陰キャでも寡黙とは限らなくて、なかには「沈黙に耐えられず話し過ぎほど話してしまう」タイプがいて、この手の人間は1見我が強いように思えるけど、実際はメッチャ他者を気にしているので、帰宅したら頭の中では「またやってしまった!絶対変に思われたしウザがられた!」と大反省会してるというな。
自己肯定感はありのままの自分を受け入れられる事なので、実は「自己肯定感が低いから高めなきゃ!」と思うと逆に自己肯定感が下がっていく循環構造があるんだよな。それ故に自己肯定感なるものは1度自分がそれを持ち合わせてない事に気付いてしまうと、更に自己肯定感が失われてく地獄があるというな
発達障害人間、とにかく「定型のように振舞う」事に必死過ぎて「適度に休む・手を抜く」が出来なくなってしまいがちなんだよな。それ故に最初こそ真面目でキッチリしてると好印象得られるけど、疲労や緊張の緩みで徐々にボロが出てくるようになり、気付けば周囲からの印象が最悪になってしまうというな
ギリキリまで追い詰められると1夜漬けや突貫作業でタスクを終わらせられる人間は、「やれば出来る」というよりも「強烈な焦燥感や危機感によってしか手を動かせない」側面が強いんだよな。この手の人間の特徴は「締切のないタスクは着手出来ない」事で、部屋がいつまでも汚いままだったりするというな
人間は「試験前に部屋の掃除や読書をやるとメッチャ捗る」的に、本来やらなきゃいけない事から逃げているからこそ、やらなくてもいいタスクが捗ってしまう現象があるんだけど、その最たるモノとしてTwitterの「Twitterしてる場合じゃないような人間ほど色々面白くなってしまう」現象があるというな。
社会不適合人間の休日、往々にして「何もせずに1日が終わった」になるんだけど、もっと解像度を上げると起床や風呂や食事や仕事の準備や勉強等の「やらなきゃいけないタスクをやろうとしてダラダラしてる」内に1日が終わってしまう感じなので、ダラダラしていたにも関わらず全く休めた感がないんだよな
ADHDの人間、往々にして追い詰められると過集中等の超人的な能力を発揮して土壇場でタスクを終わらせるんだけど、そのせいで「予定が遅れてるけど最悪また1気にやれば間に合うだろ」精神で先延ばし癖が悪化するし、加齢等で体力がなくなると頼みの能力も減衰するしで、完全に負の成功体験なんだよな。
毒親に育てられたりイジメられたりした人間、往々にして行動原理が「周囲から怒られたくない/嫌われたくない」になるので、大事・小事に関わらず常に他者との衝突を回避すべく謙って譲る癖がついてしまい、大人になる頃には「とにかく面倒は嫌だ」以外の自分の希望や意思が消滅してしまうというな。
陰キャの人間、幼少期は明るくコミュ充であったケースも多いんだけど、からかいやイジメ等で1度「自分はキモい」と自覚してしまうと、言動はギクシャクするし自分でもそれが分かるから余計にギクシャク&人付き合いが怖くなり、結果として常に悲観的で表情筋に乏しいチー牛が誕生してしまうというな。
コミュ障の根幹にあるのは「世界に対する不信感」で、嫌われる事を過剰に恐れ「相手を不快にしたら駄目!完璧に振舞わないと!」を意識し過ぎて逆にギクシャクしてしまう。しかし世界に対する信頼感を取り戻すには、心を開ける人間関係が必要であり…服を買いに行く為の服がないジレンマがあるというな
陰キャの人間、往々にして他者に嘲笑や虐められてきたが故に「自己主張すると傷付くぞ」と学習してしまってるんだよな。結果、自分の意思を考えると自動的に「それを周囲に否定される自分の姿」が頭に浮かぶようになり、意思を持つ事自体がストレス源と化すので、意思を捨てる事が日常化するというな。
陰キャが「自分はキモい」という事を自覚してしまうと、他者と接するだけで「本当は迷惑じゃないか?」と罪悪感と不安が湧くし、自信が無くなるから常にビクビクするようになるし、親しい人間でも誘ったり話したりを遠慮するようになるので、結果として陰がドンドン加速していく悪循環があるというな。
ADHDのマルチタスクが苦手で複数同時に集中出来ない性質は「嫌な/怖い/面倒で気が乗らないタスク」にも適用されるので、例えば勉強が嫌いで先延ばしてしまう場合、音楽やTVを流すことで「嫌な気持ち」への集中が分散されて、普通にやるより着手しやすくなったり作業が滞りなくなることもあるというな。
