人間、本当に厳しい環境に置かれると成長どころか鈍化していくんだよな。例えばミスや不手際の度に怒鳴られる環境では、人間の関心は上達や工夫ではなく「如何にやり過ごすか?」で埋まっていく。怯えに染まった個体は、その限界状況から長期的展望が失われ、短期的逃避に専念するようになるというな。
コミュ障の人間は往々にして「他人に嫌われないように取り繕う能力」だけは高いので、初対面で好印象与えられるのに、それ以上親しくする事は出来ないんだよな。 結果、最終的にどの人間にもフワッとした気まずさを抱くようになるので、「人間関係苦手なのに8方美人やってる」難儀な状況に陥るというな
幼少期に優しさを潤沢に受けた人間は他人にも惜しみなく優しさを注ぎ、そして注ぎ返されて更に優しくなっていくが、不遇な人間は餓えてるが故に他人に与える事が出来ず、与えられないが故に与えられず更に餓えていく。優しさも資産で、富める者は更に富み、持たざる者は更に失ってく構造があるというな
自称コミュ障は往々にして空気が読めないわけではなく、空気が読めるからこそ自身が浮いてる事や上手く振る舞えない事に苦しんでいるんだよな。またその劣等感故に何気ない事にも「失敗」の気配を感じてダメージを受けたり、正解の言動に固執して空回りしてしまう。空気は読めるが乗り切れないというな
自己肯定感を高める方法として「他者の幸福を無条件に祈る」というのがあって、他者の幸福を無条件に認められるようになれば、翻って「自分も無条件に幸福になっていいんだ!」と思えるようになるんだよな。極論、自己肯定とはいうけど、他人を肯定すれば、自然と自己も肯定出来るようになるというな。
陰キャが怒られた時にヘラヘラするのは、甘やかされたからではなく、逆に迫害されてきたからなんだよな。からかいや虐めなどの悪意に曝され過ぎた結果、殴りかかられると恐怖で身が竦んでしまうのと同じく、強い圧を感じるとトラウマで脳がパニック状態となり、表情が竦む=ヘラヘラ顔になるというな。
幼少期に欲求を抑圧されたり叩かれた人間は、欲求を持つと自動的に周囲との軋轢に苦しむ自分の姿を連想してしまうようになり、それ自体がストレスとなるので「欲求を押し×す」が習慣化してしまうんだよな。結果、傍目には「自分の意思がなく、何をやりたいかもよく分からない」人間が誕生するというな
自己肯定感の低いメンヘラ、人間と接しても「私なんかと付き合うのは迷惑では?」と思ってしまい、好意を持たれても「私はそれに応える事は出来ない/私を誤解してる」と怯えてしまい、嫌われて「やっぱり私はそうだよね」とホッとしてしまうので、延々と人間関係が出来ては消えてくを繰り返すというな
往々にして「大人しくて良い子」と言われる人間は、「嫌な事を拒否すると面倒な事になりそうだから多少嫌でも我慢する」という面倒臭がり人間なので、いざ堪忍袋の緒が切れると面倒臭がり反転して「ここで遺恨を断ち切り、面倒を引き摺らないようにしなければ!」となって物凄いキレ方をするというな。
心身が弱ってガチで何も出来ない時は「自分は快復に必要な“何もしないをしてる”」と、メンタルを切り換えるのがお勧めな。「早く治さなきゃ!」「あれをやらなきゃ!」というのは歩き出す為の杖になるけど、ガチで☓☓な時は逆に重荷になってしまう。「何もしない」という事の意義を認めてみるというな
自己肯定感低いメンヘラは「休む」が出来なくて、調子を崩して弱ってる時でも「心配かける」「只でさえ自分は駄目なのに」という罪悪/焦燥感から、「早く治さなきゃ!あれをやらなきゃ!」と仕事してるみたいな休み方をしてしまうんだよな。結果、気負い過ぎて心身が安らかず、更に病んでくというな。
ADHDの人間がタスクや出発を先延ばしてると、その罪悪・焦燥感がメンタルを削るので、メンタルの安定の為にスマホを見る等の逃避行為が異様に捗ってしまうけど、それやると「時間無い→逃避行為→更に時間無い→更に逃避行為が捗る」というループに嵌り、手遅れが確定するまで抜け出せなくなるというな
ADHDの洗濯ライフハック ・シャツはノーアイロンの物を選ぶ ・洗濯物は乾いたらそのままハンガーラックへ ーアイロンがけや収納という面倒からオサラバ ・靴下は全て同じ色&柄にする ー片方見つからないを防ぐ ・小さい電子機器は防水性の物を選ぶ ーうっかりポケットに入れたまま洗濯しても大丈夫!
