過干渉なママと無関心なパパに育てられた子供は、まず何をするにも相手の顔色を伺うようになるし、常に他者の視線に怯えてビクビクするし、自分の意思や主張をハッキリと言えなくなるので、男性はコミュ障型の非モテになり、女性はモラハラやDVされてる方が落ち着く型のメンヘラになりやすいというな。
かつてネットには「匿名だから皆変な事を言う。実名顔出しならマトモになるに違いない!」という幻想があったけど、Facebook等で「☓☓な人間は匿名でも実名顔出しでも暴れるし、皆が批判・否定的発言を控えるので匿名空間以上に歯止めが効かなくなる」という身も蓋もない事実が明らかになったというな
陰キャの人間、往々にして友人が少ないのは「人間関係リセット癖がある」というより「他者と積極的に関われない」が本態なんだよな。他者に関わる事に対する罪悪感から「何か要件がないと連絡を入れられない」病を発症し、引越し/卒業/就職といったイベントの度に人間関係が自動リセットされるというな
ADHD、往々にしてワーキングメモリーが乏しく同時に複数の事を考えたり並列作業が苦手だったりするんだけど、これと先延ばし癖が合体すると「先延ばしたタスクが短期記憶領域に残り続けて只でさえ乏しい領域を占有する」状態になってしまい、先延ばしてるのにその間は何も出来なくなってしまうというな
自己肯定感の低い人間、ある程度他者と親しくなると「嫌われる/嫌われてること前提に振舞う」をやってしまいがちなんだよ。様々な失敗体験から「調子に乗ると傷付く」が骨身に染みてしまっているので、相手に対する好意や期待にセーブをかけて、破滅に備えて1定の距離感を保とうとしてしまうというな。
陰キャは往々にして自虐的だし悪口等を言われても動じないから、鈍感もしくはメンタルが強いと思われがちだけど、むしろ繊細な場合も多いんだよな。繊細だからこそ傷付かないように感情を押し殺していたら、それが習慣化して無表情・無感動がデフォルト化し、自分を表に出せなくなってしまったというな
他者に頼ったり助けを求められない人間は、往々にして「自分は相手に何も与えられない」事に悩みがちだけど、実は人間にとって「頼られる」「感謝される」のはそれだけで嬉しいものなんだよな。それ故に人間関係で重要になるのは実は「迷惑をかけない」ではなく「(良い)迷惑のかけ方」だというな。
不機嫌で人間を忖度させる事を覚えると、その「察して貰うことで自らの優位性を確認して気持良くなる」という圧倒的な成功体験故に不機嫌を振り撒くことが癖になってしまうんだよな。結果、コミュ力が衰退していき「怒り以外で他者とコミュニケーションとれない悲しい生物」が誕生してしまうというな。
ADHDの遅刻要因、大体がギリギリに出ようとして忘れ物・失くし物に気付くのが原因なんだけど、だからといって余裕たっぷりに準備を終えると「まだ時間があるから」とタスクを始めて「あとちょっとだけだから…」と止められなくなってしまい、結局は遅刻しそうな時間になってしまう難しさがあるというな
発達障害人間、仕事では常に「少しでも失敗したら終わり」という強迫観念に駆られてドキドキしてるし、業務上必要な報告連絡相談でさえ他者に話掛ける事に罪悪感を覚えるしで心身の消耗が著しく、休日は何も考えられずに家でグッタリ&家事等の必須タスクに追われてる内に終わってしまいがちだというな
発達障害人間、様々な失敗体験により「自分は素では嫌われるし細心の注意払わないと何かやらかしてしまう」と自覚してるから、他者の前では基本緊張しぱっなしだし、1人の時も「もしかしたら失敗したかも」と悩み続けてしまうので、常に心身が落ち着かず常人の3倍のスピードで疲れ果ててしまうというな
陰キャの人間、往々にして自尊心が擦り減っているので、他者から侮辱的な扱いを受けても曖昧に笑ってやり過ごす癖がついてるんだよな。しかし、それは平気だったり傷付いていないわけではなく、それでも笑うしかなかっただけなので、後で思い出しては悔しさと自己嫌悪に苛まされてしまうというな。
人間は自尊心を傷付けられると自身の意思や感情を「どうせ余計に馬鹿/否定されるだけ…」と表明出来なくなるし、QOLが低下しても「どうせ私なんて…」とセルフネグレクトしてしまうようになるんだけど、傍目には「覇気がなく意思や感情に乏しい怠惰な甘え人間」と見えて追討ちされる悲劇があるというな
