陰キャは自分含めて人間が3人以上の場だと「自分が浮く」事を恐れて不安に襲われるし、2人きりだと浮く事は無いけど「沈黙に陥って気不味くなる」事を恐れて不安に襲われるし、1人だと色々と楽だけど「孤独☓上等!」「本当にこのままなのかな?」が交互にきて不安に襲われる難儀な生物だというな。
半分俺の自己分析だけど「現代文は無勉強でも成績良い」の正体は、「オタクにとって現文は勉強サボッても成績が落ち難い科目」なんだよな。オタクなら他の科目と違い、無勉でも文章を読み取る能力は本や漫画で自然に鍛えられる。幼少期は勉強全般出来てた人間が、何かの拍子に怠惰になると出来上がる型
自己肯定感を低くする方法は「嫌いな人間の不幸を願う」ことなんだよな。これをやると当然の帰結として「悪人は不幸になり、善人は幸福になる」という公正世界信念が強化される。結果、自身の不幸や嫌いな他者の幸福が「自分が間違ってる証」となってしまい、自己肯定感がガリガリ削られていくというな
ADHDのタスク遂行術として「タスクが溜まったら即効で書き出す」というのは非常に有効で、これの最大の利点は「タスクの忘れを防げる」事でも「タスクの優先度付け/整理がしやすくなる」事でもなく、例の「手遅れになってるのが怖くて見通しを考えたり確認出来ない」状態を予防/緩和出来る事だというな
自己肯定感が低く人間関係が乏しいメンヘラにとっては、目の前の人間こそが世界の全てになるので、往々にして憎悪は自らを顧みない他者よりも、自らに手を差し伸べる人間の不全さに向くんだよな。限界と孤立故に他者へ過剰に期待せざるを得ず、健全な関係性を構築する為の健全な関係性が無いというな。
人生に支障をきたしてる人間は、往々にして悩みが複合的だったり、自分でも辛みを把握出来てなかったり、最悪何から話せばいいか分からん状態にあるので、「何が辛いの?」と抽象的に言われても言語化出来るとは限らないんだよな。結果、周囲は自己責任と諦め、当人は更に××化する悪循環があるというな
社会学者カール・レーフラーの調査によれば、成人式や同窓会を忌避する人間は ・ドッジボールでは避ける専門 ・現代文の成績は無勉でも良好 ・基本真面目だが人が見てないところでは自堕落気味 ・少数の友人とは会話出来るが、大人数の他者とは会話出来ない のような傾向が有意に見られたという。
成人式で派手派手しい格好をしたり遊び回る人間は、実は着物を都合出来る経済力&計画性に加えて、小中高や地元の同級生とも人間関係を構築&継続出来るソーシャルスキルを持ち、それを馬鹿にしてるネット民より遥かに社会適合してるというの、Twitterで可視化された真実の中でも最も残酷なモノの1つだな
ゲームばかりやる人間からゲームを取り上げても勉強する事はないし、Twitterばかりやる人間からTwitterを取り上げても有意義に時間を使う事はないし、オタクが趣味止めても1般人になる事はないし、大体この手の現象は過程ではなく結果であり、哺乳類を水に沈めてもエラ呼吸するわけではないというな。
ADHDが未処理必須タスクを抱えていると、奇妙な事に「焦燥感・罪悪感で苦しんで時間が長く感じる」のに「気が付けば時間がワープしてる」という現象が起きる気がするんだよな。あれをやらなきゃいけないのに!と体感時間で永く気に病んでたのに、いざその時が来ると「時間が飛んだ!?」となるというな
真面目な人間は堕落しないわけではないけど「堕落しても楽しめない」という特徴があるんだよな。例えばタスクを放棄する遊ぶ選択をしたとしても、罪悪感を覚えて遊びを純粋に楽しめない。それ故に真面目人間は不真面目人間と同じ営為していても、常に「不真面目にしてるのに何かしんどそう」だというな
ADHD、苦手な必須タスクを先延ばしにすると、それを先延ばししてる事が頭に引っ掛かり続けてMPをガリガリ削るけど、「だから早目に終わらせるべき!」と思いながらやる別タスクは逃避効果で異様に捗ってしまうんだよな。尚、それに体力・気力を注ぎ込み過ぎて必須タスクの着手は不可能になるもよう。
陰キャ、1見すると悪口を言われたり劣悪な環境下でも平静を保ってるように見えるけど、それはメンタルが強いのではなく、むしろ感じやすいが故に表面に出る感情/表情が様々な軋轢で摩耗し、ダメージ判定は小さいけどHPは常時1状態なんだよな。それ故に何かの拍子で弾が当たると即☓☓になるというな。