弱音を吐かない人間は往々にして「メンタルが強い」というよりも、「弱音を吐く事による人間関係の軋轢や煩雑さに耐えられないほどメンタルが弱い」場合が多いうえに、1人で解決出来ない問題を抱え込んでも「無理する」以外の選択肢がないので、周囲が異変に気付く頃には既に手遅れになってるというな
ADHD人間、やる気になりさえすれば直ぐ終わるタスクであれ感情次元では「滅茶苦茶面倒臭い大ミッション」と捉えてしまうので、ダラダラしていても頭の中は義務感や焦燥感でいっぱいであり、結果として先延ばして好きな事やってたにも関わらず「何も出来なかったし色々と疲れた」的な感想が残るというな
失敗に弱い人間って「失敗経験がない」と思われがちだけど、逆に失敗経験あり過ぎるが故に過敏になってる場合もあるんだよな。傍目には「失敗を過度に恐れる甘えた人間」に見えても、当人的には過去の豊富な失敗経験からの叱責/罪悪感等を想起してトラウマと学習性無力感に苛まされてたりするというな
発達障害人間が仕事等をやるうえで重要なのは「パニックになったら時間をおく」ことなんだよな。発達障害人間は過去の失敗体験からミスると強烈な罪悪感と焦燥感に襲われてしまうけど、それは完全な混乱状態なので下手に取り繕うよりも「落ち着くまで何もしない」が最良の選択肢だったりするというな。
陰キャの人間でも明るく社交的に振舞うタイプはいるんだけど、その手のタイプは「嫌われるのが怖過ぎて必死で陽キャの言動パターンを分析してエミュレートしてる」だけなので、内心は常に「間違えてないか?」という不安でいっぱいだし、交流終わった後は完全にMPが尽きて何も考えられなくなるというな
「理解のある彼くん」の類似概念として「ホストを努める息子くん」というのもあるんだよな。この息子くんは不安定/過干渉/すぐ泣くママから(パパの無関心等で)逃れられない家庭で発生し、息子くんは生存の為に必死でママの顔色を伺って先回りして機嫌をとる「ママの小さな王子様」を演じるというな。
Twitterでは「嫌なら嫌と言っていい」「嫌な事はやらなくていい」「他者に合わせる必要はない」的な言説がバズりがちだけど、あくまで程度問題であって極端から極端に走ると、自分が「他者への歩寄りを拒否し1方的に忖度を要求する嫌な人間」として同じ論理で孤立に追いやられるので注意が必要というな
努力不足と言われる人間は、往々にして過去の被虐体験により「努力は報われない」が骨身にしみているんだよな。良いも悪いも「期待しなければ傷付かない」という処世術が身に付いているので、困難や理不尽を前にすると「抵抗してもより苦しむだけ」と心身の力を抜いて痛みを受け入れてしまうというな。
人間が努力するには「努力が報われた成功体験の積み重ね」と「自分は世界に祝福されてると思える安心感」が必要であり、その2つがあるからこそ人間は「努力は報われる/楽しい」と思う事が出来るんだけど、それを得られるか自体が「幼少期の愛情…親ガチャ」に大きく左右される残酷な構造があるというな
陰キャの人間関係リセット癖、周囲から見れば「そんな些細な事で…」と思いがちだけど、往々にして陰キャは心のアウトプット性能が低く「嫌な事でも曖昧に笑って限界まで我慢する」が癖になってしまってるので、普通人間から見れば些細な事でも当人的には最後の1押しなケースも珍しくはないというな。
空気を読むのが苦手な陰キャにとって敬語とは「TPOに依らず事故を防げる会話のテンプレ」であり、それで話すのが1番気楽で安心出来る処世術だから基本的に誰にでも敬語を使う傾向があるんだけど、陽キャは逆に気負ってるのかな?と思って「敬語使わなくてもいいよ」と言ってしまう悲劇があるというな。
毒親育ちの人間、往々にしてファーストインプレッションは良いんだけど、それは他者の顔色を伺って先回りして機嫌とったり自分の意思や感情を抑える事が上手いだけなので、何回会っても心を開けず距離が詰まらないし、緊張を維持出来ずボロを出してしまうで、最後には気まずくなってFOしがちというな。