毒親育ちや虐められっ子は往々にして「相手が不機嫌になると罪悪感を覚える」変な癖がついてしまっているんだよな。それ故に相手が不機嫌そうになる度に「自分が何か悪い事をしたのかな?」と神経は擦り減り、結果として「周囲に敏感なのに肝心なとこで気が回らなくなる」生物が誕生してしまうというな
「感情をコントロールする」というと、怒りや悲しみを覚えてもそれを我慢して表に出さないことだと思いがちだけど、本当は「剥き出しのままぶつけず自身に最適な形で表に出す」ことを指すんだよな。感情は必要だから感じるのであり、強引に押し殺しても消失はせずに後悔として残り続けてしまうというな
自己肯定感が低い人間は他者と1緒の空間にいるだけで罪悪感を覚えるし、人に話し掛けたり誘ったりするのは「相手の注意や時間を奪う強盗行為」のように思えるし、そもそも全ての人間から嫌われるという確信があるので「誰にも迷惑をかけない」を志向すると、他者と1切関われなくなってしまうというな。
陰キャが人生に失敗しやすい理由として「反射的に自分の方が間違ってると思ってしまう」というのがあるんだよな。陽キャは自分の感性や意思を尊重されてきたから?と思ったら即反対/離脱出来るけど、陰キャはモヤりながらも「自分が変なだけ?」と迎合し、気付けば理不尽な扱いを甘受してしまうというな
親ガチャに反論する為に出てくる「私は底辺から努力で這い上がりました」物語、途中まで共感しながら読んでたら唐突に「理解のある親族・縁者が援助してくれました!」というフレーズが入ってきて逆に親ガチャの存在を補強してしまうの、完全に生き辛い漫画の「理解のある彼くん」と同じ構造なんだよな
陰キャの人間、往々にして「自分は嫌われるし迷惑に思われる」という事を学習してしまってるので、親しめる人間が出来ても「気を遣わせてない?」「本当は迷惑に感じてるかも?」と不安と罪悪感を抱いてしまって自分から連絡・接触等が出来ず、環境が変わる度に人間関係が出来ては消えていくというな。
イジメ経験や毒親育ちの人間、過去のアレコレで「自分の意思や希望を言う=否定される」が脳に叩き込まれているので、もはや「自分の意思や希望を持つこと」自体がストレスになってしまうんだよな。結果として「周囲に怒られない」が唯1の指針になり、楽したい以外の感情が薄くなってしまうというな。
自己肯定感低いメンヘラに「自分を信じろ!」と言っても、メンヘラは律儀に自分を信じようとするものの、過去を振り返っては信じられる根拠どころか不安要素ばかり思い出し、あげくの果てに「自分を信じられない私は駄目なんだ」という方向で更に自分を信じられなくなってしまうので注意が必要というな
社会不適合人間、不真面目と言われがちだけど、実は真面目だからこそ深刻な社会不適合に陥ってる面があるんだよな。真面目で「ちゃんとしなければ!」と思ってるからこそ、何らかの拍子にちゃんと出来なくなると、不格好/不道徳的でも社会と折合いつける選択がとれず、そのまま詰んでしまうというな。
ADHDのケアレスミスtips ・作業は次のステップに進む前に自分が何をやろうとしてるか口に出し、他者にも伝わるようにする(抜け漏れあれば指摘して貰える) ・文面は数字/単位/肩書/固有名詞/を重点チェックする(ミスると致命傷になりやすい) ・生活習慣を正して体力をつける ・Twitterを閉じる
忘れ物やケアレスミスが多い人間に「チェックリストを作れ」というのはオススメ出来ないんだよな。何故ならその手の人間は「確認するという動作」自体を忘れてしまうから。逆にタスクが追加される=気を払うべき対象が増えることで注意力が分散され、余計に酷くなることも決して珍しくはないというな。
1般人の「行けたら行く」は遠回しな断りの文句だけど、ADHD人間の「行けたら行く」は「是非行きたいし今のところは大丈夫そうだけど、もしかしたらタスク先延ばしで締切がヤバくなったり忘れている予定があったり体調不良になったりして行けなくかも」的な意味なので、わりと普通に来てくれるというな