@katouyujin 出典論文全文はこちらになります。滝沢龍氏の研究です。 ajp.psychiatryonline.org/doi/pdf/10.117…
@rei10830349 英国の研究デハー、7〜11歳の間に虐められた経験を持つ人間を7771人を1958年から50年間追跡調査したところ、非イジメられ勢と比べ自殺傾向のオッズ比2.21。また社会的関係の欠如や経済的困難などにも関連していた。虐めは40年間以上、後遺症的なものが残るっぽい ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/24743774
陰キャに対して「いつまで毒親/イジメ/スクールカーストを引き摺ってるんだよwもう拘るな」みたいな言説が時々流れてくるけど、イギリスの7〜11歳の間に虐められた7771人のコホート研究によれば、50歳の時点でも元イジメられっ子は心身の健康や社会性に困難を抱え続けている事が確認されてるというな。
よく喋るタイプのコミュ障は必ずしも「空気が読めず自身の失敗が分からない」とは限らないんだよな。この手のコミュ障は空気は読めるが故に沈黙/気まずさに耐えられず口を開き、失敗に敏感な故に取り繕う為に喋り過ぎてしまうタイプもいて、帰宅後は自分の失敗を脳内で思い返して悶絶してるというな。
コミュ障は後天的に作られる側面もあって、当然だけど他者から自分の言動/口調/発音などを揶揄され続けると、コミュ自体に後ろ向きになる上に、自分でも自分が変に思えて言動がオロオロたどたどしくなってしまうんだよな。幼少期は明るい積極的人間も、嘲笑され続けるとコミュ障の陰キャと化すというな
小さい頃に「真面目で良い子」と言われる人間は、「周囲に迷惑かけず決まりを守れ」と大人に叩き込まれるんだけど、いざ進学/就職等の人生の節目に差し掛かると周囲は「真面目にやれと頼んだ?報酬とか約束した?君の人生だよ?」となり、気付けば「人生始まる前に終わってた」事態に陥りがちというな
ASDの「物は決まった場所にあって欲しい」拘りと、ADHDの「その時々で使い易い場所に物を置きたい」衝動性が合わさると、自分で物を動かしまくりながら「何でここにないの!?」と紛失/イライラが頻発する状態に陥るけど、これは「同じのを2つ用意して、それぞれの場に置く」だけで解決可能だというな
メンヘラの恋愛、最初は好きな人間に惜しみない献身を注いで望むものを差し出し続けるけど、その内「相手にとっては自分は代替性ある都合の良い存在ではないか?」と不安になって、今度は相手を敢えて傷つける試し行為をしがちになり、最終的に破局を迎えて逆にホッとするのが黄金パターンな気がするな
自己肯定感の低いコミュ障、友達がいないわけでは無くても「自分は相手の事が凄く好きだけど、相手には(自分より親しそうな)友達が沢山いるし自分への思い入れは…」と妙な気遅れから、周囲に「☓☓とは友達だよ」と断言出来ず、相手に迷惑かも?と距離を縮められず、気が付けば疎遠になるというな。
コミュ障の人間関係は「友達が消えやすい」のもあるんだよな。これは相手と揉め易いとかではなく、友人が半径50m以内にいる時は良好な関係を築けるんだけど、「何か要件がないと連絡してはいけないと思ってる」「自発的連絡が苦手」特性により、進学/就職/転職等の度に人間関係が丸ごと×んでくというな
自己肯定感の低い人間、基本的にはいつも不全感に苛まされているのだけど、少しでも調子が良くなると「これで遅れを取り戻さなきゃ!」と過剰に張り切るあまり、その理想通りに出来ぬ自分にダメージを受けてしまい、心身の消耗も相まって色々ガタが目立ち始め、結局は元の木阿弥に戻りがちな気がするな
@akihiro_koyama オタクの描くファッションが遅れてるのは「思春期に“いいな”と思ってた女性の幻影を成人になっても描き続ける」面もあるかと思いますので、その意味ではオタク若者人口が増えても、オタクの描く女性は1昔前の姿になるような気がしないでもないです。(恐らく竿役も。。。)