「真面目で良い子」と言われがちな人間は、大体は「大人から指示/期待される様式をキッチリこなす」に特化してるので目上からは可愛がられやすいけど、定まった様式のない同格集団に放り込まれると、どうしていいか分からず借りてきた猫になるし、敬語を使う必要がない事を逆に息苦しく感じるというな
「自分は他人の目/評価/派閥を気にしない!」という人間は、大体はめっちゃ他者を気にする人間で、そもそもガチで他者を気にしない人間は、わざわざそれを公言するという発想自体を持たないんだよな。飲み会で先輩の「俺は上下関係/礼儀とか気にしないよ!」を真に受けたら、必ず酷い目にあう法則な。
嫌な事から直ぐ逃げると逃げ癖がつくけど、☓☓な環境で「逃げる事で周囲から責められるのが嫌だから」と我慢してると我慢癖がついてしまい、周囲からは「良い人」と認識されると同時に「こいつは嫌われる事を恐れてNOと言えない人間だ」と判断され、何もしてないのに人生が段々と壊れていくというな。
どんなに辛くても必死に耐えて1人でやる人間は、責任感が強いというより「他人に対する不信から任せられない」という側面が強いんだよな。自分1人で対処する苦難よりも、他人を信頼して任せるという「見えない不安」の方が心理的負担が大きく、ある種の安心の為に見えてる破滅に逃避してしまうというな
「真面目で良い子」の最大の生き辛さは開き直れない事で、タスクをサボッても罪悪・焦燥感で思い切り楽しめないし、それでヤバい状況になっても「まあ自分が悪いし」と悪足掻きしない。矛盾してるようだけど誠実であるが故に人生に躓くと、自堕落で無気力な人間になる以外の選択肢がなくなるというな。
小さい頃に「真面目で良い子」と言わがちな人間は、往々にして「周囲から非難されるような事はやらない」人間でもあるので、誰も見てないところだと際限なく自堕落になるし、大学という自由&自己責任な場においては、遅刻欠席無勉などの些細な堕落を積み重ねて、留年の危機に陥る傾向があるというな。
無表情・無感情そうに見える陰キャは最初からそうだったのではなく、むしろ幼児期は天真爛漫だったパターンが多いんだよな。人1倍感じやすいからこそ、人間との軋轢に傷付かないように感情を抑えて息を潜めていたら、いつの間にか無感動がデフォルト化。感じやすいからこそ擦り切れてしまったというな
コミュ障の落とし穴に「分かってなくても、分かったと言ってしまう」というのがあるんだよな。過去のアレコレで「相手に悪く思われたら終り」が骨身に染みてるあまり、「この程度の事を聞いたら迷惑かもだし、自分の××がバレたら…」と硬直し、危機感に苛まされながらも進み続けるしかなくなるというな
ADHD人間の先延ばし癖を軽減させるライフハックとして、「タスクにとりかかるトリガーを作っておく」というのがあるんだよな。例えば勉強なら気になるところだけ読む、データ作成なら名前だけつけて保存する。先に出来そうな事だけやっておき、やる気が起きた時の「取っ掛かり」を用意しておくというな
コミュ障が言う「忙しくてLINE返せない/チェック出来ない」は、往々にして正確には「確かに用事自体は数分程度で済ませられるし、数分間程度の隙間/自由時間がないわけでもないけど、もう行動に必要なMPが他のタスク/メンタル不調により枯渇してる」という意味なんだよな。謂わばあれは精神的に忙しい
陰キャが叱責された時に怒りや悲しみの感情を浮かべず、曖昧に笑うのは「甘やかされてきた」からではなく「甘やかされてこなかった」からなんだよな。自分の意思・感情を肯定されず否定ばかりされてきたので、怒りや悲しみをどう表現していいか分からない。結果、曖昧に全てを濁すしかなくなるというな
「助けて!」と言えない人間は、往々にして「自分が気を遣われてる/手間をかけさせてる」ということ自体に莫大なストレスを感じるタイプなんだよな。それ故に弱れば弱るほど、「誰かに助けを求めて苦しむ自分の姿」に耐えられなくなり、助けが必要な時ほど助けて欲しくなくなるバグが発生するというな