイイネ)が即得られる」という性質の異常な噛み合わせの良さにより、ADHDは「やるべきタスクを先延ばしてTwitterを開いてしまい止まらなくなる」地獄に陥りがちというな
発達障害者の就労、往々にして最初は過緊張により「真面目で良い子」として好評だけど、段々と不注意/衝動/変な所が気になる特性が出てきてミスが頻発。それが自分でもマズイと分かるから焦って「更に緊張する→心身の疲れが加速→更にボロが出る」の悪循環にハマり、厳しい状況に陥りがちな気がするな
毒親や虐められっ子だった人間につきがちなのが「怒りを諦観で抑える」癖で、何かに怒りを感じた瞬間に諦めや面倒臭さが湧いてきて、相手も自分もどうでもよくなってしまうんだよな。過去に自分が感情を出しても無視され続けてきたが故に、「感情を出しても疲れるだけ」と過学習してしまってるというな
自己肯定感が低いコミュ障がSNSやると、「みんな大好き!」「誰か遊びに行かない?」みたいなポジティブ発現は全て「自分以外かな?」と感じる1方、「こんな人間は嫌い」「面倒になってきた」みたいなネガティブ発言は全て「自分の事かな?」と感じ、気まずさが蓄積されてくというバグが起きるというな
陰キャ、過去のアレコレで「隙を見せると叩かれる」が骨身に染み付いてるので、その警戒心から相手を徹底的に観察&先読みして1対1では疲れはするけど普通に話せたりはするんだよな。しかし(関係の薄い)大人数に囲まれると、誰の気も損ねないように気を回し過ぎて硬直し、完全なる置物と化すというな
急にバックレたり人間関係リセットする人間の特徴は、「愚痴や不平不満が多い」ことではなく「愚痴や不平不満を1切言わない」ことなんだよな。この手のタイプは弱音を吐かないのではなく吐けない生物で、内側の鬱屈を表に出さないからこそ弱っていき、外からはタフなのに急に折れたよう見えるというな
自己肯定感の低いメンヘラに「自分を大事に」と言っても、その手の生物は往々にしてやりたい事や意思を抑圧され続けて「もう望みを持つこと自体が面倒」になってるので、自分を解放すると「何もしたくない」以外の感情が消失して、他人にも自分にも気を使わないセルフネグレト1直線になるバグがあるな
twitterでは時々「容姿の美しい人間は心も美しい」的なツイがバズるけど、進化心理学的には「身体的に魅力的な人間ほど公正世界信念を強く支持している」傾向が確認されてるんだよな。換言すればイケメン/美人ほど自己責任論が強く弱者に冷酷になり、要は傲慢になるというな。 journals.sagepub.com/doi/10.1177/00…
@rei10830349 「公正世界信念」とは「世界は公正公平であり善は栄え努力は報われる」的な信念だけど、裏を返せば「不遇な人間は悪人や怠け者」となるので、この信念が強い人間ほど弱者に冷酷になるんだよな。「世界は公正なので弱者が不遇なのは相応の理由がある。不遇は罪の証である!」という考え方
小さい頃に「優しい良い子」と呼ばれた人間、往々にして自己主張が苦手なので他者には自分の希望や志向や苦手や地雷等はあまり理解されないけど、「必要であれ他人を傷付けられず、Noと言えない」だけは他者から完璧に理解されるので、平然と(気付かず)他者から色々踏まれる立場に陥りがちというな。
人間、食って寝るだけだと心身は回復するけど「満タン」にはならないんだよな。人間が満タンになる為には、イベントや旅行や温泉などで色々溜まったモノを落とし切ってリセットをかける必要があって、それをしないと徐々に食って寝る事による回復量が減っていき、疲労状態がデフォルト化してくというな
コミュ障で悩んでる人間は「空気が読めない」以外に、「空気は読めるがどうしていいか分からない」というパターンも多いんだよな。この手の生物は空気が読めるからこそ「今の発言は失敗だ!」と自分の言動の1挙1動に苦しんだり、「空気を乱さないように」を意識しすぎてモノ言わぬ地蔵と化すというな。
自己肯定感の低いメンヘラ、自分で自分を肯定してあげられないから、他人からの承認でメンタルを安定させようとするんだけど、それは極寒の中でマッチを燃やして暖をとるようなものなんだよな。それ故に如何に承認されても、安堵や歓喜は1瞬で過ぎ去っていき、再び不安や悲哀に襲い掛かられるというな